落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ドッペルゲンガーのデジャヴュ

2006年10月01日 | movie
『カポーティ』
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観ていて非常に困惑させられる映画だった。
いい映画だと思う。すごくよく出来ている。傑作だと思う。あまりの完成度に評するべき言葉がうまくみつからない、そんな映画だ。
何度か書いてるけど、ぐりはトルーマン・カポーティの小説が大好きだし、カポーティという作家自身のことも好きだ。小説も邦訳されてるのは大体読んだし、映画化作品も観ている。伝記もインタビューもいくつかは読んだ。この映画のモチーフになっている『冷血』ももちろんチェックしている。
映画は、それらからぐりがイメージするカポーティの人となり、カンザス州ホルカムの風景、殺人犯ペリー・スミスとディック・ヒコックの人物造形に、おそろしいほどぴったりと寸分の狂いもなく一致しているのだ。まるっきり想像した通りの映像、想像した通りのストーリー、想像した通りの人物描写。しかもムチャクチャよくできている。まさしく感動的なくらい。
これは困ります。とても。

ある意味ではこの映画は人間性の複雑さ、不可解さを描いている。
カポーティの本のタイトルは『冷血』だが、映画には「“冷血”なのは殺人犯なのか、あるいは殺人犯にとりいって名声に利用する作家なのか」という疑問が提示される。だが人間はそれほど単純ではない。
実際カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)はペリー(クリフトン・コリンズ・Jr)を利用したし、自らそのことを認めてもいる。裁判が長引き死刑が延期されるたび、早く終わってほしいと真剣に願う。一方で恵まれない幼少時代をおくりながらも知性豊かなペリーに個人的な感情を抱いているのもまたカポーティ自身である。ひとりの相手に対して共感しつつ傲慢にもなれるという、人間性の矛盾。
そこには、人間の持ちうる正直さや純粋さの奥行きの深さも読み取れる。カポーティには目立ちたがり屋で冷徹なところもあったが、だからといって彼を不誠実だとか嘘つきだと決めつけるのは簡単ではない。
その簡単じゃないところを、この映画は実にしっかりと描ききっている。
ただちょっと残念なのは、ラストの「この後カポーティは本を1冊も完成させることができなかった」云々というテロップ。それは決して嘘ではないし絶筆となった長編『叶えられた祈り』が結果的に未完となったのは事実なのだが、カポーティは従来多作な方ではなく、『冷血』以前にも何年も本を書いていない時期があったし、逆に『冷血』以後も短編は何本か書いている。それらを集めたのが生前最後の短編集『カメレオンのための音楽』である。
こうしたムラのある活動ペースは彼のもともと乱れた生活ぶりや不安定な精神状態によるところも多分にあり、一概に『冷血』の取材と執筆による影響とばかりもいえない。アルコール中毒で亡くなったのも本来大酒飲みなうえに薬物を濫用していたからで、なにも『冷血』のせいで酒に溺れた訳ではない。こういうあざといテロップの入れ方は映画的ではあるけど悪趣味だし、あらぬ誤解も招きやすいのではないかと思う。

しかしこの映画、カポーティを知らない人にはどう見えるのかな?
今日はたまたま日曜日で映画の日でもあったので映画館メチャ混みだったんだけど、ぐりの周りの観客のほとんど(とくにカップルの男の方)はカポーティのカの字もしらない、寝る気マンマンみたいなのばっかしでした。そういうヒトは楽しめたのかな?これ?
冒頭のニューヨークでのパーティーのシーンなんかはカポーティの人物像をものすごく如実に表現してて爆笑モノなんだけど、誰ひとりとしてクスリともしない。ここでサカナにされてるのは黒人文学の巨匠ジェームズ・ボールドウィン、カポーティが言及する彼の新作はおそらく『もう一つの国』のことだと思うんだけど、この本を読んでいればカポーティの?^っ黒い皮肉がさらに笑える。
カポーティとともに取材をした幼馴染みハーパー・リー(キャサリン・キーナー)の『アラバマ物語』に関するエピソードも登場するが、アメリカでは古典的ベストセラーのこの本も日本ではそれほど一般的に読まれて?「ないし、ハリウッド史に残るほどの映画化作品に対するカポーティの「騒ぐほどの出来じゃない」というセリフも、事情を知らない観客には?モ味不明かもしれない。
日本で当り前に観られているハリウッド映画だが、最近アメリカの国内事情─宗教問題、民族差別などなど─に興味を持つようになって、映画に感じられる微妙な社会背景がやたら気になるようになって来た。この映画ではよけいにそれがひっかかるような気がしました。カポーティもボールドウィンもリーもアメリカ人にとってはごく当り前に誰でも知ってる作家だけど、海外じゃそうともいいきれないんだもんね。

オスカーを受賞したフィリップ・シーモア・ホフマンの演技はもちろん素晴しかったけど(かわいくてかわいくて思わず抱きつきたくなるようなカポーティ像だったよ)、ペリー役のクリフトン・コリンズ・Jrもすごかったです。刑事役のクリス・クーパーといい、キャサリン・キーナーといい、登場人物がみんなオトナでかっこいい。60’sのファッションもクール。
『冷血』をめぐる伝記映画として今年のヴェネツィア国際映画祭に出品された『Infamous』もあるけど、これも是非とも観てみたい。アメリカでは今月公開。日本ではいつになるんかなー。