永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1010)

2011年10月11日 | Weblog
2011. 10/11      1010

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(71)

「かくにくきけしきもなき御むつびなめり、と見給ひながら、わが御心ならひに、ただならじ、とおぼすが、安からぬなるべし」
――(匂宮は)薫と中の君の間は、何ひとつ、うしろ暗いところのない、きれいな関係であろうとは御覧になりながら、ご自分の浮気なお心癖から、どうも普通ではあるまいともお思いになって、それがいつも心中穏やかでいられないことなのでしょう――

 匂宮は琵琶をお弾きになる。中の君が、ご自分のまだ覚えておられない曲などを、もっと聞きたそうにしていらっしゃるので、では、一緒に合奏しよう、とおっしゃします。
中の君が、

「昔こそまねぶ人もものし給ひしか、はかばかしく弾きも留めずなりにしものを」
――昔、教えてくださる方もいらっしゃいましたが、ろくに覚えこみもせずにしまいましたものを――

 と恥ずかしがって、手もお触れになりません。匂宮が、

「かばかりのことも、へだて給へるこそ心憂けれ。この頃見るわたり、まだいと心解くべき程にもあらねど、かたなりなる初ごとをも隠さずこそあれ。すべて女は、やはらかに心うつくしきなむよきこととこそ、その中納言も定むめりしか。かの君にはた、かくもつつみ給はじ、こよなき御中なめれば」
――こんな遊び事にさえ、よそよそしいのは情けない。最近結婚した人(六の君)は、まだ大して打ち解ける程でもありませんが、未熟な習い初めの事も隠さずに見せますよ。すべて女というものは、もの柔らかで、心の素直なのがよいのだと、かの中納言(薫)も定めておられるとか。あの方には、まあ、こんなに他人行儀にはなさらないでしょうに。なにしろ、二人はこの上なく睦まじい間柄でいらっしゃるからね――

 などと、本気で恨み言を言われて、中の君は溜息をつきながら少しお弾きになります。緒がゆるんでいましたので、盤渉調(ばんしきちょう)にお合せになります。催馬楽の「伊勢の海」をお謡いになる匂宮のお声のけだかく美しいのを、古くからいる女房たちも、そっと物陰に寄って来て、うっとりと聞き入っています。

「二心おはしますはつらけれど、それもことわりなれば、なほわが御前をば、さいはひ人とこそ申さめ。かかる御ありさまにまじらひ給ふべくもあらざありし年頃の御住ひを、また帰りなまほしげに思して、のたまはするこそいと心憂けれ」
――二心(六の君とのこと)の、おありになるのは恨めしいけれど、それも御身分柄当然なこと、うちの御方(中の君)はお仕合せと申さなくてはね。こういう結構なお暮しがお出来になるなどとは考えてもみなかったのに、それをまた、あの昔の宇治のお住いにお帰りになりたいと、お口にまでなさるのは、ほんとうに困った事ですわ――

 などと、無遠慮に言い立てています。

では10/13に。


源氏物語を読んできて(1009)

2011年10月09日 | Weblog
2011. 10/9      1009

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(70)

 薫からのお文には、

「日頃何事かおはしますらむ。山里にものし侍りて、いとど峰の朝霧にまどひ侍りつる、御物語もみづからなむ。かしこの寝殿、堂になすべきこと、阿闇梨に言ひつけ侍りにき。御ゆるし侍りてこそは、外に移すこともものし侍らめ。弁の尼に、さるべき仰せ言はつかはせ。などぞある」
――近頃はいかがでいらっしゃいますか。宇治に出かけまして、峰の朝霧にひとしお侘しい思いをいたしましたそのお話も、直接お目もじの上申し上げましょう。あちらの寝殿をお堂にするよう阿闇梨に言いつけて参りました。お許しをいただきました上で、外に移すこともいたしましょう。弁の尼にしかるべきお指図をお申しつけください、などとあります――

「『よくもつれなく書き給へる文かな。まろありとぞ聞きつらむ』とのたまふも、すこしは、げにさやありつらむ」
――匂宮が「よくもまあ、さりげない書きぶりをなさったものだ。わたしがこちらに居ると知ってのことだろう」とおっしゃいますが、なるほど、多少はそんな遠慮があったでしょう――

「女君は、事なきをうれしと思ひ給ふに、あながちにかくのたまふを、わりなしとおぼして、うちゑんじて居給へるさま、よろづの罪もゆるしつべくをかし」
――女君(中の君)は、特別の事も書いてないのを嬉しいとお思いになりますにつけ、匂宮がこんな風に無理に邪推なさるので、あんまりなとお思いになり、恨めしそうにしていらっしゃる。そのご様子は、どのような咎も許してしまえそうなほど、可憐な風情がおありになる――

「『かへりごと書き給へ。見じや』、とてほかざまにそむき給へり。あまえて書かざらむもあやしければ」
――(匂宮が)「お返事をお書きなさい。私は見ますまいよ」とおっしゃって、他の方を向いていらっしゃる。すねて書かないのも変なことなので――

「山里の御ありきのうらやましくも侍るかな。かしこはげに、さやにてこそよく、と思ひ給へしを、ことさらにまた巌の中もとめむは、荒らし果つまじく思ひ侍るを、いかにもさるべき様になさせ給はば、おろかならずなむ」
――山里へお出かけとのこと、お羨ましゅうございます。あの寝殿はそのようにするのが良いと、常々思っておりました。いつ出家するにしましても、わざわざ山深い巌の中の住処をさがしたりいたしますよりは、その時の用意に、あそこを荒れたままには置かないようにと思っておりましたので、いかにもそのようにして頂きましたら、有難く存じます――

 と、認め(したため)られました。

では10/11に。


源氏物語を読んできて(1008)

2011年10月07日 | Weblog
2011. 10/7      1008

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(69)

 薫は、たいそう風情のある老木にまつわっている蔦の葉の、まだ紅葉の残っているのを「せめてこれだけでも」と取らせて、中の君へのお土産らしく、お持ちになります。

薫の歌
「やどりきと思ひいでずば木のもとの旅寝もいかにさびしからまし」
――昔、宿ったことがあると思い出さないならば、この山荘もどんなに淋しいでしょう――
 
とひとり言のようにおっしゃるのを、弁の尼がお聞きになって、

弁の尼の歌
「荒れはつるくちの木ももとをやどりきと思ひおきけるほどの悲しさ」
――荒れ果てたこの住いを昔宿ったところとして、思っておられましたとは、亡き大君故かと、まことに悲しいことです――

 この歌はたいそう古めかしい詠み方ではありますが、昔を忍ぶ深い趣きがあるのを、薫はせめてもの慰めにと思われるのでした。

 さて、

「宮に紅葉奉れ給へれば、男宮おはしましけるほどなり」
――(京に戻られた薫が)中の君に、かの紅葉をお届になりますと、丁度、匂宮がおいでになるところでした――

「『南の宮より』とて、何心もなく持て参りたるを、女君、例のむつかしきこともこそ、と、苦しくおぼせど、取り隠さむやは」
――(女房が)「三條の宮(薫の邸・この二条院の南に当たるので)から」と言って、何気なく持って参りましたのを、中の君は、また薫から面倒なことでも言ってよこしたに違いないと、お困りになるものの、匂宮の目前では取り隠しようがあるでしょうか――

「宮、『をかしき蔦かな』と、ただならずのたまひて、召し寄せて見給ふ」
――匂宮が「見事な蔦だなあ」と、意味ありげにおっしゃって、召し寄せてご覧になります――


では10/9に。


源氏物語を読んできて(1007)

2011年10月05日 | Weblog
2011. 10/5      1007

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(68)

 薫は、

「昔の御けはひに、かけても触れたらむ人は、知らぬ国までも尋ね知らまほしき心あるを、かずまへ給はざりけれど、近き人にこそあなれ。わざとはなくとも、このわたりに音なふ折あらむついでに、かくなむ言ひし、と伝へ給へ」
――亡き大君のお感じに少しでも似通った人ならば、知らぬ他国までも探しに行きたい気持ちなのですが、その人は八の宮がお子様の数にお入れにならなかったにしても、間違いなく御縁は近い人なのですね。それなら、このあたりを訪れることもあるでしょう。わざわざではなくても、機会があったら、私がこう言ったと伝えてください――

 など、とだけ言い置かれます。弁の尼は、

「母君は、故北の方の御姪なり。弁も離れぬ中らひに侍るべきを、そのかみは外々にはべりて、委しくも見給へ馴れざりき。先つごろ京より、大輔がもとより申したりしは、『かの君なむ、いかでかの御墓にだに参らむ、とのたまふるなる、さる心せよ』などはべしかど、まだここに、さしはへてはおとなはずはべめり。今、さらば、さやうのついでに、かかる仰せなど伝へ侍らむ」
――浮舟の母君(中将の君)は、亡くなられた八の宮の北の方の姪でいらっしゃいます。私も浮舟とは縁続きの間柄であるわけですのに、その頃の中将の君が八の宮に仕えていました当時は、私は別のところにおりまして、あまり親しくも付き合っておりませんでした。この間、大輔(たいふ・たゆう)のところからの便りによりますと、「その姫君(浮舟)が、せめてどうにかして、八の宮のお墓にだけでも、お参りしたいと言っているそうです。どうかそのおつもりでいてください」などとありましたが、まだこちらにはお見えになりません。それでは、浮舟がこちらに来られるようなついでに、あなたのお言葉をお伝えいたしましょう――

 と申し上げます。

「明けぬれば帰り給はむとて、昨夜後れてもて参れる絹綿などやうのもの、阿闇梨に贈らせ給ふ。尼君にも賜ふ。法師ばら、尼君の下衆どもの料とて、布などいふ物をさへ、召して賜ぶ。心細きすまひなれど、かかる御とぶらひたゆまざりければ、身の程にはいとめやすく、しめやかにてなむおこなひける」
――(薫は)夜が明ければ京へお帰りになりますので、昨夜、あとから届けてきた絹や綿の類を、阿闇梨の許へもお贈りになり、弁の尼にも賜わります。法師たちや尼の下仕えの者たちの料にと、布のようなものまで京から取り寄せてお与えになりました。心細い山住みではありますが、このように始終お見舞いくださるので、弁の尼も、寄る辺のない尼の身にしてはたいそう体裁よく落ち着いた様子で勤行できるのでした――

 木枯らしが一晩中すさまじく吹いて、紅葉は残らず地に散り敷いているのを薫がご覧になって、もののあわれな風情に、なかなかご出立になれません。

◆大輔(たいふ・たゆう)=宇治から連れて来ている中の君の侍女

では10/7に。


源氏物語を読んできて(1006)

2011年10月03日 | Weblog
2011. 10/3      1006

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(67)

 弁の尼の話はつづいて、

「あいなくその事におぼし懲りて、やがて大方聖にならせ給ひにけるを、はしたく思ひて、えさぶらはずなりにけるが、陸奥の守の妻になりて下りけるを、一年のぼりて、その君たひらかにものし給ふよし、このわたりにもほのめかし申したりけるを、きこし召しつけて、さらにかかる消息あるべき事にもあらず、とのたまはせ放ちければ、かひなくてなむ歎き侍りける」
――そのことが不本意に厄介で厭わしいような気になられて、そのままほとんど聖(ひじり)といってもよいような御生活にお入りになってしまわれたのでした。それでその女房も居たたまれなくなりまして、お暇をいただき、後に陸奥の守(むつのかみ)の妻になって下向いたしましたが、先年上京して、その姫君も無事に育っておいでになる由、こちらにも申して寄こしましたので、故宮のお耳にも入れましたところ、そのような消息を聞くいわれは無いとお取り上げにもならず、中将の君はお知らせした甲斐もないと歎いておりました――

 さらに、

「さてまた常陸になりて下り侍りにけるが、この年頃音にもきこえ給はざりつるが、この春のぼりて、かの宮には尋ね参りたりけるとなむ、ほのかに聞き侍りし。かの君の歳は、二十ばかりになり給ひぬらむかし。いとうつくしく生い出で給ふがかなしき、などこそ、中ごろは、文にさへ書きつづけて侍るめりしか」
――それからまた常陸(ひたち)に下りまして、この数年は噂にも聞きませんでしたが、この春上京して、あちらの御方(中の君)をお尋ねして参ったとか、聞いております。その姫君は二十ばかりにおなりでしょう。大そう美しく成人なさったので、田舎に埋もれさせるのは不憫で、などと、ひと頃はよく文にまで長々と書いて寄こしましたが…―

 と、申し上げます。

「委しく聞きあきらめ給ひて、さらばまことにてもあらむかし、見ばや、と思ふ心出で来ぬ」
――(薫は)弁の話をくわしくお聞きになって、浮舟の事は、それでは本当らしい、逢ってみたいな、という気におなりになったのでした――

◆聞きあきらめ給ひて=聞き・明きらむ・給ひ=お聞き知りになって

では10/5に。

源氏物語を読んできて(1005)

2011年10月01日 | Weblog
2011. 10/1      1005

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(66)

 弁の尼との御物語は尽きず、今更ながら大君のおっとりとしたお人柄を思い出されて、残念さは言葉につくせないのでした。薫はお心の中で、

「宮の御方は今すこし今めかしきものから、心ゆるさざらむ人の為には、はしたなくもてなし給ひつべくこそものし給ふめるを、われにはいと心深く情け情けしとは見えて、いかですごしてむ、とこそ思ひ給ひつれ」
――宮の御方(中の君)は、大君よりも少し当世風に華やいだところがおありだが、気心の知れない男に対しては、すげない態度もおとりになれそうにお見えになるものの、自分に対してだけは、思慮深くほどほどに情味をみせながら、何とか清らかに過ごそうとしておいでになる――

 などと、大君と比べてお思いになります。

「さて、物のついでに、かの形代の事を言ひ出で給へり」
――(薫は)物語のついでに、あの人形(ひとがた)浮舟のことをお口に出されますと――

 弁の尼は、

「京にこの頃侍らむとはえ知り侍らず。人伝にうけたまわりし事の筋ななり。故宮の、まだかかる山里住みもし給はず、故北の方亡せ給へりけるほど近かりける頃、中将のくんとてさぶらひける上臈の、心ばせなどもけしうはあらざりけるを、いと忍びて、はかなき程に物のたまはせける、知る人も侍らざりけるに、女子をなむ産みて侍りけるを、さもやあらむ、と思すことのありけるからに、あいなくわづらはしくものしきやうに思しなりて、またとも御覧じ入るる事もなかりけり」
――京にこのごろお出でかどうかは存じません。私も人伝てに伺ったことです。故宮(八の宮)がまだこのような山住みもなさららず、北の方がお亡くなりになったその頃、中将の君といってお仕えしていました上臈女房で、気立てなども悪くありませんでした人を、八の宮がひそかにほんのちょっと情をおかけになりました。誰も存じませんでしたが、それがやがて女の子を生みましたのを、故宮ご自身もわが子とはお思いになりながらも、ご出家を志される身には厄介な煩わしいこととお思いになり、もう二度とその女にお逢いになることはございませんでした――

◆上臈女房(じょうろうの女房)=身分の高い家柄の者で女房仕えをしている人。中臈、下臈といた。

では10/3に。