癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO1397・・アヴァドゥターとしての性質

2024-06-27 | カレシュワーラ、スワミ

掲示板・・・・・先日遠隔ヒーリングを依頼され7月2日(火曜日)に予約している方にメールで返信するのですが、リターンで戻って来ます。個人情報の問題がありますので、詳しい事は書けませんが、連絡不能状態です。他の方々も、24時間経ってもこちらからのメールが届かない場合は、再度請求して下さい。

本題

・ババのアヴァドゥターとしての性質

 ババの人生の後半になると、祝祭時には何千人もの生徒たちがババの元を訪れるようになっていました。ヒーリングを受けに何千人もの人々が訪ねて来ては、帰っていきました。しかしババは誰に対しても執着を持ちませんでした。

 

 この世の何にも執着をしませんでした。ババはアヴァドゥター(最高の段階の悟りを開いた人)の性質を持っていたのです。村では質素に暮らし、2か月間沐浴しない事もありました。汚れた服をそのまま着ていました。ババは、アヴァターの段階のどこか、最も深い瞑想状態にあったのです。

 

 もっとも優秀な生徒のひとりであるタティアがババの前に立ちました。タティアは子供のころからババの食事の世話をし、ババの服を洗濯し、ドワルカマイの床を掃き、花を摘み、毎日火をおこし、雨が降れば食事をドワルカマイの中まで運んでババに仕えていました。子供の頃からそのようにしてきたのです。

 

 タティアがババにこう言いました。「お願いですから沐浴して、その服を着替えて下さい。でなければ僕は食事もしませんし、水も飲みませんからね」

 大きな乳鉢が届きました。これで粉にし、コーン型のインセンスを作ろうと思ったのですが、他の方法も模索中で買うのが早すぎたかも知れません。が、まあ~何かに使うようになるでしょうから、問題はないでしょう。月末に秘密の血液の粉が届きますので、それを見てどのようにするか考えます。

 どうにか形になって来ました。ここで来月より本格的に作業を始めますが、紆余曲折しながら目的地を目指すことになるでしょう。・悪霊の実態7・・・・・人生の目的は、死ぬ寸前にあり、その寸前の為に一生を過ごすのですが、普通の人には、その目的が分かりません。人生はお金儲けをして、楽で毎日が楽しい生活をしたいと願うのですが、誰もそれが完成される事はありません。一つの物が手に入れば、一つが失われる日々を過ごし最終の日を迎えます。そして自分が生きて来た人生を振り返り、自分は何のために生きて来たのであろうかと、人生の儚さを感じます。

 

 妻の為に子供の為に頑張ってきたが、その妻も先に死に子供は家に寄りつかず、自分は何のために生きて来たのであろうかと、深いため息が出ます。これが普通であるのですが、中には退職した後まで肩書や地位を捨てきれない方がいます。まだひどい人になると、人に対する執着を捨てきれない人がいます。そして恨みを抱えて最終を迎える人もいます。人生の目的は、執着を捨てる事の意味を知ることなく死んで行く人がいます。「終わり良ければ、すべて良し」の意味を理解することなく、最終を迎える人がいます。

 

 ある所に狸の親子が住んでいました。農家の人が畑を広げる為に、藪を開墾していました。その開墾する竹藪の中に子育てをしている狸の親子が住んでいました。農夫は竹藪を焼き払おうと火を点けたのです。子供を抱えてタヌキは逃げることが出来ず、農夫を恨みながら子供と共に死んで行ったのです。末代まで恨んでやると息絶えたのです。このような最後を迎えたタヌキは成仏できず、彷徨い続け敵をとるチャンスを伺っているのです。

 

 人間も同じで、この世で執着を捨てることが出来なかった魂は、あの世へ帰る事が出来ません。執着と言うエネルギーがこの世に戻ろうとします。つまり成仏できないので彷徨うのです。これが浮遊霊となり、いずれは悪魔界に支配されるようになります。つまり一切の執着を捨てご臨終を待つのが、人生の一大修行と言われているのです。そしてそれが人生の目的と言う事になるのです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする