永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(132)

2008年08月10日 | Weblog
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【蓬生(よもぎう)】の巻  その(7)

 北の方は、なおも使用人としての魂胆のことは隠して、太宰へお連れしようと、巧みに言い続けます。

 末摘花は、
「いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。かうながらこそ、朽ちも失せめとなむ思ひ侍る」
――ほんとうに嬉しいお心入れでございますが、人並みでない私がどうして人中に出られましょう。このままで朽ち果ててしまう方が良いとさえ思っております――

北の方は、
 まあ、その様にお思いなのですか。こんな気味の悪い住居で朽ち果てるなどとは、そんな例はございませんよ。源氏の大将殿が、このお屋敷をお手入れしてくだされば、玉の台(たまのうてな)とも成り代わりましょうが。大将殿は、兵部卿宮の御娘(紫の上)お一人の他にはお心をお分けになる方もないとのことです。昔から浮気なお心で、かりそめのお通いどころは、今ではみな縁が切れてしまったようですよ。ましてこのような薮原に暮らしている方で、身を清く保っていられたからといって、お尋ねになることは恐らくありますまい。
などと、教え込んでおります。

 末摘花も、そう言われてみれば、なるほどその通りだと思い合わされて、いっそう悲しくて、しくしくお泣きになるのでした。
 ただ決心は変わらず、この叔母はほとほと困り果てて、それならば、侍従だけでもと、せき立てます。

 侍従は、泣く泣く「今日はとにかくお見送りだけに参りましょう。叔母様が申されるのももっともです。また姫君様がお迷いになるのももっともと思いますにつけ、中に立って拝見しております私も辛うございます」とそっと言います。

 末摘花は、侍従までが自分を見捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも思いますが、引き留める術とてなく、いっそう声を上げて泣くだけが精一杯なのでございました。

ではまた。


源氏物語を読んできて(平安京・住い)

2008年08月10日 | Weblog
京の町並
 
 平安京は、東に賀茂川、西に桂川が流れ、その2つの川の間に、東西4.5キロ、南北5.2キロの規模をもつ都城である。大内裏(宮城)が、北の中央部にあり、その南中央の朱雀門(すざくもん)から、幅84メートルの朱雀大路が南に伸び、左京と右京に両断している。

 ちなみに、大内裏の朱雀門から南方を見て、右が右京、左が左京である。
 大路と小路が東西と南北に走り、120メートル四方の一区画を「町」といい、地割りの基本を成している。
 
 「町」はさらに32に分けられ、15メートル×30メートルを「一戸主(ひとへぬし)」と呼ぶ。
 
 平安京が造られたとき、宅地の班給の基準は、公卿は「一町」、庶民は「一戸主」であった。
 
◆写真:平安京、上部が北。
    朱雀大路の最南が羅城門。平安京の入口。