訪問日 令和6年5月24日
真木山 般若院 長福寺
真言宗御室派の寺院
2年前に重要文化財の三重塔を拝観するために訪れたことがある
天平宝字元年(757年)に鑑真が孝謙天皇の勅命により開いたという
寺は現在の真木山麓ではなく、山上にあった
鐘楼門
梵鐘
本堂
弘安8年(1285年)円源が天台宗の寺院として再興した
再興後、僧坊は65坊を数え最盛期となった
天台宗と真言宗に宗派が頻繁に入れ替わったが、明徳年間(1390年 – 1393年)に真言宗の寺院になった
本尊:木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財ー伝 行基作)
宝蔵庫
木造十一面観音立像、絹本著色十二天像図、絹本著色両界曼荼羅図、絹本著色動明王像図などの重要文化財を所蔵
本堂側から三重塔を眺める
三重塔(重要文化財)
棟札の銘から鎌倉時代の弘安8年(1285年)に大工棟梁・藤原国右衛門尉によって建立された
岡山県最古の木造塔建築物だという
昭和26年(1951年)真木山上から現在地に移築された
昭和55年(1980年)保存修理が完了
「うまく撮れますか」と塔の近くに住むという男性に声を掛けられた
幼い頃、祖父から、真木山上から解体された木材を手で運んだということを聞かされていたそうだ
平成27年6月、杮葺きの屋根が葺き替えられた際には、近くで進捗状況をスマホで撮り、記録していたと話してくれた
この三重塔は夕陽を背景に撮るといいそうだ
その後は、近くにある温泉に入ると最高の一日になるという
地元愛に溢れる男性との会話は弾み、楽しい時間となった
真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現
昭和3年(1928年)に長福寺は山上から現在の地に移転した
山上に残されていた三重塔、真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現なども
昭和26年(1951年)に現在地に解体移築された
撮影 令和6年5月24日
真木山 般若院 長福寺
真言宗御室派の寺院
2年前に重要文化財の三重塔を拝観するために訪れたことがある
天平宝字元年(757年)に鑑真が孝謙天皇の勅命により開いたという
寺は現在の真木山麓ではなく、山上にあった
鐘楼門
梵鐘
本堂
弘安8年(1285年)円源が天台宗の寺院として再興した
再興後、僧坊は65坊を数え最盛期となった
天台宗と真言宗に宗派が頻繁に入れ替わったが、明徳年間(1390年 – 1393年)に真言宗の寺院になった
本尊:木造十一面観世音菩薩立像(重要文化財ー伝 行基作)
宝蔵庫
木造十一面観音立像、絹本著色十二天像図、絹本著色両界曼荼羅図、絹本著色動明王像図などの重要文化財を所蔵
本堂側から三重塔を眺める
三重塔(重要文化財)
棟札の銘から鎌倉時代の弘安8年(1285年)に大工棟梁・藤原国右衛門尉によって建立された
岡山県最古の木造塔建築物だという
昭和26年(1951年)真木山上から現在地に移築された
昭和55年(1980年)保存修理が完了
「うまく撮れますか」と塔の近くに住むという男性に声を掛けられた
幼い頃、祖父から、真木山上から解体された木材を手で運んだということを聞かされていたそうだ
平成27年6月、杮葺きの屋根が葺き替えられた際には、近くで進捗状況をスマホで撮り、記録していたと話してくれた
この三重塔は夕陽を背景に撮るといいそうだ
その後は、近くにある温泉に入ると最高の一日になるという
地元愛に溢れる男性との会話は弾み、楽しい時間となった
真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現
昭和3年(1928年)に長福寺は山上から現在の地に移転した
山上に残されていた三重塔、真木山鎮守堂(山王権現堂)、金比羅大権現なども
昭和26年(1951年)に現在地に解体移築された
撮影 令和6年5月24日