永子の窓

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枕草子を読んできて(70)その1

2018年07月13日 | 枕草子を読んできて
五七  職の御曹司の立蔀のもとにて  (70)その1   2018.7.13

 職の御曹司の立蔀のもとにて、頭弁の、人と物をいと久しく言ひ立ちたまへれば、さし出でて、「それはたれぞ」と言へば、「弁侍ふなり」とのたまふ。「何かはさも語らひたまふ。大弁見えば、うち捨てたてまつりていなむものを」と言へば、いみじく笑ひて、「たれかかかる事をさへ言ひ聞かせけむ。『それさなせそ』と語らふなり」とのたまふ。
◆◆職の御曹司の立蔀のもとで、頭の弁が、人とたいへん長く立ち話をしているので、私がその場に出て行って、「そこに居るのはだれですか」と言うと、「弁がお伺いしているのです」とおっしゃる。「どうしてそんなに親しく話していらっしゃるのですか。大弁が見えたら、あなたをお見捨て申し上げて行ってしまうでしょうに」と言うと、たいそう笑って、「だれがこんなことまで言って聞かせたのでしょう。『それを、どうかそうしないでおくれ』と話し込んでいるのです」とおっしゃる。◆◆

■職の御曹司(しきのみぞうし)=中宮識の御曹司に中宮は長徳三年六月からしばらく住まわれた。
■頭弁(とうのべん)=弁官で蔵人の頭である藤原行成


 
 いみじく見えて、をかしき筋など立てたる事はなくて、ただありなるやうなるを、皆人はさのみ知りたるに、なほ奥深き御心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など、御前にも啓し、また、さ知ろしめしたるを、常に「『女はおのれをよろこぶ者のために、顔づくりす。士はおのれを知る者のために死しぬ』と言ひたる」と、言ひ合はせつつ申したまふ。
◆◆(頭の弁は)ひどく目立つように、風流な方面などをわざわざ押し立てるようなことはなくて、平凡でありのままのご気性であるのを、人はみなそうとは知っているけれども、私はもっと深みのある御心の様子を見知っているので、「尋常一様ではありません」などど、中宮様にも申し上げ、また、中宮様もそのようにご存じでいらっしゃったが、頭の弁はいつも、「『女は自分を愛する者のために化粧をする。男は自分を理解するもののために死んでしまう』と言っている」と私と互いに同じことをおっしゃる。(中国の古人の言葉を、わたしの中宮様への献身の志、ならびに知己としてもわたしへの頭の弁の感謝の志に言い当て言い当てして申し上げなさる。)◆◆

■ただあり=平凡

 
 「とほつあふみの浜柳」など言ひかはしたあるに、若き人々は、ただ言ひにくみ、見苦しきころになむ、つくろはず言ふ、「この君こそうたて見えにくけれ。こと人のやうに読経し、歌うたひなどもせず、世間すさまじく、なにしにさらにこれかれに物言ひなどもせず」。「女は目は縦ざまにつき、眉は額に生ひかかり、鼻は横ざまにありとも、ただ口つき愛敬づき、頤の下、頸などをかしげにて、声にくげならざらむ人なむ思はしかるべき。とは言ひながら、なほ顔のいとにくげなるは心憂し」とのみのたまへば、まいて頤はそく、愛敬おくれたらむ人は、あいなうかたきにして、御前にさへあしう啓する。
◆◆(頭の弁と私は)「とほつあふみの浜柳」などと言いかわしているのに、若い女房たちは、頭の弁のことをただ悪く言ってにくらしがり、見苦しいこととして、歯にきぬを着せず言う、「この君こそはいやにお目にかかりにくい。ほかの人のように読経をしたり、歌をうたったりもせず、世の中はさも興ざめたという顔で、いったい何でまあ、あれこれの人に物を言いかけたりもしないで」と。頭の弁は「女は目は縦むきに付き、眉毛は額にまでかかるように生え、鼻は横向きにあるとしても、ただ口のかっこうが愛敬があって、あごの下や、頸などがきれいに見えて、声がにくらしそうでないような人が好きになれそうだ。とは言うものの、やはり顔がにくらしそうな人はいやだ」とひたすらおっしゃるので、まして、顎は細く、愛敬のとぼしいような人は、そうしたところでどうしようもないことながら、目の敵にして、中宮様にまで(頭の弁のことを)悪く申し上げる。◆◆


■「とほたあふみの浜柳」=「あられ降り遠江(とほつあふみ)の吾跡川(あどがわ)柳刈れどもまたも生ふといふ吾跡川柳」万葉集。
訛り伝または類歌が当時あったのだろう。「刈る」に「離る」をかけ、一時は離れてもまた仲良くする意を寓したもの。


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