永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1014)

2011年10月19日 | Weblog
2011. 10/19      1014

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(75)

「からうじてそのあかつきに、男にて生まれ給へるを、宮もいとかひありてうれしくおぼしたり。大将殿も、よろこびに添へて、うれしくおぼす。昨夜おはしましたりしかしこまりに、やがてこの御よろこびもうち添へて、立ちながら参り給へり。かく籠りおはしませば、参り給はぬ人なし」
――ようようのことで、その明け方男の御子がお生まれになりました。匂宮も御案じになられた甲斐があって、うれしくお思いになります。大将殿(薫、昇進して)も、ご自分の昇進に加えて、うれしくお思いになります。昨夜匂宮が饗宴にお越しいただいた御礼の上に、早速御出産のお祝いも併せて、二條院にお出でになり、(産穢を避けて)お庭先で立ち礼にてご挨拶をされます。匂宮がこうして二條院に引き籠もっておいでになりますので、こちらへお喜びに参上せぬ者はありません――

「御産養、三日には例のただ宮の御わたくし事にて、五日の夜は、大将殿より屯食五十具、碁手の銭、椀飯などは、世の常のやうにて、子持の御前の衝重三十、児の御衣五重襲にて、御むつきなどぞ、ことごとしからず、しのびやかにしなし給へれど、こまかに見れば、わざと目馴れぬ心ばへなど見えける」
――御産養(うぶやしない)も、三日には例によって宮家の内々のお祝いで、五日の夜は、大将殿(薫)より、屯食五十具(どんじき五十ぐ=強飯を固く握ったもの)、碁手の銭(ごてのぜに=碁の勝負に賭ける銭)、椀飯(わうばん=椀に盛った飯)などのことは、まず世間一般の習慣通りにして、子持の御前の衝重三十(こもちのごぜんのついがさね三十=御産婦のお前には衝重三十)、児の御衣五重襲(ちごのおんぞ、いつへがさね=若君の御衣を五重襲)にて、御むつき(おむつ)などは、大げさでなく目立たぬようになさいましたが、それでも気をつけて細かにみて見ますと、一通りでない心遣いがうかがわれるのでした――
 
 匂宮の御前にも、浅香の折敷(せんごうのおしき=沈香木の折敷)、高杯(たかつき)などに、粉熟(ふずく=五穀を粉にして餅のようにしたもの)を盛って差し上げます。女房たちには衝重(ついがさね)は言うまでもなく、檜破籠(ひわりご=檜の薄板で作った仕切りのある弁当箱)を三十に、いろいろと手の込んだお料理が添えてありますが、大将(薫)のご性分から、人目に立つようなけばけばしいことは、わざとなさらない。

「七日の夜は、后の宮の御産養なれば、参り給ふ人々いと多かり。宮の大夫をはじめて、殿上人上達部、数知らず参り給へり。内裏にもきこしめして、『宮のはじめておとなび給ふなるには、いかでか』とのたまはせて、御佩刀奉らせ給へり」
――七日の夜は、中宮(明石中宮)の御産養がありますので、参上なさる人々も大勢です。中宮の大夫(だいぶ=「職」の長官)をはじめとして、殿上人上達部が数えきれないほど参上なさいます。帝もお聞きになって、「兵部卿の宮(匂宮)が初めて人の親になられたというのに、祝わずにいられようか」とおっしゃって、御佩刀(みはかし=貴人の太刀)をお贈りになります――

 九日にはまた、左大臣(夕霧)がお祝いをされます。中の君のことではあまり快くは思えないけれども、匂宮の思惑もおありであろうと、御子息の公達が参上されて、何の屈託もなげにご立派にお祝いをされるのでした。

◆立ちながら参り給へり=産の穢れを避けて、お庭先でご挨拶なさる。

では10/21に。