静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

 ≪ 立花 隆さん の 死 を 悼 む ≫

2021-06-24 15:33:49 | 時評
★☆★ 毎日【余禄】「フェスク・ブドラ」とは… https://mainichi.jp/articles/20210624/ddm/001/070/132000c?cx_testId=123&cx_testVariant=cx_9&cx_artPos=0#cxrecs_s
<「フェスク・ブドラ」とはラテン語で「汝(なんじ)の欲するところを為せ」。評論家の立花隆(たちばな・たかし)さんが若いころ大学時代の友人らと東京・新宿のゴールデン街に開いたバー
  「ガルガンチュア立花」に掲げた標語という>  それはまた、<何者にも縛られない自由を示す「フェスク・ブドラ」は仏ルネサンスの人文主義の標語という。>。
  ・・・・私思うに、ルネサンス期に留まらず、たぶん、フランス文化には今でも此の標語精神が根付いている。

 ⇒ 因みに、バーの名前に付けた(ガルガンチュア)とは、フランソワ―・ラブレー(1483?-1553年)の連作パロディー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』から取ったと思われる。
   同書を読んだ方は想像できようが、其のパロディーとは、中世の一大権威であった<ソルボンヌ大学&キリスト教会>の権威主義を皮肉るものであり、立花氏の生き様を若い頃から体現している。    
   立花氏にとり≪欲するところをなす≫とは、(不思議に感じたこと、解明できないこと、道理に外れる事)全てへの縛られない好奇心+探求心に従う事だったのだろうと私は思う。見倣いたい。

<「田中角栄研究」で田中内閣退陣をもたらし、後にロッキード事件の法廷も記録し続けた立花さんだ。その思考は共産党、農協、東大、さらに宇宙体験、脳死、サル学、臨死体験にも向かい、
  人と文明の根源を探る壮大な知の旅をくり広げる>  

◆ 私が氏の著作で読後感を最も強く記憶するのは「宇宙からの帰還」だ。月面着陸含むアメリカ代々の宇宙飛行士たちに可能な限りのインタヴューを行った内容をまとめたもの。
  氏は、地球に戻ってきた宇宙飛行士たちの人生をフォローしつつ、彼らの生命観/宗教観/哲学的思惟における変化が有ったとすれば、それはどういうものか?を実に克明に描いた。

▼ アメリカから帰国後、私は異文化対比や東西文明の差異、そして一神教ワールドのアメリカ社会に住んだことから、人類史に於いて≪宗教≫が果たしてきた意味について考え始め、
  (人生の黄昏に近づく年齢にさしかかった事もあり)哲学&宗教に関する主要な書籍を(殺人的に多忙ながらも)濫読した。「宇宙からの帰還」は其の中の1冊であった。 
   文字通り何度も何度も私は読み返したが、取り分けて私が感銘を受けたのは、飛行士により地球帰還後にキリスト教的世界観や「God」認識について正反対の立場に別れていったという部分だ。
  素朴な疑問・・・何かを無条件に信じるとはどういうことなんだろう? 何故、言葉と論理で世界を作ったヨーロッパ文明の人たちまで何故信じられるのか? 超越者が何故要るのか?・・・・

   友人に差し上げ、手元に無いので具体的な人名を挙げられないが、或る人は宇宙から地球をみたことで「God」の存在をいよいよ狂信的なまでに確信したが、別の人物は「God」の存在を
  全く信じなくなり離婚したという。 同じ体験をしながら、真逆の方向に思惟が向かう。それは極めて興味深いだけに留まらず、意味深長である。

  幼い頃から家庭/学校で刷り込まれる信心の習慣と宗教。一神教を長く抱えてきた民族・文化圏で成長した者にあって、「God」認識への疑いは、まさに天地が裏返るほどの体験だったろう。
   そこで。日本人でさえ、もう何人もNASA或はロシアの宇宙船/宇宙ステーションで過ごした。其の日本人飛行士達は地球や月を宇宙空間から何度も観てきた。
  日本人飛行士も、アメリカ人飛行士同様に、同様の宇宙滞在体験は(何らかの宗教観念)または(理屈抜きに信心すること)に画期的な変化をもたらしたのか?? 是非とも聞いてみたいものだ。
   彼/彼女が一神教信者ならば? そうでない場合はどうか? どちらの答えも、アメリカ人とは違う角度から『人間にとり宗教とは何?』の基本命題に何某かのヒントを示すであろう。

  立花 隆さん、本当に有難う。 安らかに。     合 掌
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 ヘイト/差別発言を懲りずに続けるDHC会長 ⇔ ビジネスを止めようとしない取引き先&自治体、  DHC社員たち。。。。沈黙/無言は同罪だよ!

2021-06-24 07:43:35 | 時評
★ 毎日・朝刊≪ DHC会長の差別文章 動いた関係自治体と取引先 効果と限界も ≫  此の記事は、DHC社と何らかの提携関係にある自治体が見せた民族差別への対応をまとめており、
  去る5月20日掲げた以下の内容と併せて読まれると理解が深まるだろう。<差別する側/される側>当事者以外の反応をフォローアップしたのは実に大事な視線であり、喜ばしい。 
  (残念なことに、またも毎日新聞購読会員向け有料記事なので、要点の抜粋転載となることをご容赦願いたい)。

5/20≪ 健康食品などの販売会社:DHC吉田嘉明会長(80) またも「ヘイト声明」 ← 確信犯の処罰はどうしたらいい? :差別は<思想&言論の自由>の対象外だ、忘れるな!≫
  ◆ なぜ差別者は「被害者」を装うのか  抜粋転載:【吉井理記/毎日・デジタル報道センター】

 A. 消極姿勢の町長を動かした議会
  神奈川県松田町では消極姿勢を示した首長を議会が動かした。本山博幸町長は6月3日の町議会全員協議会で、文章が削除されなければ解消も考えたとしつつ「協定項目に違反したわけではなく、
  会長も反省していると説明を受けた
」などとして協定維持を表明。
  だが、町議会は「削除したか否かにかかわらず直ちに関係を絶ち、マイノリティーを守る社会の責務、地方公共団体として誰をも尊重する責務を重く認識しなければならない」として協定破棄を強く
  求める決議書を同7日に全会一致で議決した。これを受けて町は協定を解消する方向だ。

 B. 一方で協定継続を決めた自治体も
  同社の工場が立地する北海道長沼町と静岡県御殿場市は差別を批判しつつ、謝罪や再発防止の意思を確認したと説明。会長の出身地で系列ホテルがある佐賀県唐津市は取材に
  「個人の発言であり、市として考えを述べる立場にない
」とし、同社工場やホテルなどがある静岡県伊東市は「会長の発言と協定は直接関係していない」として、いずれも継続する。

私が黒太字にした部分。ここに見過ごせない、≪同じ社会に暮らす人間として見過ごせない≫問題が潜んでいる。お気づきだろうか?  差別の問題は、ヒトゴトではない。

A.で言えば(差別発言と協定項目の直接的関連性の有無)を協定解消の判断基準にしようとしたこと、それは差別という「人権侵害の絶対悪」をビジネス価値と天秤に懸けようとする姿勢が、
 人の倫理として正しいのか? という視点が町長に欠けている
からだ。まして、DHC会長が本当に反省しているか否か、それは同社の現在までの変わらぬ対応で一目瞭然ではないか?
 それは、B.にある北海道長沼町と静岡県御殿場市の(謝罪や再発防止の意思を確認したと説明)同様、批判を無視し続ける態度に照らせば如何にナンセンスな釈明か、子供にもわかる。

B.の場合、静岡県伊東市の説明は、A.の神奈川県松田町と全く同じである。 そして佐賀県唐津市の「個人の発言であり市として考えを述べる立場にない」これこそ聞捨てならない重大な誤りだ。
 何故なら、いくら非上場であろうが、企業は公器である。創業者で代表取締役会長の立場にある者が人権侵害の言葉を公然と社会に放つ行為、それを「個人の発言であり」と擁護するのは同罪だ
 DHC会長の出身地だから憚ったのか? と思われているだろう。それを善しとするのか、唐津市の有権者は?

* 此の記事中には、記者3名【益川量平、日高七海、古川幸奈】が全国の様々な自治体の見せたDHC会長発言や広告への反応を整理した表がQRコード化されているので、転載する。
                             
 本件を特集した『文春オンライン』https://bunshun.jp/articles/-/42628  URL も参考までに載せておく。  ともかく、ひどい。
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