今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

聖徳宗総本山 法隆寺 その2(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内)

2014年01月05日 | 神社・仏閣
五重塔(国宝)
木造五重塔として現存世界最古 高さは31.5m



初重から五重までの屋根の逓減率が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分である



五重塔の前に礼拝石がある



最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されている

 

金堂(国宝)
入母屋造の二重仏堂。桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層には部屋はなく、外観のみである



上層の高覧には卍崩しのデザインと「人」字形の割束
竜の彫刻の支柱は江戸元禄期の修理の際に差しかえられた



堂内は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置する



 


回廊(国宝)
回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っている
平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていた



大講堂寄りの折れ曲がり部分より北は平安時代の建立



経堂(国宝)
経典を納める施設として建立されたが、現在は、天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒僧正像(平安時代)を安置している



堂内には三伏蔵(他は金堂内と大湯屋前)の一つがあり、法隆寺を再興できるほどの宝物が収められていると伝えられている



大講堂(国宝)
桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺き



中央の銅灯篭は桂昌院(徳川家光の側室、5代将軍・綱吉の生母。通称はお玉の方)の寄進
徳川家と本庄家の家紋が刻まれている



仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立



薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重文)を安置する



鐘楼(国宝)
延長3年(925)に大講堂とともに落雷により焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたもの



鐘楼の中に吊るされている梵鐘は、奈良時代前期の銅鐘(重文)で年中行事以外には撞かれていない



西側より東側の回廊の一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられている



回廊の外から見える金堂と五重塔



正岡子規の句碑 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」



「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがある。法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、というのが句意

聖霊院の前に広がるのは鏡池



聖霊院 
鎌倉時代の建立。この建物は本来は東室の一部であったが、1121年にこれを再建するときに南半を改造して聖霊院とし、聖徳太子像を祀った



太子の命日の旧暦2月22日を中心に(現在は3月22日~24日)、法隆寺最大の行事であるお会式(おえしき)が行われる

 

東室(国宝)
聖霊院の北に接続して建つ。奈良時代の建築で、当時の僧坊建築の遺構として貴重



妻室(重要文化財)
東室の東に建つ細長い建物



左側は「東室」、右側は「妻室」



綱封蔵(国宝)  
聖霊院の東に建つ、奈良時代~平安初期の倉庫



高床の宝蔵



 


食堂(国宝)
食堂本尊の薬師如来坐像(重文)は奈良時代の塑像









細殿(重要文化財)
食堂の横に建っている






左側は「細殿」、右側が「食堂」



大宝蔵院(百済観音堂)
百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成



百済観音像をはじめとする寺宝を公開している




次回(東院伽藍)に続く

撮影 平成25年11月17日

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