スコールの様な雨が急に降り出し、
雨の音に驚き外を観ると、
またまた・まっ赤っ黄の夕陽が。
大自然はどこまでも未知なる存在で、
でも・何か狂ってますね。
スコールの様な雨が急に降り出し、
雨の音に驚き外を観ると、
またまた・まっ赤っ黄の夕陽が。
大自然はどこまでも未知なる存在で、
でも・何か狂ってますね。
まだお会いした事のない、佐賀の方より、
額縁入りの書を戴きました!
書道の世界に、「書き下ろし」と言うスタイルがあるみたいで、
自動書記の様なものでしょうか・・
熊本阿蘇で修行されている、
「にしやん」と言う方に書いて戴いたと言う事でした。
こんなに自分の名前をじっくりと意識したのは初めてでした。
漢字2文字でひらがな4文字。
高校の頃にバイクでポリさんに捕まった時、
「名前負けしている!」
とさんざんに言われたのを思い出しますが・
改めていい名前だと思いました。(笑)
また文章が・
ありがたい言葉!
「にしやん」さんは、
会った事も話をした事もないのに何で判るのでしょうね・
いずれにしても、
本当に心から感謝致します!
ありがとうございます!
泰伸
人間が持っている
可能性のスゴさを
日々、実感して
ゆける 男
泰伸。
そんな 泰伸の
「信じる力」が
そこに
奇跡を
つれて
きてくれる。
この言葉をさらに信じ、
音楽を奏で続けさせて戴きます。
愛だらけの切手でした。
この滝には今も霊気が漂っています。
和歌山・田辺・上富田町のここも、小栗判官ゆかりの地でした。
先日の藤沢には、ここで元気になった馬?の墓がありました。
それで、救馬渓観音(すくまだにかんのん)。
薄暗い杜に包まれて、
それはずっと長い時を経て、
今もありました。
天を仰ぐと、氣の満ちた場所によくありがちな・
ぽっかりとドームに包まれた様な空間。
まだまだ汚されていない聖地。
この周辺の人たちによる、長い年月に渡る尽力の賜物。
サンクチュアリ は簡単になくなる。
それも人間の仕業でいとも簡単に。
今の地球がそう。
滝口の、
ほと。
女性エネルギー。
ドームの天上の木々の隙間から射す木漏れ日。
口熊野のこの辺によく観られる、
蜂の巣の様な無数にあいた穴の岩盤。
火山性の溶岩と、海浜近くの潮風がなせる業か・・?
本堂はここも巌谷。
岩をくり貫かれて仏が鎮座。
お堂のすぐ上には大きな一枚岩。
ここは・シルクロードか・!・!・!・!
お堂の上の岩盤。
ここが頂上。
新宮のごとびき岩しかり、
初めにここに誰が舞い降りる。
一番好きな一枚葉のシダが群生していました。
これが・
南方熊楠が魅せられ、
そして・こよなく愛した
熊野。
皆様はこのジャンルの言葉を聞いた事がありますか・
上新電機 DISCPIREで見かけました。
mar-paの時代から応援してくれているレコード店。
環境DVD、「virtual trip JAPAN シリーズ」の発表毎のサポートを経、
ソロアルバム「for TERRA」の発表でもお世話になりました。
「地球の為に・」
これは、ポニーキャニオンのディレクターが付けてくれたタイトル。
当時は何の事かも訳の解らないまま・
でも今になって思い起こせば、
私の音楽活動は全て自然環境に関する事。
そのDISCPIREのコーナーに並ぶ、最新作「屋久島」3部作!
「20年後にこの美しい地球は存在するでしょうか!」
「地球温暖化は現実問題です!」
「エコロジー」の言葉を日本で始めて使ったのは、
私の敬愛する、和歌山出身の縛られた巨人、
南方熊楠(みなかたくまぐす)でした。
私も熊野から世界に、この危機を発信します!
ひき岩群近くの大きな岩屋に本尊の観世音が祀られている岩屋観音。
いざ!トトロの森へ。
根っこが・・・
この蔦のつるは何を考えてこんな姿になってしまったのでしょう。
大自然の幾何学模様は、遥かに人類の人智を超えています。
とにかくここは、氣の溢れている場所と言う事で・。
本堂は岩屋の中に。
岩屋観音誕生のヒストリーが頭を過ぎる。
本堂から、今来た方を望む。
ふと目が行く・本堂の石段に浮き出る真円。
カメラのファインダーにこびりつく光の筋が気になる。
屋根の上に写ってる奴です。
でも・決してレンズの曇りでもなく。
どうアングルを変えても奴はついて来る。
写真にも、この様に映り込んでいました。
そして、次の写真では円になっていました。
やはり屋根の上・
その窪みの所です。
石段にあった円と同じ・
何なんでしょうね。
この手の写真は、あまり撮る事はありませんが・
もし・この光の円を解明出来る方がおられましたら、
是非御一報下さい!
帰り道で出合ったシダの仲間。
恐竜時代の懐かしいキオクですかね・
熊野の森は地球のキオク。
そこにはまだまだ奥深い、
日本の・世界の・人類を救うエナジーが存在する!
熊野古道 大辺路周辺 田辺 ひき岩群 奉納登山vol.12
あの縛られた巨人・南方熊楠が田辺に移り住んでから、手近な粘菌採集の場所として頻繁に足を運んだだけあって、そこら中にキノコがニョキニョキ。
岩盤を削って作られた最後の階段を登ると、
巨大なヒキガエルの群れ!
大パノラマが広がる!
遥か彼方に海を臨む。
そこは白浜。
音を出す。
雲が割れ光が射し始める。
曇り空が一転青空に。
そしてにじみ出る彩雲。
これも一瞬の出来事。
今日も機嫌よく演奏をさせて戴き、山を下りる頃には再び雲が空を覆い始める。
30年振りに大学の友人より連絡が入りました。
同じ下宿で、毎日学校もろくに行かないで、昼過ぎに起きては夜な夜な壮絶な宴会を繰り広げた仲間の一人でした。会いましょうと言う事になりわざわざ関東から大阪に来てくれる事に。
自ら外で呑む事のない私が、唯一足を運ぶ店が難波の、
道頓堀にも程近く、ある時に吸い込まれてからはや5年!
「さかい」
私の選択肢はこの店しかなく、
ここでの再会!
私も変わったが友人も変わった。
時間の流れは人を変えてしまう。
と言っても外見の事で、
私は30K増・・友人は面影のないくらい引き締まった鍛えられた身体に!
2人ともそれなりにお互いの業界にもまれ、
苦労も地獄も一杯経験し、
でも中身は大して何も変わってなかったり。
船盛り!
とにかくこの店の海鮮は最高!
出てくる息のいい産地直送の魚介にいつも目を見張る。
続いて盛り合わせ!
ついついどんどん追加してしまう。
さらに・おまかせ盛り合わせもう一丁!
なによりもつぶ貝に目がなく、
一口食べると止まらなくなってしまうので単品を追加。
次はダブル!
もうこうなるとただの貝チュウ。
たまたまこの時は「北海道フェアー」で、北の珍味・鯖のへしこ。
何か忘れた・・
鮭か・・・。
箸休めにサラダなんかも・
またこれも新鮮で苦くて旨い!
あとは、もう酔っ払って写真撮れてませんが、
あと、煮炊きもの・焼き物も最高で、
ちょっとした小料理が泣くほど旨い!
そして会計の時・驚く程安い。
決してこの店の回し者ではありませんが、ここ5年来の大ファンです。
事ある毎に知り合いを誘い宴会の席に。
大将は和歌山で修行していた頃があるみたいで、
何か不思議なご縁を感じ、
「ついてる」が出来た頃から「ついてる札」も貼って戴き、
今では各部屋に「ついてる札」。
大将!
また近々寄ります!
小栗堂
遊行寺の裏山にひっそりとありました。
熊野の湯の峰温泉で再生復活した小栗判官は、
故郷に戻り再び新たなストーリーがはじまります。
そしてこの墓に眠る。
丁度修復中で、思いっきり掘り返されていました。
パートナーの照手姫もその傍らに眠る。
長い長い物語の終り。
やはりこの場所も、
この木の枝のような、気が溢れている場所でした。
明治の洪水で流された、熊野川中州の旧社殿。
これが今は、古木に囲まれ中州だけが残る
熊野一の聖地、大斎原(おおゆのはら)に。
福辻京子女史の「絵解き口演ー熊野比丘尼今昔ー」。
時宗聖と熊野比丘尼がタッグを組んで日本中に熊野を広める。
アメリカに流出した「熊野宮曼荼羅」の写真も、
那智・速玉・本宮の旧社殿が一枚に。
小栗判官物語と熊野。
「小栗判官物語」とは、
究極にかいつまんで言うと・
病気で身体が骨と腐った肉になった小栗判官が、
三河の方から、照手姫という女性に木車に載せられひっぱられて辿り着いた所が熊野の湯の峰温泉。
そのつぼ湯で療養して再生したという話。
今回、私がここに参加するきっかけを作っていただいたのも、
毎回熊野に行く時にはお世話になる、
湯の峰温泉の民宿【小栗屋】の主人、
日本で有名な小栗研究家の安井氏からの連絡でした。
熊野信仰と小栗と一遍は切っても切り離せない関係なのです。
その「熊野信仰と小栗伝承」の発表を、
高原や本宮の演奏の時もサポートして戴き、
いつもお世話になっている松本純一氏がされました。
微妙に別ルートを辿る熊野古道と小栗街道があるみたいです。
木車が通りやすい道を選んだのでしょうか。
今年は熊野を全国に広めた一遍さんが、
強烈に動いている感じがします。
その向こうには中庭の菖蒲(しょうぶ)園。
立派な回廊を渡ると、
水の流れる庭園に咲く花菖蒲。
昨日の深夜は、あまり気持ちがいいのでこの総檜造の渡り廊下で、
うとうとしてしまいました。
いかにも家紋とかになりやすそうな花です。
夜には寺での「熊野学会」の懇親会が盛大に行われ、
74代の真円上人様のすぐ横に座らせてもらい、
お声もかけて戴き、
これも「ついてる」。
今日は寺に泊まらせて戴く予定で、
ナント消灯就寝が9時。
明日は5時起床で本堂でお勤め。
まさに行(ぎよう)!
と言う事で・寺を脱出!
(このばちあたりものめが・・・・)
今回この学会で初めてお会いした水本先生と仰る方と寺を抜け出す。
門前のすぐ前に観えるほのかな灯り。
その周辺には何もない様子で、
「中華そば」の、のぼりに引き寄せられ吸い込まれる様にのれんをくぐる。
味のある主人と奥さんで、
話をお聞きすると、3年前からここで店を始めたので、この界隈の事はよく解らないらしい。
随分前に青森より関東に来られたみたいで、
ここにお店を出されたのも何かご縁があったのでしょう。
本当に、ここの夜の門前には何もなく、
でも昔はこの門前町もさぞかし賑わっていたんでしょうね・
なにしろ、東海道なんですから。
「お昼もやっています!」と言う事でした。
呑み会の最後の締めくくりは、
やっぱりお薦めの、ラーメンとは言わず「中華そば」。
「これは青森のものですか?」
「いえ・関西で習得しました。」
熊野のある和歌山では、
誰もがラーメンの事を「中華そば」と呼びます。
やはり・
この門前町を、この御夫婦が護り続ける為に来られたような気がしました。
ありがとうございました!
皆様も是非行かれる事がありましたら、お立ち寄りの程を。
これが正真正銘の、現代の時宗の上人様に直々に戴いた念仏札です。
寺中で一番お声の大きい、74代の真円上人。
85歳で上人になられて5年。
今年90才とお聞きする。
本堂でのお札配りの時には周辺の「南無阿弥陀仏」の声が一層高まり、
神聖な空間が出現しました。
一遍上人は全ての後継者を否定し、全ての物を焼き尽くしました。
御釈迦さんの時と同じように。
でも寺はその後建てられました。
ただ、この寺に伝わる時宗の系譜の最初には熊野権現が書かれていて、
「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」
この熊野権現の教え。
一遍上人を筆頭に、
今までの全ての時宗上人達が、「南無阿弥陀仏」のお札を一心に配りこの教えを広める事で、一代限りの勤めを全うしているのを感じます。
一遍さんが配った当時の札。
少しだけデザインが違うみたいです。
お札を戴いてよぎったのが、
私の配るCD「ついてる」。
これも念仏踊です。
今までに何人の人が踊り狂ったか・。
これがまた・お札もついています。
確かに、マントラは違いますが・。
初めてでした。
念仏踊り。
この藤沢の地で、一遍上人が当時の幕府の中枢に入ろうとした時に自然発生的に生まれたと言う。
この写真からは伝わりにくいですが、
思っていた通り躍動感のある踊りと鉦・太鼓でした。
みなさんそれ相応に・(失礼致しました。)
かなり頑張って足を折り、飛び跳ねられていました。
太鼓の音は、再現された先生の説明にもあったように、
私も少し違う感じがしましたが、
確かに、鉦のリズムのダンスだと思います。
今回合流して戴いた静岡放送の小川氏がこれを観て驚く!
「mar-pa」じゃないですか!!!
私もその言葉に目が覚める。
一瞬色んなキオクがフラッシュバック。
マルパのチベット時代の仮面舞踏。
お伊勢参りの「えじゃないか」。
延々続く「南無阿弥陀仏」の念仏踊りの列。
それが輪になり輪が広まる。
若き日の、舞踏グループ「白虎社」との世界制覇。
私は踊り。
浅草の浅草寺より来られたとお聞きする、本堂の阿弥陀さん。
かたくなに解体調査を拒む仏さんと言う事です。
たぶん・体内に何か入っているんでしょう。
今私がここに居るのはなんら疑う事もなく、
体調を崩し呼吸困難で寝込んだ、
全てをリセットした学生時代のある時期。
「捨ててこそ」
病院に行っても治らない事も解り、
今までの音楽の知識の全てをリセットして始めたのが、
真っ白のキャンバスに筆を下ろす事で始まった・
「マルパ」でした。
最初のライブで私がしたこと。
両手シンバルを叩きながらの隊列の先導。
何なんでしょうね。
最近、
何故か、30年前に引き戻される事が多すぎて・
極楽浄土「南無阿弥陀仏」
いざ熊野!
「すててこそ」
一遍上人の究極の教え。
すべてのものを手放した時に訪れる物の本質。
どんだけ頭の中では解っていても・
なかなかすべてを手放せるわけもなく。
そのじれんまの中にあがく。
あたたかい気の流れる境内。
日本仏教の中で、原始仏教のお釈迦さんに一番近い一遍さんの教え。
私も一遍さんには一番のピュアを感じる。
そんな一遍さんだからこそ・煩悩やその葛藤による迷いがあったわけで、
熊野で熊野権現に御神託を受けた後は、同行遊行していた3人(妻とも娘とも子弟とも言われるが・)を故郷に帰したり、
境内の弁天さん「宇賀神」
一遍さんはお釈迦さん同様、死を迎えるにあたり全ての経文・全ての教えの記録を焼き尽くす。
そして・一代限りの遊行者としてこの世を去る。
お釈迦さんが亡くなった後に、10人の弟子達の布教により現代の仏教が誕生したように、一遍さんが亡くなった後に時宗と言う宗派が誕生し、寺が建てられる。
遊行寺がその総本山。
でも・この様な経緯上、
今、一遍さんの足跡をここで見つけるのは難しい。
この季節、
境内の塔頭に、蛍がロマンティックな光を放つ。