神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

ファミリーヒストリー〜斉藤由貴の母方祖父母は聾唖であった

2016年11月11日 11時30分41秒 | テレビ番組
毎週木曜日に放映されるNHK「ファミリーヒストリー」を録画して、時間のあるときに観るようにしている。

昨日はドラマ等で活躍中の女優(歌手?)斉藤由貴さんのファミリーストーリーだった。

この番組では心打たれることが多いが、昨日のは特に、由貴さんの母方のお祖父様、お祖母様が聾唖であられたということに注目した。

私は、聾唖でこそないが、難聴である。

聾唖であられたのは、由貴さんの母方祖父母の水島吉男さん夫妻だ。

由貴さんのお母様、淳さんは吉男さんの次女であられる。


2歳のときジフテリアの高熱のため聴力を失ってしまった吉男さんは、11歳で東京聾唖学校に入学をする。


吉男さんは将来のことを考えて裁縫科で学んだ。


卒業して裁縫所で働き始めるが、27歳のときに聾唖学校の後輩の君子さんと結婚をする。


生まれた子供の最初と二番目の子は、自分達が聾唖であるため、言葉の習得などを心配して、よそに預けて育ててもらうことにした。

が、三番目の子供である、由貴さんのお母様の淳さんからは手元で育てることにした。

淳さんには、親が聾唖であることの苦労はいっぱいあったという。

「唖の子だ、唖の子だ」といわれて、挙句の果てには「うつるから逃げろ」などとも。

昔とはいえ、何と理不尽なことを言うものだろう。(怒)

四女だった、淳さんの妹の清さんが覚えていることは、

吉男さんが当時住んでいた横浜駅に運賃割引の手続きに行くと、「唖が来たよ、聾が来たよ」といわれて追っ払われてしまったという。

吉男さんは当時小学1年生くらいだった清さんに「また来ればいい」と、にっこり笑ったと。

えらい人だと思う。

この清さんは、現在NHK手話番組のキャスターをしていられるから、ご存知の方もいるかもしれない。私も、どこかでお見かけしたお顔だと思いながら見ていたくらいだから。

吉男さんの帯作りの腕は確かなものだったが、しかし、戦時中は仕事がなかった。

それで駅で靴磨きとかしていたらしいが、その頃も、いつも笑顔を絶やさず明るかったという。

その笑顔が気に入られて、戦後、進駐軍の購買部の仕事に就くこともできたと。

その後、昭和25年に「水島帯裁縫所」を再開するが、聴覚に障害のある人を雇って、事業を大きくしていったらしい。

事業に力を注ぎながら、同時に、当時は、聴覚障害者が選挙演説を聴くことができないことに問題を感じて、選挙演説に手話をつける運動にも力を注いだ。昭和11年には、日本聾唖協会横浜部会も発足させている。

そんな生活の中で、一番誇らしかったのは、昭和33年の皇太子ご成婚に伴って正田美智子さんから帯の製作の注文があったことだったという。


番組中の斉藤由貴さんも、「自慢のおじいちゃんでした」といわれていた。

由貴さんのお父様の斎藤家の家系も紹介された。

お父さんの勉さんも、お母様の淳さんに負けないくらい苦労されている。

もともと秋田県の素封家だった由貴さんの曽祖父、斎藤巳之助は事業に失敗して息子の巳一郎をほったらかして雲隠れしてしまったらしい。巳一郎は貰い乳で成長するが、のち専売公社に勤めて高給取りになる。その後専売公社で一番の美人といわれていたキヨさんと結婚するが、キヨさんが由貴さんのお父さんの勉さん達を生んだあと離婚してしまう。最初お父さんに引き取られていた勉さんであったが、後に母親のキヨさんに引き取られて雪が布団に積もるような粗末な家に暮らしたという。

勉さん、淳さん、苦労した者同士は、一生懸命、由貴さんを育て上げたと。

また母方のお祖父さんの話に戻るが、斉藤由貴さんの活躍を誰よりも喜んでいたのが吉男さんだったという。

由貴さんが、初めて「徹子の部屋」に出演したときは、由貴さんは、聾唖の祖父母さんたちのために、特別にお願いして手話を付けてもらったらしい。

が、その番組が放映される3日前に吉男さんは大腸癌で亡くなり、その葬式の最中に由貴さんの出演した「徹子の部屋」は放映されたと。

だから皆ゆっくりテレビなど観ていられなかったと由貴さんの叔母さんが言っておられたが、でも、亡くなられたお祖父さんは、きっと見ていられたと思う。その魂はまだ地上に彷徨っていられたと思うから。

  今よりも差別はげしき世を生きし聾唖の人らの物語観る  biko

  華やかな斎藤由貴の影にゐる聾唖の祖父母のその一生よ  biko

  障碍者差別解消法といふ法ができても差別は続く  biko

  心無い言葉浴びせる人はまだ此の世にありて夢浅きかな  biko

しかし、吉男さんのお母様が障碍児を生んだという理由で離縁されたとは今の時代には考えられないことです。

吉男さんが聾唖になったのはお母さんのせいではなく、ジフテリアによる高熱が原因であったのに・・・。
 
  高熱でその子がつんぼになりしかばその母親は離婚をされし  biko

吉男さんは聾唖になった上に母親まで失って、どれだけ辛い思いをされたでしょう。

今はなき姑が、私の難聴を嫌って、私を苛めたことと多少は通じるかもしれません。

  難聴は忌み嫌われて苛めらるなりたくてなりし難聴ならねど  biko

「つんぼ」は差別語と言われていますが、差別語というのは、言葉にあるのではなくて、その心にあるものです。

「つんぼ」も、差別の心がなければ使っていいのです。「めくら」も?

「聴覚障害者」と言葉を変えても、差別の心のある場合は使用禁止語です。視覚障害者も。

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