神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

やっと咲き出した水仙

2017年03月17日 11時43分43秒 | 日記
ここ川西市は阪神地区では寒いほうなのだろう。やっと我が家のプランタの水仙が咲きだした。

この水仙は昨年植えたものではなく、数年前に植えた球根が花を咲かせてくれたのだ。

昨年秋は、チューリップとか花の球根をたくさん埋めたから、これから順次咲いてくれるだろう。

で、球根を埋めてあるプランタに踊り子草とかカラスノエンドウとか、いわゆる草草がたくさん生えてきていたから、先日ほとんど抜いてしまった。

が、考えてみると、私は変なことをしている。

これら草草も春になれば、かわいい花を咲かせてくれるのに、自分が埋めた球根のためにかわいい花を咲かすべく生えてきている草草を抜いたのだから。

抜きながらも、心が痛んだ。

が、放っておくと、いかにもなまけものの主婦のようだ。

いや実際なまけものだから、そう思われていいのだが・・・。

私たちは、いつからこんなふうに草草を抜く傲慢を身に着けたのだろう。

もうすぐお彼岸だ。

郷里のお墓には昨年夏以来行っていない。

そろそろ行かないと草が茂って大変なことになる。

が、遠方なので、行けるときにしか行けない。

つる性の草が生い茂ると手こずる。

我が家の墓地には、こうしたつる性の草だけでなく、ドクダミも生い茂る。

初夏に行くと、ドクダミが白い可憐な花を咲かせている。

が、これらも一気に抜いてくる。

植物は植物で子孫を増やそうと、どんどんその領域を広げようとする。

人間は、その領域を守ろうと必死になって抜く。

お互いかけがえのない地球に生まれ合せた者同士、お互いに譲り合って生きていくことはできないかとも思ってしまう。

そもそもお墓って必要なものだろうか?

草に覆われてしまっても、縁ある人々の心の中に住んでいれば、それで十分ではないかと思う時もある。

  プランタの黄の水仙は咲きだして春の彼岸の近づく気配  biko

 墓参りせよと近づく春ひがん墓遠ければすぐには行けぬ  biko

水仙の話から逸れてしまったが、水仙の花言葉は「うぬぼれ」なのだそう。

昔ナルシスという美少年が自分の顔の映った水面を見て、その顔に恋い焦がれて死んだ後に咲いたのが水仙だったとか。

自己愛も、過ぎると自分を殺してしまうのですね。

  梅の花すぎて水仙さきだしぬ自惚れといふ謂れをもちて  biko

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