長い間、日本棋院三次市支部の会計をされていたA先生が亡くなられました。90歳でした。
A先生は、中学校の先生で、私も数学をならったことがあります。
大きな思い出が二つあります。
今から45年くらい前のこと、中学校の遠足で、なんと、A先生とM先生が、弁当タイムに碁を打たれていたのです。碁石と碁盤も中学校から遠足の場所まで、10kmはあるでしょう、ずっと運ばれていたのです。その頃、私は囲碁のルールを知っていなかったので、あまり、興味があるわけではなかったのですが、なぜかしら覚えています。もう一つは、今から30年前、私が、広島から三次にかえって、初めて三次の碁会所へ、いったときのことです。土曜日の午後で、ちょうど大会があって、たくさんの人が参加されていました。その中にA先生がおられ、私に声をかけていただきました。それには、とてもうれしく思い、素直に、三次の碁界にはいることができました。
A先生は、地区の囲碁同好会の会長もつとめておられました。年数回の例会だけでなく、三次北部の旧3村の合同囲碁大会をもちまわりでする大会をたちあげ、今でも年3回おこなっています。
それと、相当早くから幽玄の間の会員になられていました。最初は4段くらいで打たれていたようですが、病気が進行した5年くらい前には、5級くらいに落ちてしまったとなげかれていたものです。
通夜のせきで、親族を代表してのあいさつの中で、「教員を退職したあとは、囲碁を楽しんでいました」と話されていました。けれど、通夜の席で、みたところ、囲碁をするのは、私ともうひとり、地区の人二人だけです。連絡がうまく機能していないのでしょうが、少し寂しい思いがしたものです。