落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

The answer is blowing in the wind

2006年10月15日 | movie
『悪魔とダニエル・ジョンストン』
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ちょっと予想してたのと内容が違ってました。
ダニエル・ジョンストンはアメリカでは伝説的なシンガー・ソングライターなのだそうだが、音楽に疎いぐりはベイエリア在住町山智浩アメリカ日記でこの映画を知るまで彼のことは知らなかった。
ダニエルは小さいうちからイラストや音楽の尋常ならざる才能を発揮していたが、キリスト教原理主義者でロック音楽やマンガを忌み嫌う両親はなかなか彼の創作活動を認めようとはしなかった。大学に進学してからダニエルの精神は崩壊を始めるのだが、映画にはなぜ彼が精神を病むようになったのかがほとんど描かれていない。病が進行すればするほどダニエルの歌やライブパフォーマンスは宗教色が極端に強くなるので、病と家族の信仰になんらかの関わりがあることは明らかなのだが、あるいは、今さらその根源を糾弾したところで誰も救われないということなのだろうか。それとも、そんなものは責めるまでもないということなのか。
しかし、ダニエルの全ての曲が初恋の女性ローリーにあてて書かれているという点も関係者の証言でしか語られないので、やはり映画全体のトーンがやや偏り、ボケているような印象は否めない。

この映画を観ても、ダニエルの才能はわかっても彼の苦悩は計り知れない。ひどく苦しいことはわかるけれど、なぜそこまで彼が苦しまなくてはならないのかはわからない。その苦しみと圧倒的なほどオリジナリティに溢れた作品とが、わかちがたく強く結びついていることは間違いないとは思うのだが。ダニエルを天才たらしめているのが、その絶望的な苦しみだということがとにかくせつない。
ここにも正解はやはりない。
ダニエルを両親は深く深く愛している。兄姉も愛している。ダニエルも家族を愛している。だが彼の苦しみは家庭から始まった。苦しみから伝説が生まれた。マネージャーも音楽仲間もみんなダニエルを愛している。アメリカ中の聴衆がダニエルの歌を愛した。みんなに愛されていることで、ダニエルを幸せな人だということもできる。でも彼の苦しみをほんとうに理解している人はいるのだろうか。

両親は、できることなら一生彼を見守ってやりたいというけれど、同時に「私たちにはもう時間がない」ともいう。既に老境の両親が亡くなったら、ダニエルはどうなるのだろう。
彼の才能は彼の一生を豊かにはしてくれたかもしれない。だが彼の一生を守ってくれるかどうかはまたべつの話になる。
そのことを思うと、やはり、病気が治ってくれたらと願う母の気持ちが、ますます痛い。

The answer is blowing in the wind

2006年10月15日 | movie
『サムサッカー』
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※ネタバレ部分は伏せ字になってます。

静かな映画だ。
登場人物は少ないし、セリフも最少限、音楽はピアノの穏やかな旋律、カメラワークも画面構成もいたって控えめ。平凡な郊外町に暮すごくふつうの人たちの、ごく当り前の苦悩が、ただただ淡々と、だがひたすら丁寧に、繊細に緻密に綴られている。
という風にいうと退屈な映画なんじゃないの?と思うでしょ?いやね、正直前半はちょっとどーかと思ったよ。ぐりも。いくらなんでもひっぱり過ぎじゃないの?みたいな。
しかーし。終わってみたらメチャ感動。すっげー感動しました。これ原作小説があるのだね。こんど読んでみます。てゆーのが。なんだか映画を観て感動したというより、小説を読んで感動したような感覚なんですわ。映画なのに文学的。
そういう意味でもマジメな映画です。見た目だけを取り繕った誇張もないし、都合のいい誤摩化しもない、いい映画だし、ぐりはこれ大好きです。

主人公ジャスティン(ルー・プッチ)は17歳にもなって指しゃぶりがやめられない。みっともないしそのせいで歯列矯正に通うのもキリがないから、周囲はやめさせようとあれこれ気を遣う。
でも指しゃぶりがみっともないなんてそもそも誰が決めたのか。
実はぐりにも指しゃぶりの癖があった。正確にいつごろやめたかは覚えてないけど、少なくとも10歳ごろまでは吸ってたはずだと思う。小学校にあがってからは人前では吸わなくなったけど、眠ってる間は無意識に吸ってるらしく、毎朝起きたら左手の親指がふやけてしわしわになっていた。
だから、指しゃぶり自体には医学的にも心理学的にもなんの問題もないことは子どものころから知っていた。てゆーか常識じゃないんですかね?これ?確かに以前は子どもが不安やストレスから指をしゃぶると考えられてたみたいだけど、実際にはそうではなくて、指しゃぶりは生まれる前からの癖で、そこへストレス反応が結びついて、指をしゃぶると不安感が軽減されるような気分になることがあって、指しゃぶりがやめられなくなる。赤ん坊に心音を聞かせると胎内での感覚を思いだして泣きやむのと似たような現象だ。すなわち、やめさせるにはまず不安やストレスを取り除くことが先決になる。
ところが。ジャスティンの場合は指しゃぶりそのものが不安やストレスの原因をつくりだしている。17歳の彼がまだ指を吸ってることで、家族は彼のことが心配でたまらない。思春期の感じやすい年頃の息子を、父も母もどう扱っていいのかわからない。そのことでジャスティンはもっと落ち着かなくなる。悪循環だ。たかが指しゃぶりなのに。

彼を助けたいがために、大人たちは次から次へと過ちを犯す。
歯科医(キアヌ・リーヴス)は催眠療法で指しゃぶりができなくなる暗示をかける。校医はADHD(注意欠陥多動性障害)と診断し抗鬱剤を処方する。親との話しあいが必要なときなのに、母親(ティルダ・スウィントン)は厳しい守秘義務のある職場へ移り、父親(ヴィンセント・ドノフリオ)は息子になんのアドバイスもできずただ「我慢しろ」としかいえない。
それらはある意味では危険な間違いではあったけれど、ジャスティンの成長には必要な間違いでもあった。人生には無駄なことなんかなにもない。「正解」だけが「正しい」わけじゃないし、「正解」が常に永久に「正しい」わけでもない。結局、世間は単に話を簡単にしたいがために、なにかしら妥当な「正解」を適当に決めたがってるだけのことではないのか。
それは単なるロジックの問題にしか過ぎない。ジャスティンが討論クラブであやつる言葉の魔術の空虚さと、どこも変わらない。

歯科医の最後のセリフが泣かせる。「自分が正解だと思うな」「大切なのは、答えのない人生を生き抜く力」。
母の「人はみんな何かに依存して生きている」「家族がいれば寂しくないなんて幻想かも」というセリフもぐっと来ました。