日本初の本格的国語辞典は、大槻文彦編『言海』です。明治の出版物で三大ロング・ミリオンセラーは福沢諭吉『学問のすすめ』、中村正直『西国立志編』と『言海』のようです。中村正直の書いた幸福のことは、その内に紹介します。
たくさんのひとが待望の近代日本語辞書『言海』を買い求めました。最初に出た4冊もの、その後の大型1冊本と上下2冊もの、そして小型文庫版や中型本が出ましたが、もっとも売れた1冊大版はちょうど広辞苑机上版ほどの大きさです。
新村出は明治25年に高校入学時に『言海』を贈られた。折口信夫は中学2年生になるとき、明治33年に父に買ってもらった。山本有三は小学生のときに親から買ってもらったが、35年に高等小学校を出て奉公に出た先で主人に取り上げられてしまった。丁稚に学問は不要だからという理由です。ちなみに彼らが愛用した『言海』は、いずれも大型の1冊本だったようです。森洗三は明治44年、14歳のときから縮刷文庫版を愛用しています。
ちなみに小型版は講談社学術文庫になっていますが元版は昭和6年発行で628版。昭和19年発行の中型は568版、昭和24年発行中型はなんと千刷りと奥付に記されています。あまりにたくさんの版を重ねたので、千刷りはきっと横着かジョークなのでしょう。
そもそも明治8年に文部省から日本語辞書編集の命令が大槻文彦にくだされた。本来は文部省から刊行されるのが当然だったが、紆余曲折を経て結局は刊行は中止になってしまう。「出版したければ自費で出せ」。これが官の結論だったのです。しかし大槻が個人で出版するには大冊で、たいへんな費用が必要です。結局は購読希望者から予約前金を取り、それを制作費にあてることになります。
資金難から最初は全4分冊でスタートした。明治22年に第1冊、そして4冊目が刊行され完結したのが明治24年です。大槻は感慨をこめて次のように記している。「明治8年起稿してより、今年にいたりて、はじめて刊の業を終えぬ、思へば17年の星霜なり」。福沢諭吉は完結時に「おかげで日本にも初めて辞書と名づくべきものができ…」と大槻にはがきを送っている。
最後の校正追い込みのとき、大槻は人生での大きな危機にみまわれます。自費出版のため、印刷製本の原資を読者からの予約金でまかなったのだが、刊行は書きなおしのために大幅に遅れた。前金を払い込んだ予約者からは「大嘘槻(おほうそつき)先生の食言海」など、苦情非難の郵便物が山積みになったといいます。
さらには完結直前の明治23年11月、二女の乳児「ゑみ」がはじめての誕生日を直前にして病で急死。そして妻「いよ」は心労もたたり娘の死の1ヶ月ほど後に病死した。父とともに残された長女は明治19年生まれだが、名を「幸」という。「さち」である。
『言海』から「こうふく」「さいわい」「しあわせ」をみてみます。幸福と書いて「こうふく」と読むのは、前にみたヘボン辞書同様に固く定着しています。また江戸時代には、幸福を「さいわい」とだけ読んでいたのですが、明治37年の版から「幸」字のみになり、幸福を「さいわい」とは読まなくなっています。また「しあわせ」(仕合・為合わせ)は良いときにも悪いときにも使う言葉で、運命・命運とも記されています。「しあわせ」のよいのが「幸福」です。
※印と【文字】は、わたしの勝手な書き込みです。
<かうふく 幸福>【明治22年初版】
サイハヒ・運命(シアハセ)好[よ]キコト
<さいはひ 幸福>【明治22年初版】※幸福を旧例通り<さいはひ>と読んでいます。
サキハフコト・吉事ニ逢フコト・シアハセヨキコト・幸福(カウフク)
<さいはひ 幸>【明治37年改訂版 縮刷文庫サイズ】
運、良ク。時(ヲリ)好ク。
※明治37年に文庫本ほどの大きさの縮刷小版が発行されましたが、「さいはひ」は改訂されています。漢字「幸福」を「さいわい」とは読まなくなり、「さいわい」には「幸」字があてられました。
<しあはせ 仕合>【明治23年初版】※「し」は「志」のくずし字
為合ハセタル時(ヲリ)ニ・運ニ當[あた]リ・不運に當ルコト。
「仕合善[よ]シ」「仕合悪シ」・命運
<2012年10月29日 南浦邦仁>
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