永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(345)

2009年04月03日 | Weblog
09.4/3   345回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(16)

 北の方は、無邪気に遊んでいるお子達を呼び集めて、前に座らせ、

「自らは、かく心憂き宿世、今は見はてつれば、この世にあととむべきにもあらず、ともかくもさすらへなむ。生ひ先遠うて、さすがにちりぼひ給はむ有様どもの、悲しうもあべいかな。(……)」
――私は、こうも不幸な身の上と、今は諦めてしまいましたので、もうこの世に望みもありませんから、宿命にまかせてさ迷って行きましょうが、先の長いあなた方が散り散りになってしまうのが悲しいのです。(姫君はどうなるにしても私についていらっしゃい。男君たちは父君に付いての出入りがあるでしょうが、今後は構ってくださるかどうか、どちらつかずでまごつくでしょう)――

「宮のおはせむ程、形のやうに交をすとも、かの大臣たちの御心にかかれる世にて、かく心おくべきわたりぞ、とさすがに知られて、人にもなり立たむこと難し。さりとて、山林に引きつづきまじらむこと、後の世までいみじきこと」
――私の父宮がご存命中は、一通りの宮仕えはできましょうが、源氏や内大臣の勢力下では、あの煙たい宮の一族だということで出世も難しいでしょう。そうかと言って、私の後を追って山や林の中に隠れ住み、出家されたりしては、あの世へ行っても諦められません――

 と、泣き泣きおっしゃいます。お子達は、

「皆深き心は思ひわかねど、うちひそみて泣きおはさうず」
――みな、深い事情は分からないようですが、しくしく泣いていらっしゃる――

 乳母たちも集まって、

「昔物語などを見るにも、世の常の志深き親だに、時にうつろひ人に従へば、疎かにのみこそはなりけれ。まして形のやうにて、見る前にだに名残なき心は、かかり所ありてももてない給はじ」
――昔物語を見ましても、世の常の愛情深い親でさえ、時勢に流されたり、後妻の言うままになったり、先妻の子を疎かにしがちなものです。まして父と子といっても名ばかりで、目の前でさえ素っ気ないお心では、将来もお子達のお力になっては下さりますまい――
 と、北の方と一緒に歎いております。

◆あととむ=跡留む=この世に生き長らえる

◆もてない給はじ=もて成し給はじ=お世話なさらない

ではまた。