静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 川淵三郎氏、五輪報道に「不満でも協力を」 記者に協力要請 ≫  ”なしくずし”で『決まったことなんだから もう言うな!』の論法   情緒に訴え・最後まで論理で通し切れない日本人よ

2021-06-21 08:12:28 | 時評
https://mainichi.jp/articles/20210620/k00/00m/050/132000c?cx_fm=mailasa&cx_ml=column&cx_mdate=20210621
★ <東京オリンピック・パラリンピックの選手村(東京都中央区晴海)の報道陣向けの内覧会が20日行われ、村長を務める元日本サッカー協会会長の川淵三郎氏(84)が
  「① 国民の大半は開催に賛成していなかったが、ここに来て『オリンピックはしょうがないかな』という形で認めてもらっている」と述べた> さらに

  「② 国内の需要だけで五輪を開催するかどうかという議論ばかりがなされている。五輪・パラリンピックは国際社会に約束したイベントであるという立場での議論がほとんど行われていない」
   と不満も示した。>

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 ”何事も情緒ではなく道理で考える習慣”の身に付いた人ならば、①②とも政府要人・国会議員の発言でお馴染みの『誤魔化し・摩り替え』に過ぎない、と直ちにお気づきであろう。

* 川淵氏が①で使う『誤魔化し・摩り替え』は、諦めが早く≪ここに来て『~はしょうがないかな』≫という気分になりやすい日本人の感性を当てにして、雪崩込もうという作意である。
  此の感性を利用した作意に訴える対象は何もオリンピックに限らない。『もう土壇場なんだから、黙れ!』・・・日本の何処でも聞かれる台詞そのものではないか?

* ②のどこがオカシイか?  それは≪国内の需要だけで五輪を開催するかどうかという議論ばかりがなされている≫と、疫病感染への懸念(=ヒトの生命)を『国内の需要』と経済用語で片付ける
  神経であり、はからずも【ビジネスとしてのオリパラ体質】を暴露した言葉だから
である。つまり(諸外国よりも感染者数/死亡者数が少ないから命よりカネで良いんだ)と言っているに過ぎない。

 それに、オリパラ開催都市に立候補し招致契約を結んだ事は「国際社会に約束した」ことであるのか?  IOCとの間では契約関係を結んだので「約束」と云う表現は外れてはいない。
 契約で約束を交わした相手はIOCであり、世界各国ではない。IOCイコール「国際社会との約束」とは言い過ぎだろう。 ここも<日本人が弱い「国際社会に約束した」>という言葉で泣きを入れ、
 情緒に訴えているわけだ。
  それは、19日(ハリボテ先進国)に掲げた<虚妄の国威><グローバル・スタンダードコンプレックス>の裏返しでしかない。平たく言うなら<見栄を張りたい一心>でしかない。  
 
★☆★  ”何事も情緒ではなく道理で考える習慣”を嫌い、摩り替えに流されてしまう事を止めようとしない。。。嗚呼、何とも情けない国民性ではないか! 
コメント
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