★☆★ 毎日【余禄】「フェスク・ブドラ」とは… https://mainichi.jp/articles/20210624/ddm/001/070/132000c?cx_testId=123&cx_testVariant=cx_9&cx_artPos=0#cxrecs_s
<「フェスク・ブドラ」とはラテン語で「汝(なんじ)の欲するところを為せ」。評論家の立花隆(たちばな・たかし)さんが若いころ大学時代の友人らと東京・新宿のゴールデン街に開いたバー
「ガルガンチュア立花」に掲げた標語という> それはまた、<何者にも縛られない自由を示す「フェスク・ブドラ」は仏ルネサンスの人文主義の標語という。>。
・・・・私思うに、ルネサンス期に留まらず、たぶん、フランス文化には今でも此の標語精神が根付いている。
⇒ 因みに、バーの名前に付けた(ガルガンチュア)とは、フランソワ―・ラブレー(1483?-1553年)の連作パロディー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』から取ったと思われる。
同書を読んだ方は想像できようが、其のパロディーとは、中世の一大権威であった<ソルボンヌ大学&キリスト教会>の権威主義を皮肉るものであり、立花氏の生き様を若い頃から体現している。
立花氏にとり≪欲するところをなす≫とは、(不思議に感じたこと、解明できないこと、道理に外れる事)全てへの縛られない好奇心+探求心に従う事だったのだろうと私は思う。見倣いたい。
<「田中角栄研究」で田中内閣退陣をもたらし、後にロッキード事件の法廷も記録し続けた立花さんだ。その思考は共産党、農協、東大、さらに宇宙体験、脳死、サル学、臨死体験にも向かい、
人と文明の根源を探る壮大な知の旅をくり広げる>
◆ 私が氏の著作で読後感を最も強く記憶するのは「宇宙からの帰還」だ。月面着陸含むアメリカ代々の宇宙飛行士たちに可能な限りのインタヴューを行った内容をまとめたもの。
氏は、地球に戻ってきた宇宙飛行士たちの人生をフォローしつつ、彼らの生命観/宗教観/哲学的思惟における変化が有ったとすれば、それはどういうものか?を実に克明に描いた。
▼ アメリカから帰国後、私は異文化対比や東西文明の差異、そして一神教ワールドのアメリカ社会に住んだことから、人類史に於いて≪宗教≫が果たしてきた意味について考え始め、
(人生の黄昏に近づく年齢にさしかかった事もあり)哲学&宗教に関する主要な書籍を(殺人的に多忙ながらも)濫読した。「宇宙からの帰還」は其の中の1冊であった。
文字通り何度も何度も私は読み返したが、取り分けて私が感銘を受けたのは、飛行士により地球帰還後にキリスト教的世界観や「God」認識について正反対の立場に別れていったという部分だ。
素朴な疑問・・・何かを無条件に信じるとはどういうことなんだろう? 何故、言葉と論理で世界を作ったヨーロッパ文明の人たちまで何故信じられるのか? 超越者が何故要るのか?・・・・
友人に差し上げ、手元に無いので具体的な人名を挙げられないが、或る人は宇宙から地球をみたことで「God」の存在をいよいよ狂信的なまでに確信したが、別の人物は「God」の存在を
全く信じなくなり離婚したという。 同じ体験をしながら、真逆の方向に思惟が向かう。それは極めて興味深いだけに留まらず、意味深長である。
幼い頃から家庭/学校で刷り込まれる信心の習慣と宗教。一神教を長く抱えてきた民族・文化圏で成長した者にあって、「God」認識への疑いは、まさに天地が裏返るほどの体験だったろう。
そこで。日本人でさえ、もう何人もNASA或はロシアの宇宙船/宇宙ステーションで過ごした。其の日本人飛行士達は地球や月を宇宙空間から何度も観てきた。
日本人飛行士も、アメリカ人飛行士同様に、同様の宇宙滞在体験は(何らかの宗教観念)または(理屈抜きに信心すること)に画期的な変化をもたらしたのか?? 是非とも聞いてみたいものだ。
彼/彼女が一神教信者ならば? そうでない場合はどうか? どちらの答えも、アメリカ人とは違う角度から『人間にとり宗教とは何?』の基本命題に何某かのヒントを示すであろう。
立花 隆さん、本当に有難う。 安らかに。 合 掌
<「フェスク・ブドラ」とはラテン語で「汝(なんじ)の欲するところを為せ」。評論家の立花隆(たちばな・たかし)さんが若いころ大学時代の友人らと東京・新宿のゴールデン街に開いたバー
「ガルガンチュア立花」に掲げた標語という> それはまた、<何者にも縛られない自由を示す「フェスク・ブドラ」は仏ルネサンスの人文主義の標語という。>。
・・・・私思うに、ルネサンス期に留まらず、たぶん、フランス文化には今でも此の標語精神が根付いている。
⇒ 因みに、バーの名前に付けた(ガルガンチュア)とは、フランソワ―・ラブレー(1483?-1553年)の連作パロディー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』から取ったと思われる。
同書を読んだ方は想像できようが、其のパロディーとは、中世の一大権威であった<ソルボンヌ大学&キリスト教会>の権威主義を皮肉るものであり、立花氏の生き様を若い頃から体現している。
立花氏にとり≪欲するところをなす≫とは、(不思議に感じたこと、解明できないこと、道理に外れる事)全てへの縛られない好奇心+探求心に従う事だったのだろうと私は思う。見倣いたい。
<「田中角栄研究」で田中内閣退陣をもたらし、後にロッキード事件の法廷も記録し続けた立花さんだ。その思考は共産党、農協、東大、さらに宇宙体験、脳死、サル学、臨死体験にも向かい、
人と文明の根源を探る壮大な知の旅をくり広げる>
◆ 私が氏の著作で読後感を最も強く記憶するのは「宇宙からの帰還」だ。月面着陸含むアメリカ代々の宇宙飛行士たちに可能な限りのインタヴューを行った内容をまとめたもの。
氏は、地球に戻ってきた宇宙飛行士たちの人生をフォローしつつ、彼らの生命観/宗教観/哲学的思惟における変化が有ったとすれば、それはどういうものか?を実に克明に描いた。
▼ アメリカから帰国後、私は異文化対比や東西文明の差異、そして一神教ワールドのアメリカ社会に住んだことから、人類史に於いて≪宗教≫が果たしてきた意味について考え始め、
(人生の黄昏に近づく年齢にさしかかった事もあり)哲学&宗教に関する主要な書籍を(殺人的に多忙ながらも)濫読した。「宇宙からの帰還」は其の中の1冊であった。
文字通り何度も何度も私は読み返したが、取り分けて私が感銘を受けたのは、飛行士により地球帰還後にキリスト教的世界観や「God」認識について正反対の立場に別れていったという部分だ。
素朴な疑問・・・何かを無条件に信じるとはどういうことなんだろう? 何故、言葉と論理で世界を作ったヨーロッパ文明の人たちまで何故信じられるのか? 超越者が何故要るのか?・・・・
友人に差し上げ、手元に無いので具体的な人名を挙げられないが、或る人は宇宙から地球をみたことで「God」の存在をいよいよ狂信的なまでに確信したが、別の人物は「God」の存在を
全く信じなくなり離婚したという。 同じ体験をしながら、真逆の方向に思惟が向かう。それは極めて興味深いだけに留まらず、意味深長である。
幼い頃から家庭/学校で刷り込まれる信心の習慣と宗教。一神教を長く抱えてきた民族・文化圏で成長した者にあって、「God」認識への疑いは、まさに天地が裏返るほどの体験だったろう。
そこで。日本人でさえ、もう何人もNASA或はロシアの宇宙船/宇宙ステーションで過ごした。其の日本人飛行士達は地球や月を宇宙空間から何度も観てきた。
日本人飛行士も、アメリカ人飛行士同様に、同様の宇宙滞在体験は(何らかの宗教観念)または(理屈抜きに信心すること)に画期的な変化をもたらしたのか?? 是非とも聞いてみたいものだ。
彼/彼女が一神教信者ならば? そうでない場合はどうか? どちらの答えも、アメリカ人とは違う角度から『人間にとり宗教とは何?』の基本命題に何某かのヒントを示すであろう。
立花 隆さん、本当に有難う。 安らかに。 合 掌