静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 池袋暴走事故 ≪ 悔い改めない犯罪者に どうすれば思い知らせることが出来るのか? ≫   罪を認めない89歳に どう引導を渡せば良いのか?  裁判制度とは? 正義とは?

2021-06-05 16:05:24 | 時評
◆ 池袋暴走事故 「私は鬼になる」 そう語る松永さんの真意とは:(柿崎 誠) 抜粋転載
・ 最初に申したい。此の記事はネットであれ、スマフォからであれ、自由に誰もが読んで欲しい素晴らしい内容だ。それが「有料記事」扱いゆえ、毎日新聞購読者でない限り途中までしか読めない。
  新聞社の経営戦略上、大事な記事の有料差別化が長期的に見て、本当に読者を獲得し、望ましいメディアの存在価値を増すことに繋がるのだろうか? どうしても私は疑問でならない。

▼ <4月27日の公判では初めての被告人質問が行われた。車の記録装置にアクセルペダルを踏み込んだデータが残っていたことが明らかになっている中、被告は「アクセルを踏んでいないのに、
   エンジンが高速で回転して加速した」「アクセルペダルが(運転席の)床に張り付いているのが見えた」などと無罪を主張した。
     松永さんは公判後の記者会見で「荒唐無稽(むけい)な主張をされ続け、事故後、一番絶望した」と話した>

1) 東京・池袋で2019年4月に起きた乗用車の暴走事故で妻子を亡くした松永拓也さん(34)へのインタヴュー:『僕は三つのことを言い聞かせて裁判に参加しています。』
  <一つは、この先も生きていかなければならない僕たち親族が将来、やれることはやったと思えるようにしたいということ。>
  <二つ目はこれだけ大きな交通事故が、軽い罪で終わる前例を作ってはいけないということ。>
  <三つ目は、法律や免許制度、車の技術、地方の高齢者の足をどう解決するのかなど事故を防ぐためにどうすればいいのか、国全体の議論につながってほしいということです。>

2) <松永さんは事故後、「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」に加わり、高齢ドライバーの事故対策を国に要望するなどの活動を続けている。20年に道路交通法が改正され、22年には75歳以上を
   対象に、一定の違反歴がある場合は免許更新時の「実車試験」(運転技能検査)が義務化される。また、自動ブレーキなどを搭載した車だけを運転できる限定条件付き免許も導入される>

 <免許更新時の実車試験の義務化は大きな一歩だと思います。ただ、不合格になって免許を更新できない人に対するサポートが追いついていないような気もします。特に地方で免許を更新できない
  高齢ドライバーへの支援は十分でしょうか。地方の高齢者の足をどう確保するかという本質を突き詰めないと根本的な解決にはなりません。
  口で言うのは簡単なことだとは分かっていますが、遺族だからこそ、理想論を語っていかなければいけないと思います。

 <例えば高齢者向けのタクシーチケットの利用拡大やバスの増便など解決に向けたさまざまなアプローチがあるはずです。生きがいとしてハンドルを握りたい人には、コンパクトカーという選択肢も
  あります。車メーカーによる自動ブレーキなどの安全対策技術の向上はもちろん大事ですが、それだけで事故はなくせません。
  高齢者の運転免許の返納は家族の「説得」に委ねられているのが現状ですが、免許を手放しても幸せを追求できるようにサポートするのが国の義務ではないでしょうか>
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)では、遺族として裁判にどう臨み・何をすべきか、を的確に見据えているのが解る。2)は、ドライヴァーの事故防止策と周辺措置の整備課題を具体的に指摘・提言しており、何人も否定できまい。
 
松永さんは34歳というから、その若さで苦悩と向き合い、楽しかるべき人生をず~っと憎悪で生きねばならない。 何と罪深い仕打ちを飯塚被告はしたのか?  それも分かっていないんだろうな・・・

本コラムで何度も私は飯塚被告の卑怯で下劣な言動を非難してきた。愛する妻子を奪われた松永さんの胸が張り裂けんばかりの怒り/悲しみを想像も出来ず、或は意図的に無視し続けられる神経はいったい
どう理解できるのだろう? 何が老い先短い被告をここまで支えているのか? 罪の意識が本当にあれば、物証無きメカニカルトラブルなどと言い逃れを続ける根気は失せる筈ではないのか?
もう、私には狂人としか見えない。 だが被告は心神喪失を訴えるのでもなく、過失の否定に勤しみ続ける。配偶者も健在なら、同じ心境で自己保身に回っているのか? 恥を知れ!!!
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 ≪ コロナ・ウイルス感染拡大で 見えてきたこと・思うこと ≫   日本人全体が 迂闊さと遅れをいさぎよく認め 外国に学べるか?  遅れを認めるのは敗北じゃない

2021-06-05 07:56:03 | トーク・ネットTalk Net
◆ 日本人・日本社会のチカラ/実力の無さが明らかになった
・ パンデミック(世界的流行)と呼ぶだけあって、図らずも”コロナ感染対応”に各国の見せた事態収集への経緯は、広い意味での「国力」「潜在的能力」を白日の下に晒した。
  それは、<国民生活への強制力と合意形成・感染現状把握&ワクチン接種体制へのIT応用力・薬事行政&開発対応力、緊急事態における国民と国家の関係性>などに顕われた。
  日本国民は残念だが、欧米に限らず、アジア諸国との比較においてさえ、これらの局面全てに、日本国は秀でた面が何も無い現実を日々痛感する毎日である。

 『喉元過ぎれば~』の諺がある。政府はオリパラを何とか無理クリこなして逃げたいが、国民まで『全てシャンシャン!悪い事は水に流そう』に終らせては絶対にいけない。それは自滅だ。

◆ ウイルス流行は天災だが、対応の遅れは「人災」だ

・ 上に挙げた切り口:<国民生活への強制力と合意形成・感染現状把握&ワクチン接種体制へのIT応用力・薬事行政&開発対応力、緊急事態における国民と国家の関係性>に観られる遅れ/対応力
  不足の原因を個別に・偏見なく分析し、改善策を皆で練ることからキャッチアップの道が拓ける筈だ。政治家、自治体幹部、各界専門家、メディアは今度こそ教訓から学ばねばならない。  
 「東日本大震災」「福島原発崩壊」「繰り返される疫病流行(MERS/SARS)」これらの教訓全てから日本人は先を読まず、ノー天気にやり過ごしてきた。それは『水に流す文化』の敗北である。
 
・ 高度成長期の成功体験から今も醒めず<優秀な日本人・ニッポン>の幻影を未だ捨てきれない人が多い。幻影を追う限り、変わってしまった世界への戦略構想力が磨かれることはない。
  幻影を抱く人の多くは高齢者だが、逆に若年層は幻影を持たぬまま、かといって、模範も示されずに右往左往してきた。そして、シラケ切って居る。
   この二極分化こそが日本における≪国民の分断≫であり、政治力の低下を招いている真因であろう。 政治力の低下、イコール国力の低下になっている、この現状が何よりの証拠ではないか!

 統治能力を失った過去世代が牛耳る政治へ若い世代が向ける不信/絶望。投票しない若者のお陰で、歪んだ選挙制度でも勝てる自公政権。その恩恵に与る支持団体。此の構造が「人災」を生んでいる。
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