バテました。暑さもありますが、理由はさておいて、「バテる」は、不思議な言葉だと思います。辞書をみても、バテにあたる漢字はなく、<ばてる>という仮名表記です。意味は、暑気や疲れのために、ぐったりする、元来持っている能力を失う状態になる。
どうも<はてる>に、点々がついて<ばてる>になったのではないでしょうか。<果てる>は、終わる、失せる、死ぬの意味。「バテた」「バテそう」は、死にそうに近い意味になるようです。
また思いますのが<ケガレ>です。漢字では、穢れ、汚れが当てられるために、本来の意味がわからなくなっていますが、ケガレは本来<気枯れ>であるという説があります。わたしも賛同します。
<気>(き・け)は、元気、活気、気力、気丈などの気で、エネルギーです。空気、気配、気流、気分、気息、気脈、心気、生気など、エネルギーとかかわる語で、力のもとになり、眼には見えない粒子なり流れ、周りを覆い包み込むもの、そういった意味が<気>にはあるようです。
元気のもとの気が枯れる、水には涸れるの字が当てられますが、同じく減ってなくなりそう。<離れる>も<かれる>と読みます。魂が離れる、です。
<ケ>は<気>ですが、け<褻>でもあります。<ハレ>と<ケ>の<褻>です。晴れ<ハレ>は、祝いや特別の晴れ晴れしい日やこと。褻はふだんの日常、ごく当たり前の、平穏な状態なり日々。
エネルギーの枯渇や乱れなどによって、秩序のとれた日常性がバランスをくずす。それは個人にも共同体にも起こります。
当然ながら昔、ケガレを排除しようとする祈祷なり医療、儀式や祭などの行動や工夫が起こったことでしょう。ケガレに穢れや汚れという漢字を当てたのは、適切ではないと思います。カタカナがいちばんです。
ケガレは、気や褻の枯れで、元気がバテることなのでしょう。
「京」とは無縁の<夏バテ>話です。暑中お見舞い申し上げます。
<2008年8月3日>
どうも<はてる>に、点々がついて<ばてる>になったのではないでしょうか。<果てる>は、終わる、失せる、死ぬの意味。「バテた」「バテそう」は、死にそうに近い意味になるようです。
また思いますのが<ケガレ>です。漢字では、穢れ、汚れが当てられるために、本来の意味がわからなくなっていますが、ケガレは本来<気枯れ>であるという説があります。わたしも賛同します。
<気>(き・け)は、元気、活気、気力、気丈などの気で、エネルギーです。空気、気配、気流、気分、気息、気脈、心気、生気など、エネルギーとかかわる語で、力のもとになり、眼には見えない粒子なり流れ、周りを覆い包み込むもの、そういった意味が<気>にはあるようです。
元気のもとの気が枯れる、水には涸れるの字が当てられますが、同じく減ってなくなりそう。<離れる>も<かれる>と読みます。魂が離れる、です。
<ケ>は<気>ですが、け<褻>でもあります。<ハレ>と<ケ>の<褻>です。晴れ<ハレ>は、祝いや特別の晴れ晴れしい日やこと。褻はふだんの日常、ごく当たり前の、平穏な状態なり日々。
エネルギーの枯渇や乱れなどによって、秩序のとれた日常性がバランスをくずす。それは個人にも共同体にも起こります。
当然ながら昔、ケガレを排除しようとする祈祷なり医療、儀式や祭などの行動や工夫が起こったことでしょう。ケガレに穢れや汚れという漢字を当てたのは、適切ではないと思います。カタカナがいちばんです。
ケガレは、気や褻の枯れで、元気がバテることなのでしょう。
「京」とは無縁の<夏バテ>話です。暑中お見舞い申し上げます。
<2008年8月3日>
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