ご機嫌よう読者諸賢、ハウリンメガネである。
火曜掲載のコラム『今週のハウリンメガネ』でも触れた通り、ここ数日「訛り」と「音楽」の関係について考えている。
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考えれば考えるほど興味深いことに思い至ったので今回はこの件をもう少し追ってみよう。まだ考えが錯綜しているまま書いているので雑多な文になるがよろしくお付き合い願いたい。
先日の記事で書いた通り、言葉の訛りというのは発音リズムの違いでボーカリストの節回しに影響を与えるのは間違いない。
これをさらに深堀りしてみると、ボーカリストに限らず「人の持つ固有のリズムとメロディ」そのものに訛りが関わっているように思えてきた。
東の「さっさと」と西の「ちゃっちゃと」を例に出す。オノマトペでこれを捉えてみよう。
「さっさと」の「さっ」は箒での掃き掃除のような払う音。スウィングしている言葉である。
「ちゃっちゃと」の「ちゃっ」は「パチャパチャ」や「ガチャガチャ」のように細かいリズムで跳ねる音。16ビート的な言葉である。
音に出して発音してみて欲しい。
「サッ サッ サッ サッ」
と
「チャッ チャッ チャッ チャッ」
では間違いなく感じるリズムが異なるはずだ。
リズムを言葉で表す時、我々はこの差異を無意識に使い分けている。
ジャズのスウィングする4ビートを表す時は
「チーチッチ、チーチッチ」
というだろうし、
跳ねた16ビートを表す時は
「チッチキチッチキ」
というはずだ。
このように言葉というのは固有のリズムを持っている。日常的に使う言葉が異なれば、それは固有のリズムとして音に表れるのは当然の帰結であろう。
そしてここに発音の高低が加わる。
英語ではLとRの発音を使い分けるなど、発音が大事だ、という話はよく聞く。
では日本語の発音で大事なのは何か。
私は『音の高低』なのではないかと思う。
『缶』と『勘』。
『買う』と『飼う』。
『天気』と『転記』。
どれも『カン』、『カウ』、『テンキ』と発音は同じだが、これらを言葉に出す時、必ず音の高低は異なるはずだ。
つまり、我々は音の高低によって言葉の意味を変化させているのである。
東北の濃い方だと「け」の一言が発音次第で「食べてください」「来てください」「かゆい」と3種の意味で使い分けられるという(この辺りは「フクシマン氏」の解説も待ちたいところだが)。勿論文脈の流れもあるだろうが、このように音の高低で意味が変化するというのが日本語という言葉である。
そしてその音の高低は地域によって異なる。これもまた『訛り』である。
こうして考えてみると訛りというのは「その地域の言葉」という以上に「その地域の音楽」「その地域の文化」の根底にあるものなのではないのか。
地方の衰退と共に言葉の標準語化が進む現代。時には地元の言葉とその音に耳を傾けてみては如何だろうか。
ミュージャンでなくとも何かしら見えるものがあるかも知れませんぞ。
といったところで今回はここまで!また次回!
<ハウリンメガネ筆>
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