最初に訪れたのが火曜日で「増上寺宝物展示室と徳川将軍家墓所」が休館日であった
宿舎に戻り気持ちがすっきりしなかったため、翌日再訪することにした
宝物展というのでかなり期待していたが「お宝はこれだけですか」と係の人に尋ねてしまった
鐘楼堂

この日は天気が良く、前日には薄暗くて見えなかったため、見逃してしまった部分を撮ってみた

宝物展示室から出ると隣にある安国殿前の広場から炎が見えた
古くなった仏壇を「仏壇閉眼供養式」後に「お焚き上げ」をして供養している

年に1回実施しているようだが、運良くその日に出くわすことができた

徳川将軍家墓所「鋳抜門」
増上寺は上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺
「鋳抜門」は旧国宝で、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったもの

左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている


墓所「鋳抜門」の横にある小さな入口から墓所に入る
昭和20(1945)年3月10日に北廟被災、5月25日に南廟被災と二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬された
二代秀忠公・崇源院(二代秀忠公夫人 江)

秀忠公とお江の方の墓。説明を聞くと夫婦揃ってというのは珍しいとのこと

六代家宣公

七代家継公

九代家重公

十二代家慶公

十四代家茂公

皇女和宮(十四代家茂公夫人)

団体客のガイドの説明によると「葵と菊」の紋が刻まれている

合祀塔

女性グループに説明する寺の僧。説明も簡潔で話しも実に面白い

墓所から東京タワーがはっきり見える。私の世代では東京のシンボル、淡い思い出もある

幕府の財政状況によりお墓が豪華になったり、質素になったりしているという
皇女和宮の墓は何故か惹きつけられる

墓所側からの「鋳抜門」

「鋳抜門」を背に墓所を撮る

撮影 平成28年11月9日
宿舎に戻り気持ちがすっきりしなかったため、翌日再訪することにした
宝物展というのでかなり期待していたが「お宝はこれだけですか」と係の人に尋ねてしまった
鐘楼堂

この日は天気が良く、前日には薄暗くて見えなかったため、見逃してしまった部分を撮ってみた

宝物展示室から出ると隣にある安国殿前の広場から炎が見えた
古くなった仏壇を「仏壇閉眼供養式」後に「お焚き上げ」をして供養している

年に1回実施しているようだが、運良くその日に出くわすことができた

徳川将軍家墓所「鋳抜門」
増上寺は上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺
「鋳抜門」は旧国宝で、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったもの

左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている


墓所「鋳抜門」の横にある小さな入口から墓所に入る
昭和20(1945)年3月10日に北廟被災、5月25日に南廟被災と二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬された
二代秀忠公・崇源院(二代秀忠公夫人 江)

秀忠公とお江の方の墓。説明を聞くと夫婦揃ってというのは珍しいとのこと

六代家宣公

七代家継公

九代家重公

十二代家慶公

十四代家茂公

皇女和宮(十四代家茂公夫人)

団体客のガイドの説明によると「葵と菊」の紋が刻まれている

合祀塔

女性グループに説明する寺の僧。説明も簡潔で話しも実に面白い

墓所から東京タワーがはっきり見える。私の世代では東京のシンボル、淡い思い出もある

幕府の財政状況によりお墓が豪華になったり、質素になったりしているという
皇女和宮の墓は何故か惹きつけられる

墓所側からの「鋳抜門」

「鋳抜門」を背に墓所を撮る

撮影 平成28年11月9日
討ち入りの前に行きましたが、その日を知ってか多くの人はいませんでした。とても多くの石塔などが美しく撮影されていて感動しました。
昨日も記しましたが「東京タワー」が一望できるんですね。
東京タワーには想い出があります。大学の学生寮は駒沢公園より等々力寄りでした。当時は高い建物はありませんでした。6畳4人の部屋には畳だけ。一人は押し入れで寝ました。暖房もカーテンも無しでした。でも二間の窓を遮るものはなく、駒沢公園の体育館を通して東京タワーの灯火が綺麗に見えました。消灯時間は過ぎていましたが、未だ実験放送だった「ジェットストリーム」を皆で聞きながらタワーの灯に見入って一日の労を癒やしていました。
まだスカイツリーにも行っていませんが東京タワーは何度も行き、また遠くから見えると「懐かしさ」がこみ上げてきます。多摩川を越えた地点に住んでいますが、億劫で出歩くのが面倒です。これが「歳」というものでしょうか。
勝手に時分の郷愁を記したコメントになり失礼しました。いつも東京見物をさせて頂きましてありがとうございました。
増上寺の徳川家墓所ですが説明をしていた僧侶の話では歴史的には地味な方々がお眠りになっているとのことです。一番印象に残ったのはやはり皇女和宮の墓で天皇家ということで格式の高さを感じました。もう一つあげるとしたらお江の方の墓です。先日テレビを視ていたら戦国時代の真の勝利者は信長の妹のお市の方だと歴史学者が話していました。長女の茶々は秀吉に、次女のお初は公家に、そして三女のお江は将軍の正室として家光を産み……。写真を編集しながら確かにそのとりと考えていました。
さて、学生時代の寮生活ですが私の時代は8人部屋でした。「立って半畳、寝て一畳」修行僧のような生活を思い出しました。当時は辛かったですが、その経験が生きる力となり、今はいい思い出となっています。
ジェットストリームも懐かしいですね。青春時代がいい時代でよかったと思っています。ありがとうございました。