訪問日 令和6年5月23日
津山城(別名:鶴山城)
津山盆地の中央部に位置する
城郭の形式は梯郭式平山城
日本三大平山城のひとつ(他は兵庫県の姫路城、愛媛県の松山城)
森忠政公像
元亀元年(1570年)美濃金山城で織田信長の家臣・森可成の六男(末子)として生まれる
天正10年(1582年)織田信長に小姓として兄らと共に召し抱えられる
兄にはあの有名な「森蘭丸」がいる
同僚の梁田河内守にちょっかいをかけられ、信長の前で梁田の頭を扇子で殴打したのを見咎られ親許に返された
これが幸いして本能寺の変に巻き込まれずに済んだ

天正12年(1584年)兄の長可が小牧・長久手の戦いで戦死後家督を継ぐ
豊臣秀吉に続き、徳川家康に仕え慶長5年(1600年)信濃川中島13万7千石を領す
慶長8年、美作国18万6500石を与えられ津山に入封
慶長9年より津山城の築城に着手、城下の町づくりを始め、現在の津山の基をなした
寛永11年(1634年)3代将軍徳川家光に随伴して上京するが、食傷により急死する 享年65歳

明治6年(1873年)の廃城令で、建造物は取り壊されたが、地上から45mに及ぶ立派な石垣が当時の面影を残している

往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並んでいたという


備中櫓
天守の南東側の「備中櫓」が、築城400年の記念事業として復元され、平成17年春から一般公開されている


美しい石垣を眺めながら石段を上がるが先が見えないだけに辛い



欠損している石垣があった

石垣内はこのようになっていた

城跡は鶴山公園(かくざんこうえん)として整備されている
入園は有料で大人310円
桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれている

備中櫓

復元された備中櫓内は総畳敷きになっている
初代津山藩主の森忠政が、13年の歳月をかけて完成させた天守閣も総畳敷きであった

各部屋の照明は古風でセンスがある
上部の「鶴の丸の家紋」は森家の家紋
下部の「葵の御紋」は森家の次に津山藩を統治した松平家の家紋

こちらは、津山市の市章「剣大」

柱のヒビ
備中櫓内に使用されているヒノキの柱は「芯持ち材」といって丸太から1本の柱を創りだしたもの
芯持ち材は乾燥が進むにつれどこかにヒビが入るのが避けられない
現在ではこのような木材には「背割り」といって、人工的に切り込みを入れて、それ以外の部分にヒビが入らないような処理を行う

便所の向きは
後ろに見える棒は手でつかむものではなく「衣掛(きぬかけ)」といって、着物の裾を掛けるためのもの

御上段
ここだけが立入禁止になっている

殿様専用ということになる

畳敷きの城内は他の城では経験できない貴重なものだ


ハートの石「愛の奇石」
城巡りをしているとこのような案内板をよく見る

普段は「つまらない」とスルーするのだが、周囲に誰もいなかったので探すことにした
直ぐ見つけることができると思っていたが、なかなかたどり着くことができない

案内板に戻り、真剣に探し始めた(←矢印の存在を無視していた)
見つけた時の喜びは想像以上だった(老乱)

鐘の音が聞こえていたので不思議に思っていた

城内に咲いていた紫陽花



撮影 令和6年5月23日
津山城(別名:鶴山城)
津山盆地の中央部に位置する
城郭の形式は梯郭式平山城
日本三大平山城のひとつ(他は兵庫県の姫路城、愛媛県の松山城)
森忠政公像
元亀元年(1570年)美濃金山城で織田信長の家臣・森可成の六男(末子)として生まれる
天正10年(1582年)織田信長に小姓として兄らと共に召し抱えられる
兄にはあの有名な「森蘭丸」がいる
同僚の梁田河内守にちょっかいをかけられ、信長の前で梁田の頭を扇子で殴打したのを見咎られ親許に返された
これが幸いして本能寺の変に巻き込まれずに済んだ

天正12年(1584年)兄の長可が小牧・長久手の戦いで戦死後家督を継ぐ
豊臣秀吉に続き、徳川家康に仕え慶長5年(1600年)信濃川中島13万7千石を領す
慶長8年、美作国18万6500石を与えられ津山に入封
慶長9年より津山城の築城に着手、城下の町づくりを始め、現在の津山の基をなした
寛永11年(1634年)3代将軍徳川家光に随伴して上京するが、食傷により急死する 享年65歳

明治6年(1873年)の廃城令で、建造物は取り壊されたが、地上から45mに及ぶ立派な石垣が当時の面影を残している

往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並んでいたという


備中櫓
天守の南東側の「備中櫓」が、築城400年の記念事業として復元され、平成17年春から一般公開されている


美しい石垣を眺めながら石段を上がるが先が見えないだけに辛い



欠損している石垣があった

石垣内はこのようになっていた

城跡は鶴山公園(かくざんこうえん)として整備されている
入園は有料で大人310円
桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれている

備中櫓

復元された備中櫓内は総畳敷きになっている
初代津山藩主の森忠政が、13年の歳月をかけて完成させた天守閣も総畳敷きであった

各部屋の照明は古風でセンスがある
上部の「鶴の丸の家紋」は森家の家紋
下部の「葵の御紋」は森家の次に津山藩を統治した松平家の家紋

こちらは、津山市の市章「剣大」

柱のヒビ
備中櫓内に使用されているヒノキの柱は「芯持ち材」といって丸太から1本の柱を創りだしたもの
芯持ち材は乾燥が進むにつれどこかにヒビが入るのが避けられない
現在ではこのような木材には「背割り」といって、人工的に切り込みを入れて、それ以外の部分にヒビが入らないような処理を行う

便所の向きは
後ろに見える棒は手でつかむものではなく「衣掛(きぬかけ)」といって、着物の裾を掛けるためのもの

御上段
ここだけが立入禁止になっている

殿様専用ということになる

畳敷きの城内は他の城では経験できない貴重なものだ


ハートの石「愛の奇石」
城巡りをしているとこのような案内板をよく見る

普段は「つまらない」とスルーするのだが、周囲に誰もいなかったので探すことにした
直ぐ見つけることができると思っていたが、なかなかたどり着くことができない

案内板に戻り、真剣に探し始めた(←矢印の存在を無視していた)
見つけた時の喜びは想像以上だった(老乱)

鐘の音が聞こえていたので不思議に思っていた

城内に咲いていた紫陽花



撮影 令和6年5月23日