最近は何もかも調子が悪い。
今月のインターネット歌会に出した歌も点が入らなかっただけでなく、初回コメントもいただけなかった。トホホ
で、歌会は昨日で終わったのだが、昨日、歌会に出した歌会御礼を転記して、今月の私の出詠歌のご紹介に代えさせていただく。
今月のお題は「終」であった。
記
bikoです。
H.Nさん、お忙しい中、丁寧に司会していただき、ありがとうございました。
その他の皆様にも、今月もお世話になりました。厚くお礼申し上げます。
ところで、今月も、私の出詠歌は先月同様零点で、初回コメントもなしでした。(泣)
が、先月も、今月も、すばらしい追加コメントがいただけて、ありがたく思っています。
やはり歌は読者あってのものですね。コメントくださった皆様、ありがとうございました。
24:終活をまだ始めざる母の子であれば七十近づきくれど
・H.Nさんからいただいたコメント
一首に切れがなく、言い差しになっており、「近づきくれど」の後に読者が補って読むことを期待していると思いました。私は初句に戻って「終活を始めるつもりはなし」と補いました。
でも七十歳前でまだ早すぎるかとも思いました。
・Y.Tさんからいただいたコメント
「わたし」が七十なら、お母様は90以上でしょうか。
そのくらいの年代のかたはもう、終活などしないと思います。
いまでこそ流行りですが、
「終活」はたぶん本当にそれが迫っている方には辛いのではないかと思うのです。
このお歌の言わんとすることがわかりづらいのですが・・・
作者は70が近づいて、本当なら終活もすべきなのに、母ですらしていない、
自分もあるがままに任せよう、と思うというお歌でしょうか。
・N.Kさんからいただいたコメント
子が作者(主体)と思いました。
今のご時世70歳は若いですので終活は深刻に考えなくてもよいのですが、おそらくお
母さまは90歳前後と思われ、終活などどこ吹く風とお元気なのでは。
90、100歳などとききますとどれほど高齢なのかと心配になりますが、その年に
なっても別段どうってことはないのでしょう。
お母さんがお元気なので自分の終活などとてもとてもという歌だと思いました。
いつから人生の終わりのための活動などとやかましく言われだしたのでしようね。
ゆっくり歳もとれませんね。
歌に戻って、はじめざるの「ざる」が始めようとはしないと強い感じですし、中山さ
んの書かれている通り「あれば」も「子であれば[こそ]始めるつもりはない」だと思
うので強いですね。そして結句の「くれど」も、いいさしですけれど、近づきくれど
もう遅いと決定的な読み方ができます。全体に目立つというか強い印象がしました。
私の自解
祖母は70歳くらいから身の回りのものを片付けていました。残して恥ずかしいようなものは焼いたりして。
で、結局、祖母は90歳で亡くなったのでしたが、比較的、身の回りは片付いていたと思います。
それに引き換え、その娘である私の母は、生涯現役でありたいらしく、いまだに生業である生け花関連の
整理を始めません。
来年70歳になる私は、そろそろ身辺整理したいと思うのですが、それより先に母の身辺整理を手伝うか、
母の死後、その片付けをしないといけないので、自分の終活など、いつのことになるかわかりません。
Nさんから「終」のお題が出て、すぐに浮かんだ歌でした。何しろ今の私にとっては切実な問題ですから。
今月のインターネット歌会に出した歌も点が入らなかっただけでなく、初回コメントもいただけなかった。トホホ
で、歌会は昨日で終わったのだが、昨日、歌会に出した歌会御礼を転記して、今月の私の出詠歌のご紹介に代えさせていただく。
今月のお題は「終」であった。
記
bikoです。
H.Nさん、お忙しい中、丁寧に司会していただき、ありがとうございました。
その他の皆様にも、今月もお世話になりました。厚くお礼申し上げます。
ところで、今月も、私の出詠歌は先月同様零点で、初回コメントもなしでした。(泣)
が、先月も、今月も、すばらしい追加コメントがいただけて、ありがたく思っています。
やはり歌は読者あってのものですね。コメントくださった皆様、ありがとうございました。
24:終活をまだ始めざる母の子であれば七十近づきくれど
・H.Nさんからいただいたコメント
一首に切れがなく、言い差しになっており、「近づきくれど」の後に読者が補って読むことを期待していると思いました。私は初句に戻って「終活を始めるつもりはなし」と補いました。
でも七十歳前でまだ早すぎるかとも思いました。
・Y.Tさんからいただいたコメント
「わたし」が七十なら、お母様は90以上でしょうか。
そのくらいの年代のかたはもう、終活などしないと思います。
いまでこそ流行りですが、
「終活」はたぶん本当にそれが迫っている方には辛いのではないかと思うのです。
このお歌の言わんとすることがわかりづらいのですが・・・
作者は70が近づいて、本当なら終活もすべきなのに、母ですらしていない、
自分もあるがままに任せよう、と思うというお歌でしょうか。
・N.Kさんからいただいたコメント
子が作者(主体)と思いました。
今のご時世70歳は若いですので終活は深刻に考えなくてもよいのですが、おそらくお
母さまは90歳前後と思われ、終活などどこ吹く風とお元気なのでは。
90、100歳などとききますとどれほど高齢なのかと心配になりますが、その年に
なっても別段どうってことはないのでしょう。
お母さんがお元気なので自分の終活などとてもとてもという歌だと思いました。
いつから人生の終わりのための活動などとやかましく言われだしたのでしようね。
ゆっくり歳もとれませんね。
歌に戻って、はじめざるの「ざる」が始めようとはしないと強い感じですし、中山さ
んの書かれている通り「あれば」も「子であれば[こそ]始めるつもりはない」だと思
うので強いですね。そして結句の「くれど」も、いいさしですけれど、近づきくれど
もう遅いと決定的な読み方ができます。全体に目立つというか強い印象がしました。
私の自解
祖母は70歳くらいから身の回りのものを片付けていました。残して恥ずかしいようなものは焼いたりして。
で、結局、祖母は90歳で亡くなったのでしたが、比較的、身の回りは片付いていたと思います。
それに引き換え、その娘である私の母は、生涯現役でありたいらしく、いまだに生業である生け花関連の
整理を始めません。
来年70歳になる私は、そろそろ身辺整理したいと思うのですが、それより先に母の身辺整理を手伝うか、
母の死後、その片付けをしないといけないので、自分の終活など、いつのことになるかわかりません。
Nさんから「終」のお題が出て、すぐに浮かんだ歌でした。何しろ今の私にとっては切実な問題ですから。
歌会でなく勉強会。
毎月一度歌会の一週間前までに最低三首の短歌を名前を書いて提出。
世話役さんがまとめて先生へ。
当日は全員の短歌が二枚にまとめられて各自に。
銀河前半は先生が用意された資料で短歌の勉強。
次に一人ずつ名前と短歌を。
先生が添削した短歌を全員で検討。
三人済んでお茶タイム。
雑談など。
残り三人の短歌。
一応二時間ですが時間オーバーは毎回。
考えてみるとハイジは普通の歌会に参加したことがありません。
淡海歌人クラブ短歌大会や「ひこね文芸」発表会・講演会・研修会とか。
滋賀県歌人協会にもし入っても歌会方式の選者による指導を受けながらの各品鑑賞・相互批評を行う大会参加や吟行会参加でしょうね。
歌会は同じ題で短歌を作り無記名で点数を付けたり批評する会なんですね。
インターネット歌会も同じですね。
銀河の短歌は各自勝手に作ってます。
個性がそれぞれ発揮されます。
何年か後普通の歌会になるのでしょうか。
短歌初心者が歌会で零点の連続だと辞めますね。
地方の凡人ハイジには銀河で良かった。
マイペースでノロノロと短歌が上達して欲しい。
宗祇法師顕彰会の資料を送って貰いました。
連歌は決まり事が沢山あるみたいです。
短歌もう少し上達して考えることにして延期保留。
手抜き家事ですがそれなりにすることもあり。
私の参加している歌会は、上手な人も、それほどでない人も玉石混交なので、必ずしも点が入らなかったといっても、めげる必要もないのです。
一読したときわかりにくかったら、点は入りません。
皆で読み合って、意味がわかれば、評価の高くなる歌も散見されるからです。
が、まあ最初の得点は、ひとつの目安にはなると思います。
私は、このブログと同じで、脚色しないでそのまま歌にするので、そのときによって評価が大きく異なります。
自分のための歌作りだと思えば、評価よりまず自分を納得させられることのほうが優先されます。
最近は、歌の評価ってなんだろうなどと思うことも多いです。