幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

昔の救急車は馬

2019-08-31 13:15:21 | Weblog
暑さも一服しましたので、ここ二三日、新潟県胎内市地本の
医師 井上薫廸の安政三年の日記を読んでいます。
井上ドクタ-もそうですが、江戸時代の医師はほとんど訪問医療です。
いつから今のように、患者さんが病院に行くようなったのでしょうか。
医療機械の発達とも関係がありそうです。
調べれば面白そうな課題ですが、今はわかりません。
近頃は近所にも訪問医療の病院(事務所?)が出来ました。
患者さんに負担がからないので、江戸時代方式も良いところあり見直されて来たのでしょうか。

ところで、幕末ころは馬子なしで、馬に乗って往来を歩く人は少なかったと思われますが、
救急患者に呼ばれたときは、医師は馬で駆け付けたようです。


この「井上医師日記」にも、名割様から呼ばれて馬で往診したことが書いてあります。

また、私の町内に若見先生と言う名医がいました。大正の頃のことだそうです。
2キロ位離れた所の農家の主人が切腹して内臓が出ていると呼ばれたことがあったそうです。
若見先生は道具を取るなり馬で疾走して縫ったそうです。先生は、これはダメだなと思ったそうですが、うまく生き返り、
其の後名医との評判が夙に高まったそうです。(昔本人が言ってました。)

としますと、馬は帰りのない片道だけの救急車の役目もしたようです。

救急医療をしていた友人が、救急車はよく事故る、と言っていました。
救急車が来たら、くれぐれも端により、土下座いたしましょう。


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3 コメント

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おはようございます (ゴマ)
2019-09-07 08:07:20
ご無沙汰しております。
今回も興味ぶかい記事をありがとうございます。

医者は馬に乗ってもいいというのは知りませんでした。

騎乗は武士の、それも上級武士にだけ許された特権だと思っていたので意外でした。

でも考えてみれば、大名行列を横切ったらお手打ちになっても仕方ないところですが(生麦事件の例もありますし)、産婆は特別に許されていたといいますし、案外江戸時代は人道的な配慮がされていたように感じました。
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いつもありがとうございます (いろは丸)
2019-09-08 13:00:31
ゴマ様
いつもコメントを頂きありがとうございます。!
相変わらず怠惰なブログをやっております。
馬はお金さえだせば、馬子が引いた馬に庶民も乗っています。
また、馬は馬車として利用されていまして、町や村の経済状況は馬の頭数を見ますと、おおよその見当がつくように思います。

コメント頂きました、無礼討や御手打ちですが、生麦事件など有名な事件以外に、私は資料を見たことがありません。御百姓の刃傷の記事は時々ありますが、無礼討ちなどは極めて稀なことだったと思っています。

昨今の時代の速さの中で生き残るためには、常に新しい挑戦をしていかなければなりません。
江戸時代のように、同じことをしていれば、同じ暮らしがほぼ保証された時代は、私のような惰性で生きている者にとりましては、いい時代だったように思われます。
取りとめがなくなってしまいました。
これからも宜しくお願いいたします。
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Unknown (ゴマ)
2019-09-09 11:44:47
>無礼討ちなどは極めて稀なことだったと思っています

たしかにあまりなかったようですね。

だからこそ、尾張藩内で明石藩の行列を横切った幼児が無礼打ちされた事件は、かなりな衝撃をもって受け止められたのでしょうね。
(この件に関しては真偽のほどはよくわからないようですが、似たような伝承が複数あるところから、それらしい事件はあったと思われますが……)

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