ふろむ播州山麓

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タイタニックの日本人(5)

2012-06-07 | Weblog
タイタニック沈没は100年前、1912年4月15日でした。当然この大事故は各国で報じられ、日本でもおおきな話題になったことはいうまでもありません。乗客で唯一の日本人、細野正文が助かったことも4月21日の新聞で「鉄道院技師細野正文氏は助かりしものゝ内にあり」
 5月20日の時事では、細野が「万死に一生を得て無事なりし事を聞き、一同愁眉を開きたる由」と祝福もされました。
 しかし当時の記事には、婦女子を優先させ男子は引き下がったという記事もあります。そのあたりから細野の決して卑怯ではなかった行為が誤解され、「日本人の面汚しだ」という痛罵非難までもが起きたという。
 
 宮沢賢治はこのとき、盛岡中学4年になったばかりでした。彼はタイタニック事件に衝撃を受け、後に『銀河鉄道の夜』に事故で亡くなった3人の乗客を登場させます。
 少女「かほる」、弟の「タダシ」そしてふたりの家庭教師の青年です。注意すべきは姉と弟の名前「かほる」「タダシ」。この物語に登場する人物はみなラテン系の名をもつ。ジョバンニ、カムパネルラ、ザネリ、マルソ。
 
 『銀河鉄道の夜』に登場する人物全員を出る順にならべてみました。ほとんどの人物には名がありません。個人名をもつのは6人だけです。

1.ジョバンニが住む町のひとたち
「カムパネルラ」(主人公のジョバンニとともに銀河鉄道で行く友人)
「ジョバンニ」
先生(ふたりが通う学校の教師)
青い胸当てをした人、白い服を着た人(ジョバンニがアルバイトをしている活版所のひとたち)
「ザネリ」(同級生)
年老(と)った女の人(牛乳屋)
ジョバンニのお母さん

2.銀河鉄道列車内とその周辺
旅人と、せいの高い黒いかつぎをしたカトリック風の尼さん(銀河鉄道の列車内)
学者(大学士)らしい人と助手らしい人たち(銀河プリオシン海岸)
赤髭のせなかのかがんだ人(鳥捕り)
鍵を持った人(燈台看守)
せいの高い車掌(列車内)
つやつやした黒い髪の六つばかりの男の子「タダシ」(たあちゃん)車内
黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年(姉かおると弟タダシの家庭教師)車内
十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子「かほる」「かおる」(かほる子)車内
 <登場はしませんが、故郷でふたりを待っているのは上の姉「きくよ」>
寛(ゆる)い服を着て赤い帽子をかぶった男(信号士)
としよりらしい人(車内)
インデアン(銀河のまっ黒い野原)
みんな(列車内)
ひとりの神々しい白いきものの人(天の川をわたって来る神であろう)

3.ジョバンニが戻って来た町で起きていたカムパネルラ水死の報
白い太いずぼんをはいた人(牛乳屋)
町かどや店の前に立つ七・八人の女たち(橋の近く)
川沿いに集まった近くの人たちと白い服を着た巡査
「マルソ」(ジョバンニとカムパネルラの同級生)
カムパネルラのお父さん(博士)

 1912年のタイタニックの事故後、12年たってから1924年に賢治は『銀河鉄道の夜』執筆を開始したといわれています。そして度々の改稿を繰り返すも脱稿することなく1933年に亡くなりました。『銀河鉄道の夜』は12年間あたため、9年間延々と書き続けた未完の物語でした。

 ラテン系の名前ばかりが連なる物語に、タイタニック遭難者だけが日本名をもつことについて、山根知子氏はつぎのように記しておられます。
 タイタニック唯一の日本人生存者、細野正文について「一日本人の卑劣とされた行為をやはり批判的に捉えてと想像するならば、そのことが『銀河鉄道の夜』に取り込むなかで、タイタニック号を素材としたこの個所で、『とてもみんなは乗り切らない』という救命ボートに人を押しのけることをしないで信仰深く死んでいった日本人男性(と姉弟)を描くことが賢治にとって必要とされたのだといえないだろうか。」

参考 『宮沢賢治 妹トシの拓いた道―「銀河鉄道の夜」へ向ってー』山根知子著 2003年 朝文社
<2012年6月7日 南浦邦仁>
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