静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 ≪ ボブ・ロバーツとのお喋り ≫  6/10 & 11 コラムについて

2021-06-11 22:59:39 | トーク・ネットTalk Net
▼ 6/10の内容<愛される中国に>を果たして中国語に誰か翻訳してくれたか? 怪しい。恐らく、ノー。うん、わかってる。ダメ元だ。翻訳してくれる在日中国人は手が後ろに回るだけだもんね。
  で、10&11日の内容を英語に直し、ボブに流した。以下は、それを巡っての会話の一部だ。噛み合わない事が多すぎたためか、私は疲れてしまい、哀しくなった。

(ボブ) ハイ、シャオ・リーパイ(小李白)。日本政府が、マスクだけじゃなく、Way of Living まで国民に指図するなんて。僕には想像も出来ない内容ばかりだが、有難う。日本に限らず東洋では、
     Tuning/Alignment (同調)が美徳で、Individualism (個人尊重)が欧米と比べ、ほぼ無いと聞いてたが、ここまでとはな。・・・・君のナマの言葉を聞いて驚いたぜ。
     そうなら、君が云うようにFascism に行くな、日本は。
(私)  ハイ、ボブ。驚くのも無理はない。フランス革命以来、独裁専制打破を歩み、(地場集団の)ネイションではなく(人為的国家の)ステイツを築いてきた君たちに、個人が尊重されない
     集団の存続は Unbelievable でしかないだろうね。 そう、ファシズムの過ちを日本は繰り返しやしないか?  これしか今の僕に憂いはない。
(ボブ) ・・・でも。何故、政府に指図される・それを止められない、なんてことが今でも日本ではあり得るんだい? 選挙も議会もシステムとして有るんだよね?
(私)  うん、カタチのうえではな。偶にはSNS で政府が影響を受ける場面は有るが、気まぐれで散発的だ。日本じゃ、代議制に民意が届かず、政治は民意で動いてないのだよ。。

(ボブ) おお、何と云えば好いのやら・・。 ところで、中国について君が述べている事。ふと感じたのは、東洋のチャンピオンを自任する中国と同じような帝国は西洋にあっただろうか?だよ。
(私)  アレキサンダー大王、或はローマ帝国の為政者たち。僕が思うに、彼らの時代には西も東も対立概念にはなっておらず、インド・中国、東洋側にも対立概念はなかったろう。
(ボブ) ふむ。。じゃ、何時から西と東は相手を知るだけから、対立/征服に向かったのか? というと<Age of Discovery=大航海時代>以降かな?
(私)  そう。ここで例外的に興味深いのが『モンゴル帝国』だね。If Story でナンセンスだが、若し『モンゴル帝国』の寿命がもっと長く続いたなら、世界史は今と全然違ってたな。
(ボブ) 大航海時代はなく、その後の中国の歴史も違ってたね。 ・・然し、モンゴルに限らず大陸民族はヨーロッパ世界と同じ面積の中で、異民族との興亡で鍛えられたので、西洋/東洋の
     対立概念は寧ろ西洋世界が想像するよりも強く保持したんだろうな。南北アメリカは、中国や親元の欧州が潜った異民族闘争を知らないまま来た。原住民を殺し追い払っただけだよ。
(私)  そこなんだよ、ボブ。大統領から庶民含まで、今のアメリカ市民に中国人が抱く世界史を通じた「東西文明対決」の感覚/怨念はあるか?  僕には、とても思えないんだ。
(ボブ) うん、中国人が腹に隠す東西覇権の決着覚悟なんて、アメリカだけじゃなくEUにも無いだろうな。 ・・・・ロシア人は、どうなんだろう?
(私)  さあ、ね。日本人から見るとロシア人は西洋だが、欧州文明の域内とは見做されてない? 昔も今も? だからEU と裸で交われないんかな。
(ボブ) うむ。そうだろうね。 ともかく、欧州文明の代表として、アメリカ人は中国人と同じホライズンに立たないと、不幸な結末になるかもね。
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≪ 「新しい生活様式」は戦時中にも唱えられ・推奨された!  コロナ下の日常に潜む ファシズムの危険 ≫

2021-06-11 07:45:26 | 時評
◆ 国際日本文化研究センター教授・大塚英志さん  毎日/特集ワイド記事(有料):抜粋転載
<「私たちは、コロナにも風邪にもかかりたくない。できれば身内にもうつしたくない。だからマスクもするし手洗いもする。その程度の倫理はあるわけです。でも、そうした
 個人の判断や倫理に基づく行動が、何か公的な意味があるように思わせること、これが、『暮らしのファシズム』
です」と大塚さんは答える。> ファシズム=全体主義=(共産・軍国・国家)主義

<断捨離をする、家庭菜園に挑戦する、マスクを手作りする……。外出がままならない中、そうやって個々人が、自宅での時間を楽しもうとすることは自由だ。
  だが、公権力が生活に介入し、そうした暮らし方を一つのモデルとして積極的に示すことは「私たちの中にある『個』を崩す最初のきっかけになる
」と大塚さん。>

<「マスクを着けることや生活を変化させることが個人の倫理ではなく公共的な意味合いを持った先には、道徳心や国を愛する心の強制が地続きで存在する。
 私たちは自分の行いが正しく公的なものだと思うと、公の体現者として、簡単に他人にその公を押しつける側についてしまう。それが一番危ない
のです」>

<だから必要なのは、「コロナ禍が終わった時に、マスク生活に順化した自分自身をきちんと捨てられるかだ」>と言う。
 私たちはマスクを着けることでのみ込んだ言葉、誰かに必要以上に強要してしまった「正しさ」を記憶し、作り変えられた暮らしをマスクと共に捨て去ることができるだろうか。
 コロナ後の社会が、「個」が失われた社会とならないために
【塩田彩】

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これ以上、私が付け加えるポイントはない。『長いモノには巻かれろ』『協調性』『~らしさ』『空気を読め』・・・こういったフレーズが今も無くならず<生きる知恵>になっている日本人社会。
だからこそ、我々は大塚教授の指摘する<危なさ>を先回りして予防せねばならない。”同調圧力”を敏感に察知し警戒する習慣が日本ではゼロ。 それは強制を拒む『個』の確立が無いためだ。
それが<日本の伝統>であり<歴史>であり、忘れてならないのは、『個』の不在が明治以来の過ちの歴史を辿った原因でもある事。

鎖国から開国へ明治政府は被植民地化を免れ、産業近代化には成功した。だが、西洋から学び吸収したのは科学技術と中央集権統治システムであり、「個の確立」「基本的人権と自由の擁護」は
取入れずに打ち捨ててきた。これが明治維新の負の側面・負の遺産である。負の側面を認める事は敗戦後も不徹底なまま”明日のメシ”確保に走り、日本社会の基本構造を変えようとしなかった。
  

 自民党支持勢力&支持する有権者層は、その構造を是として変えたくない人々だ。事実、世紀が新しくなってもなお、変えたくない人々が多数を構成している現実がず~っと続いている。 
 ≪ 同じ過ちを繰り返す ≫=それは個人でも国家でも「愚か者である」と形容するしかない。 ・・・我々は、これからも同じように、愚か者に甘んじるか?
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