訪問日 令和3年6月10日
津軽山 革秀寺(かくしゅうじ)
重文の本堂と霊屋があることを知り訪れた
駐車場を探すために寺の周囲を走り、墓地の空き地に駐めた

朱色の「華雲橋」の奥に山門が見える

山門


扁額には「仰髙門」
仰髙を調べてみると論語(子罕第九-10)からきているようだ

門扉

寺紋

山門から本堂を眺める

本堂(重要文化財)
弘前藩祖津軽為信が慶長年間(17世紀初)現在の藤崎町に創建

津軽為信が没した翌年の慶長13年(1608年)弘前藩2代藩主 津軽信枚が為信の遺言により岩木山の眺望の美しい現在地に移した
長勝寺八世格翁禅師を開山として、父・為信の菩提寺とした



桁行17.8m、梁間16.2m、背面庇付、一重、入母屋造、茅葺

扁額には山号の「津軽山」

鐘楼

津軽為信霊屋(重要文化財)
江戸時代初期に建立された当時は質素であったが、文化年間(1804年~1817年)に大修理し、現在の華麗な姿になった


土塁と板塀に囲まれている

入母屋造り、妻入りで、正面に軒唐破風をつけ、屋根は杮葺

文化年間(1804〜17年)の修理で、木部はすべて漆塗り、内部は極彩色の華麗なものになったといわれている

霊屋は非公開
(霊屋の拝観は事前に寺務所に申込む。拝観料は志)


墓地の奥に岩木山が見える

撮影 令和3年6月10日
津軽山 革秀寺(かくしゅうじ)
重文の本堂と霊屋があることを知り訪れた
駐車場を探すために寺の周囲を走り、墓地の空き地に駐めた

朱色の「華雲橋」の奥に山門が見える

山門


扁額には「仰髙門」
仰髙を調べてみると論語(子罕第九-10)からきているようだ

門扉

寺紋

山門から本堂を眺める

本堂(重要文化財)
弘前藩祖津軽為信が慶長年間(17世紀初)現在の藤崎町に創建

津軽為信が没した翌年の慶長13年(1608年)弘前藩2代藩主 津軽信枚が為信の遺言により岩木山の眺望の美しい現在地に移した
長勝寺八世格翁禅師を開山として、父・為信の菩提寺とした



桁行17.8m、梁間16.2m、背面庇付、一重、入母屋造、茅葺

扁額には山号の「津軽山」

鐘楼

津軽為信霊屋(重要文化財)
江戸時代初期に建立された当時は質素であったが、文化年間(1804年~1817年)に大修理し、現在の華麗な姿になった


土塁と板塀に囲まれている

入母屋造り、妻入りで、正面に軒唐破風をつけ、屋根は杮葺

文化年間(1804〜17年)の修理で、木部はすべて漆塗り、内部は極彩色の華麗なものになったといわれている

霊屋は非公開
(霊屋の拝観は事前に寺務所に申込む。拝観料は志)


墓地の奥に岩木山が見える

撮影 令和3年6月10日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます