静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 ≪ スポーツ選手・芸能出演者へのインタヴュー ≫  何を・何の為に/誰から聞きたい・言わせたいのか?   誰にも”答える義務”があるのか?  プロだから選手の人権配慮は不要?

2021-06-06 07:29:59 | 文芸批評
💛 プロテニスの大坂なおみ選手が気分の優れぬ時のインタヴューを断った事から、色々な論評が飛び交っている。プロテニス以外のプロスポーツにおいて、今回と似たような
  ”インタヴュー会見に応じる義務”は有るのだろうか?

💛 此の疑問は「プロ選手だから協会やスポンサーの要求には絶対に応えねばいけないの? でも、アマチュア選手でもインタヴューは求められ・受けているな」との比較検証に向かう。
   今回も含めたオリパラを頂点とする”スポーツ界全般の商業化”を一概に全否定はできないとすれば、寧ろインタヴューを受ける義務云々の前にあるべき議論は?

💛 例えば、大相撲や日本のプロ野球。勝利・優勝した力士、ホームランなど勝利に貢献した選手や勝ち投手、これらのスター選手はインタヴューを受けるが、反対に敗れた側の選手まで、
   毎回、マイクの前に立たされる場面は無い。時間を置いた別企画や番組で「今季の反省~」などと云う苦い言葉を吐きださせる試みは昔からある。だが、それも強制ではあるまい。
  同様に、アマスポーツの各種大会の放送を視ていると、敗者(チーム)がいつも強制的にマイクの前に立たされてはいない。 多分、断る自由があるのだろう。

◆ となると「プロだから当然の義務だ」云々ではなく、<全身全霊を投じて敗れた直後で、精神的に楽ではない選手にも等しく強制的に語らせる風習>とは、人権擁護における
  善悪価値判断からしてどうなのか? いま問われてるのは、強制する正当性についての設問ではないのか? そこにプロ/アマの区別が有ってはなるまいし、運営団体やスポンサーの有無が
  <強制>を正当化して良いのか?・・の問いかけだ。 商業化した五輪に似た構図がここにも見える。 プロで金儲けするのだから全て黙って耐えろ、というのか。

  同じプロテニス選手の錦織圭氏がそういう趣旨の発言をしたが、そこに『拝金主義』の心貧しさ・哀しさを貴方は感じないだろうか? 私は感じた。

💛 どんな競技にせよ、競技場/お茶の間を問わず、ファンが真っ先に聴きたいのは「勝者」「敗者」どちらの声だろう? 勝者が自分の贔屓にしている側ではない場合でも、ファンは選手から
  何を聴きたいだろう? 選手の努力が報われた結果を共に祝いたい、楽しんだ時間の余韻を長く味わいたい。其の気持ちでファンはインタヴューを待つのでは? 貴方は敗者の弁を聴きたいか?

  ・・・そこに、全仏テニス協会のように<買っても負けてもメディア会見はMust だ>と言う理屈は介在して良いか? 其の理屈は(プロアマ問わず)ファンの気持ちに沿うものだろうか?

 何よりも、スポーツ・芸能どれをとっても「ファン」あってこそ成り立つ。プロなら一層それは敏感であり、ファンの気持ちに沿わない団体はテ痛いしっぺ返しに遭う筈だ。深謀遠慮を望みたい。
コメント
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