今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

中山神社(岡山県津山市一宮695)

2024年08月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月23日
中山神社(別名:仲山大明神・南宮)
美作国一宮と本殿が重要文化財ということで楽しみにしていた
鳥居と駐車場が近づくにつれ、記憶が蘇った(訪れたことがあると)

鳥居(中山鳥居)
額には社号の「中山神社」
社名は現在「なかやま」と読むが、かつては「ちゅうぜん」「ちゅうざん」と音読みしていた
寛政3年(1791)の建設。高さ8.5m、幅は7m弱、花崗岩製で柱は2分割、笠木は3分割されている
角貫に木鼻がなく、笠木と島木に反りをもたせて壮大美を強調している
このような形は他県にあまり例がなく、特に中山鳥居として一形式をつくっている



調べて見ると2年前に訪れている
記憶力に自信がなくなっているので帰宅後訪問地を記録しているのだが……



2年前の写真を見ると、小牛の位置が今と違っていた



老人の旅人の心に響く言葉だ



狛犬1






手水舎



狛犬2
奥宮には『今昔物語』にも出てくる猿神社があるという
この狛犬だが猿という説もあるようだ






神門(津山市指定重要文化財)



同日の数時間前に訪れた、津山城二の丸にあった「四脚薬医門」を明治初頭に移築したもの



神楽殿






惣神殿(津山市指定重要文化財)
江戸時代、寛保元年(1741年)の造営



祭神:山上山下120社



中門より中に入る



中門



拝殿・幣殿(国登録有形文化財)



大正11年(1922年)本殿大修理にあわせて建てられた



岡山県建築技師の江川三郎八の設計による
彫り物の無い木鼻や2本で1組の垂木(吹寄垂木)が使用されている



本殿(重要文化財)
天文2年(1533年)尼子晴久の美作攻めの際、境内に陣を置く敵を攻略するために火が放たれ、社殿が焼失
美作平定後の永禄2年(1559年)、尼子晴久自身によって再建された



主祭神:鏡作神(かがみつくりのかみ)
   *古事記、日本書紀はおろか、どこの風土記にも出てこない謎の神様
相殿神:天糠戸神(あめのぬかどのかみ)・石凝姥神(いしこりどめのかみ)    



桃太郎物語の鬼のモデルとされてる「温羅(うら)」は鏡作りの高い技術を持っていた
吉備中山から勧請されたと書き残っている中山神社で、祀ってある神は温羅だという説がある
裏返しの語源も「温羅(うら)」で、裏切りの語源も「温羅」
温羅方の有力者が吉備津彦に味方し、温羅を闇討ちに切り殺したことで吉備津彦が勝利したことから、
信義を無視して敵に味方することを裏切りと言うようになったという



個性ある狛犬を撮り、駐車場に戻る






撮影 令和6年5月23日
コメント
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