落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

なにもいえない

2008年07月21日 | movie
『ザ・クラス』

親元を離れ祖母とふたり暮しの高校生カスパル(バッロ・キルス)は、ある日はずみでいじめられっ子のヨーセップ(パレット・ウースペルク)をかばうのだが、それをきっかけに彼もいじめっ子の標的にされるようになる。家族や教師たちの理解が得られないままいじめは日ごとにエスカレートしていき、やがてガールフレンドのテア(Paula Solvak)との関係もぎくしゃくし始める。

冒頭に「実話を元にしている」というテロップが出るが、これは具体的に実在する事件をモデルにしているというわけではないらしい。
Q&Aに登壇したイルマル・ラーク監督によれば、この映画は出演している高校生15人の証言を元にシナリオを書き、彼らとのディスカッションとエチュードによってそれを練り上げていくという工程でつくられており、エンディングを除いたエピソードはすべてそれぞれ彼ら自身の見聞きしたり体験したりした事実をベースにしているということである。
なのでトータルして特定の実話というわけではないにせよ、まあとにかくリアルである。台詞や表情など感情表現がディテールにいたるまでものすごく生々しい。とても演技には見えない。そしてまた彼らがアマチュアであるということがもっと驚きである。

リアルなだけに現実にいじめを体験したぐりから観てもかなりつらい映画ではある(過去記事)。
観ていていちばんつらかったのは、言葉や肉体的な暴力による直接的な痛みではない。その痛みを誰とも共有できない、誰にもわかってもらえないという絶望的な孤独感である。第三者はきまっていう。そんなものは弱虫のいうことだ。負け犬になりたくなければやりかえせばいい。劇中でもそういう発言が実際出てくる。
いわせてもらえば、そんなものこそ何もわかっていない、想像力のカケラもないバカにしかいえないたわ言である。カンタンに助けを呼べれば、カンタンに反撃できれば、いじめなんかとっくにこの世の中から消えてなくなっているはずである。できないからなくならないのだ。そしてそれを誰も理解しようとしないから、いじめはどんどんどんどんどんどんどんどん根深くなる。

それとQ&Aで司会をしていた瀧沢裕二氏が何度も「日本にはここまでひどいいじめはない」と繰り返していたのも不愉快だった。
あのねえ瀧沢サンよ、あんた間違ってますよ。この映画でやってるいじめは全部、そっくりそのまま日本でも同じことが起こってます。
ぐりの個人的体験だけじゃない。しょっちゅうニュースにもなるいじめの報道を多少なりとも注意深くチェックしていれば、この映画でバカどもがやっていた愚行と同じ行為が、日本の学校でも日常茶飯事になってることくらいわかって当り前だろう。
「日本ではこういうことは起こらない」「日本人はこんなことしない」なんてのは残念ながら単なる幻想です。そんな不見識をわざわざエストニアくんだりから来日したゲストの前で曝した恥を反省せよとまではいいませんが、その「自分は関係ない」的な無関心こそが最大の問題である“傍観者”とまったく同じ思考回路につながってるってことだけは最低限自覚すべきです。
ただ、この映画をコンペに出すか否かでかなり迷ったということで、結果的に出して上映されたことには感謝します。観られて本当によかったです。実をいうと同時上映の『記憶の谺』とどっちを観るかぎりぎりまで迷って迷って『ザ・クラス』を選んだのだが、ほんとうにこちらを観てよかったと思う。『記憶の谺』もどこかでまた観られればいいんだけど(次回上映は平日なので無理)。

6日間に時間を区切った構成にメリハリが効いていて「実話〜」のテロップの効果も絶大、オシャレな色彩構成やカメラワーク、編集もなかなかスタイリッシュで若い子から大人まで落ち着いて観られる非常に完成度の高い作品になっている。
ぐりは高校生役が全員、ものすごく個性的かつとってもフォトジェニックで、演出やシナリオもさることながら、彼ら全員の出演自体が奇跡だったんではないかとも思った。
とりあえず泣けて泣けて、泣き過ぎてまだアタマ痛いです。はあ・・・。

Q&Aレポート
関連レビュー:『リリイ・シュシュのすべて』

英語字幕版
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