幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

村山たか女が三条河原に晒された時の天気、文久二年十一月十四日~十七日(1863年1月3日~6日)

2015-03-15 13:32:31 | Weblog
村山たかが三条河原に晒されたのは、文久二年十一月十四日深夜から十五日早朝にかけてでした。

村山たか女の出で立ちは、【高木在中日記】【京都】によりますと、

「早朝三条河原ニ而永野主馬手懸ケ尼ニ相成居逃去候者取出シさらし置候由也,,木屋町三条上ル大坂町東裏加茂川筋川原ニ年來四十才斗之尼身ニハ木綿立横しま綿入同浅黄単物木綿細帯を致藤く郎草履をはき手拭候而顔かふり致晒棒杭ニ括り付、、」

とありまして、浅黄色の木綿の単の上に、木綿縦横縞の綿入れに草履を履いて手拭で頬かむりをして、晒し棒に縛り付けられていた様子です。
結構、着物は来ていますので、厳冬期の三日晒しで生きるか死ぬかは、本人の体力と天気次第となります。
捕まった夜の天気は既に書きましたが、次第に日本に低気圧が近づいています。「たか女危うし」です。
まず、文久二年十一月十五日正午ころの天気図を見てみましょう。



となっていて、西日本では曇りの所もあり、九州ではすでに雨となっています。
この日は余程暖かかったようで、丸亀に流されていたヨウカイこと鳥居甲斐守様の日記には
   
  晴暖52度【鳥居日録】【丸亀】(摂氏では、11.1度)とあります。



十五日の夜になりますと



となって、雨域はさらに広がり、京都以西のほぼ全域で雨となっております。
たかの居る三条河原でも、

    晴天夜雨降【高木在中日記】【京都】

とありますように、夜は雨が降りました、
しかし、他の京都の日記には降水の記録がなく、翌日は全ての日記が晴れと記入されていますので、京都の雨量はそれほどではなかったと推察されます。

翌十一月十六日は、



となり、関東、東北の方まで降水域は東進してきます。関東内陸では雪のところが多く

   雪弐尺程積ル【今市】、大雪【茨城県八千代町】となっています。

 ちなみに、関東地方の海岸沿いは雨、江戸では「みぞれ」で、この日南岸低気圧が八丈島付近を通過した事が予想されます。

 日本列島の天気は西日本から回復し来て、京都では晴れ、熊野や大阪池田市ではお昼頃から雨があがったようです。

それでは、気温はどうだったのでしょうか。

京都の気温はありませんでしたが、水戸の大高氏記録に午前8時ころの毎日の気温がありました。
寒冷前線など温度が急激に変化する要素はなかったと思われますので、水戸の気温も京都の気温も同じ傾向を示すと思われます。
そこで水戸の午前八時頃の気温の推移をグラフにしてみまと、



となります、

村山たか女が、三条河原に晒された時の水戸の午前8時の気温は、15日摂氏1.1度、16日摂氏4.4度、17日摂氏1.1度と厳冬期としては暖かい日が続いています。
 
 村山たかが、三日の晒しから生還できた条件は3つあったと思います。

   ①五十歳を過ぎているのに四十ばかりに見える程、若い体力があったこと。

   ②綿入れ、草履、頬かむりなど着物を着こんでいたこと。

   ③低気圧による雨が京都ではそれほど降らなかったこと、そして生還の最大の要因は低気圧が暖気を運んで来ている間に晒しが終     わったこと。
 
だと思います。

 若いころ知りあって後ろ盾だった井伊直弼が暗殺され、情夫長野主膳は上意討に、息子多田帯刀の首も晒さる、という悲運にあって村山たかは生き残ってしまいました。

 「幸福の女神は不平等で、死神は平等」と申しますが、死神にも死ぬのが遅い早いと言う不平等があるようでございます。     



                

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