静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 オリパラを強行突破する政府の意思は変わらない  いったい何が”アスリートファースト”なのか?  高校野球も文化イベントも中止になった。  泣いた人たちはたくさんいたのに

2021-06-04 18:30:28 | 時評
★ 記者もモヤモヤ…東京五輪「選手の努力をムダにするな」論:吉井 理記 
<SNSを通じて「五輪出場を辞退して」といった声が寄せられた池江さんは「中止を求める声が多いことは当然のこと」「決まったことは受け入れ、やるなら全力で、ないなら次に向けて頑張るだけ」
  などとツイート(5月7日)。コロナ感染の経験があるテニスの錦織圭選手も「究極を言えば、1人でも感染者が出るなら(開催は)気は進まない」(5月10日のイタリアでの試合後に)と述べた。

 <「『安全・安心』とだけ繰り返す菅さんより、選手たちのほうがよほど深く考え、発言していますよ。菅さんと比べるのも失礼なくらい。『開催できるなら一緒にやりましょう、でも今は難しい
  のではないか』と選手の方が言っているんです」スポーツライターの草分け、玉木正之さん(69)>。<

<「その選手たちがかわいそうだから、気の毒だから、というのは、選手やスポーツをバカにした失礼な話です。開催するために選手を利用している、とも言えますし。選手だって
 『かわいそうだから開催する』なんて意見を言われてもうれしくなんかないですよ」昨年は高校野球も文化イベントも、多くが感染拡大を防ぐために中止になった。泣いた人たちはたくさんいた。
  人生を懸けてきた人も多いでしょう。厳しいことを言えば、何も五輪だけを特別扱いしなければならない理由はないんです」念のために付言すると「みんなガマンしているのだから五輪もガマンせよ」
  といった「ガマン比べ」のような話ではない。>

<「そこまで開催にこだわるなら、感染拡大リスクを少しでも下げるため、五輪以外で注目される機会の少ない種目に絞り、規模を縮小して開く手もあったはず。『中止は選手が気の毒』という以前に、
 こんな状況に追い込まれた選手たちがまず気の毒です。さまざまな報道にある通り、金もうけの権化のような五輪で良いのか、そもそも五輪とは一体何か。最初から考え直すべきではないですか」
  (玉木正之さん)>


* <「選手の輝く姿から元気をもらいたい」(5月27日付産経新聞「産経抄」)という意見もある。気持ちは分かるが、政府が五輪の開催基準を説明できていない現状では、五輪から「元気をもらう」
   気分にはどうしてもなれない。(吉井)> 
  

← 私は此の『元気をもらう』という言い回しに潜む胡散臭いものを何時も感じてきた。 其の延長線上に”コロナで分断された世界を一つにするため”という奇天烈なお題目まで出てきた! ご存知か?
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≪ アメリカの死刑執行の可視化にみる 司法制度の透明性 ≫  日本では 被害者/死刑囚遺族/弁護士でも 執行後の事後連絡! ここに潜む民主と人権意識の欠如

2021-06-04 07:54:21 | 時評
◆ 死刑執行の場に「記者がいない」とは=小倉孝保 (毎日・論説委員)  抜粋転載
1.<米国の連邦政府や各州は死刑執行に際し、犯罪遺族や死刑囚の家族、そしてジャーナリストが立ち会えるよう規定している。>
  <一方、死刑を維持するもう一つの民主国家、日本では死刑囚の家族や弁護士に連絡が入るのは執行後である。被害者遺族でも執行に立ち会えない。記者が現場で取材することは想像すらできない。
   そのため、どうやって死刑が執行されているのか、日本人は知らない。どれだけ凶暴な死刑囚であっても、可視化されない状況で強制的に命を奪うことは、民主的ルールに反していると私は思う。>

  <死刑は権力が法に従い、人命を奪う。執行してしまえば、取り返しがつかない。そのため死刑を維持するには執行時の徹底した透明性が必要で、それを確保するために記者の立ち会いが不可欠
   である。死刑制度への賛否に関係なく、米国ではそう考えられている。
> ← 死刑執行に限らず、日本にこのような「透明性」は有るか?  遺憾なことに”ゼロ”と云うしかない。

2.<米国の死刑囚は執行直前、マイクを使っての発言が許される。ジョーンズ死刑囚はこう述べた。「支援してくれた友人に愛を。彼らは大空のような存在だった。残される人々が、悲しみではなく、
   良き思い出と幸せに満たされることを希望している」  ~~日本では、こうした言葉を知ることもできない。>

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★ 重大犯罪への刑罰としての死刑を認めるかどうか、それは前にも書いたが≪罪と罰≫≪悔悟・更生 vs 被害者側の感情≫に拘わる考え方&感情なので、単純な善悪判断を私はしない。小倉論説委員も
  制度の是非には触れていない。 小倉氏が引用部分で指摘しているのは、次の2点である。
 (1)民主国家を標榜するクニの法制度としての死刑制度である限り、確定死刑囚であっても基本的人権は尊重せねばならず、其の否定は≪悔悟と更生≫尊重原則と矛盾する。
 (2)死刑執行時の非公開・可視化の否定は、国民に開かれた法制度を前提にする民主主義と相容れない。

* (1)は、少年法対象者や初犯と認定された者へ<更生の可能性>を配慮・期待する人権擁護精神と相反するし、悔悟の声すら公にさせないのは犯罪抑止の観点からも愚策ではないか。
  (2)のポイントは『取り調べの可視化(録画/録音)』が進まない現状が象徴する、日本の司法制度全般に横たわる非民主精神を指している。
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