お父さんの父方の墓が遂に見つかりました!
壱岐の島、芦辺地区の唯一の手掛かりの方の家への連日のトライに、遂に帰国日の3日目の早朝6時に訪ね、出会える事になります。
そして探しだした本家には、
たぶん・お父さんが言っていた、
子供の頃に追い回された記憶のあるのと同じ牛小屋が奇跡的に今もまだ残っていました。
60年前のキオクがツナガリます。
そのお墓は立派なもので裏山の鬱蒼とした中にありました。
戦争で亡くなったおじいちゃんの墓を、ひいおじいちゃんが造ってくれ、本家の方が今も護ってくれていました。
この墓の子孫だけが唯一連絡取れずに不明だったという事で、本家も代をツナぐ再会を喜んでくれました。
またご縁な事に、そこの若奥さんは大阪の岸和田の方でした。
観上げるとキレイな雲。
遠い壱岐の歴史にもある様に、今も壱岐と大阪はツナガッテいました。
すぐ傍で放牧される牛。
有名な壱岐牛です!
フェーリー乗り場では、大量に積み込まれた壱岐牛のトラック連隊とすれ違いました。
今回の放射能汚染で、急遽需要が増えたのでしょう。
子牛は、そのまま出荷され、
「松坂牛」や「佐賀牛」など、ブランド牛に育てられます。
それだけ「壱岐牛」は良質の牛です。
なんと!その牧場の向かいに、
「祇園神社」!
この場所に来て、スサノヲさんです!
牛の産地でもあるから、「牛頭天王」なのでしょうか。
UFOが着陸する様な場所があったので聞いてみると、今や過疎の限界集落にかろうじて細々と続く、「祇園祭り」の子供相撲の土俵と言う事でした。
そして極め付きは、
その隣にあった「大師堂」!
この日本の最果てでお大師様に出会うとは・・・
しかもようやく観つけた御先祖様の墓のすぐそばに・・・。
この辺にはお大師さんの寺が多いということでした。
確かに・
この度の最後の最後に辿り着いた、母方の戒名が観つかった勝本の寺「能満寺」も、
真言宗でした。
島の伝説ではお大師さんはこの島を訪れています。
それは師が中国に向かった往復の時の事でしょうか。
804年、第16次遣唐使船4隻の船団の中に、当時31才の空海、38才の最澄が乗船していたと言います。二人は大変な苦労をしながらも見事入唐し、帰国後、五島各地を巡り数多くの伝説を残しています。
キレイな空でした。
素晴らしい旅でした。
そしてその弘法大師が、 今も再び目まぐるしく動かれています。
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第一弾!4・23「大阪堺/ティージュ」 第二弾!5・3「大阪岸和田/ラベンダー」 第三弾!6・25「大阪和泉/そよ風」 第四弾!9・11「大阪岸和田/土生神社」 第五弾!9・19「和歌山有田川町/きびドーム」 第六弾!11・5「和歌山紀美野町/世界民族祭前夜祭」 第七弾!11・18「滋賀安土町 石の寺 教林坊」
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