ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

幸福の歴史年表 前編 (19世紀まで)

2012-05-06 | Weblog
 この年表の作成は5月6日にはじめました。最初は確かA4版3~4枚ほどの分量だったと思います。しかしその後、思いつくままに加筆していましたら、ずいぶん長くなってしまいました。このまま書き足していくとその内、ブログの字数制限に達しそうです。それで本日、前編と後編に二分割することにしました。後編は5月29日付けで、20世紀以降です。あわせてご覧ください。

紀元前7世紀 古代ギリシャで貨幣ドラクマの流通がはじまり、世界史上はじめて完璧な貨幣経済に移行。それに伴って、科学や哲学や文学や民主主義が誕生する。詳しくはブログ「ふろむ京都」<お金の正体とは何か?>をご覧ください。

前5世紀ころ 老子「足るを知る」知足の哲学。
 釈尊「一切の行きとし生けるものは、幸せであれ」
 孔子 仁をもって生きることが人生である。仁とは利他のこころ、思いやり慈しみである。財産や高い地位は万人が求める。しかし人として正しい道を歩んだ結果でなければ、いったい何の価値があろうか。

前4世紀ころ 『旧約聖書』「コヘレトの言葉」(伝道の書)「神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり、悪人は神を畏れないから、長生きできず、影のようなもので、決して幸福にはなれない。」

前4世紀 ギリシヤの哲学者アリストテレス
 「幸福はみずから足れりとする人のものである」「人間の幸福は自己の優れた能力を自由自在に発揮するにある」 『ニコマコス倫理学』われわれが達成しうる最上の善は、みなそれは幸福だという。だが幸福とは何であるかと問うと、答えは異論ばかりになってしまう。幸福というものは一時のものではなく、生涯においてのものである。「至福なひと、幸福なひとをつくるものは、一朝夕や短時日ではない」「幸福は最も善く最もうるわしく最も快適なもの」「幸福こそ神与のものだとするのが至当であり、それは最善のものである」
 佐伯啓思『反・幸福論』アリストテレス主義。「善きもの」とは何かと自らに問い、そのための「徳」を積むことこそが「幸福」だ。果てしなく「自由」を求め、「利益」や「権利」を求めることではない。
 岩田靖夫『ギリシア哲学入門』「アリストテレスの倫理思想は、人間がどのように生きれば幸福になれるか、を探求した思想である。(しかし奴隷制など差別構造の社会では幸福思想のみならずギリシア思想には限界がある:筆者注)それを乗り越えるためには、おそらくは幸福概念のコペルニクス的転換が必要となるだろう。その転回とは、<自己実現が幸福である>という現代では常識となったギリシア起源の幸福感から<他者のために自己を献げる>(大なるものに自己を委ねる)ことが善であるというヘブライ起源の発想への転回である。」

前3世紀 ギリシヤの哲学者メトロドロス
 「われわれのうちにある幸福の原因は、外界から生ずる幸福の原因よりも大きい。」

前1世紀 ローマの詩人ホラーティウス 「完全に幸福なものは何もない」 『歌集』わずかなもので暮らすことの出来るというのは幸いだ。…どうして、短い人生に多くを求めて、あくせくとわれらは時を過ごすのだ。 『書簡詩』何ものにも驚かないということこそ、人を幸福にし、幸福を保つ唯一の方策です。…困るのはいずれにしても、何かしら思いがけない出来事が起こるとショックで、そのために心が動揺する点です。

前1世紀 ローマの思想家マルクス・トゥッリウス・キケロ 『義務について』「わたしたちにもっともふさわしいものは、わたしたちにとってもっとも自然なものである。」「人間の本領は真実の探求と追求である。…われわれはなにかを見聞して知識を増やすことを熱望し、…万物を認識することが幸福に生きるために必要だ」「肉体の快楽は人間の優越性にふさわしくない…肉体に与える滋養と手入れは健康と体力を考えて行うべきであり、快楽を基準とすべきではない。」 『大カトー・老年について』徳と知の教師はいくら老いても有意な青年たちに囲まれ、師と慕われ幸せである。/快楽を求めることが、人間にとって最大の敵である。老年期にはそれが失せてくる。ありがたいことである。/旅路の残りが少なくなれば、路銀を余計に欲しがるなどという馬鹿げたこともなくなる。老人は充分幸せに生きられる。/死後、霊魂が完全に消滅してしまうなら、死なんかまったく無視できる。反対に霊魂が永遠に生きる場所に連れて行かれるなら、死はむしろ切望される。いずれにしろ死後、不幸になることはありえない。

前1世紀~ ローマの詩人オウィディウス『変身物語』 「死ぬまでは、だれも幸福ではない」

紀元後1世紀 「ヨハネによる福音書」キリスト教は決して不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している。
 「マタイによる福音書」”幸い”「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。/悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。/柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。/義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。/憐れみ深い人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。/心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。/平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。/義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。/わたしたちのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。」 

 ローマのストア派哲学者セネカ 「われわれはわれわれのものを他と比較しないで喜ぼう。自分以上の幸福を見て苦しむ者は、決して幸福になれない」

2世紀 ギリシアの風刺作家ルーキアーノス
 「まことの富は魂の内なる富ぞ、そのほかは益少なくわざわい多し。」

4~5世紀 キリスト教神学者アウグスティヌス 「幸福な生活」善を欲して欲するものを持つならば、そのひとは幸福である。しかし悪を欲するならば、それらを持っても不幸である。恵み深い神を所有するひとは幸福である。真理によって最高の限度にまで達した人は誰でも幸福だ。これが魂にとっては神を所有すること、すなわち神を享受することだ。

1260年 日蓮『立正安国論』「国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり、楽(ねが)う所なり」 日蓮は、個々人が内面において自己満足するだけでは不十分と考えていた。国土を客観的に改造することによって、人々がその中で幸福を実感できる理想社会を実現することが必要であるという立場をとっていた。(法然の教えとは異なって)人はこの世にあるうちにこそ苦悩から解放され、生の喜びを満喫しなければならない。(佐藤弘夫)
 『法華経』福徳の人「みずから身心をととのえ、心を統一し、戒めをたもち、禅定に入り、瞑想の境地にあり、怒ることなく、悪口を言うことなく…高慢になることなく、怠惰となることなく、聡明であり、しっかりとしていて質問されても怒らないで、生きものにたいして同情の心をもち、かれらにふさわしいことを説く人」サンスクリット原文和訳

14世紀 イタリアの詩人ペトラルカ「学ぶことよりほかには何の幸福も感じない。」

17世紀までのヨーロッパ
 多少悲観的な人生観や表情が好ましいとされていた。キリスト者は「喜びや悦楽を享受することなく、いくぶん悲哀を装い、禁欲に身をおく」者に、神は手を差し伸べた。大半のひとたちは、幸福が訪れると罪の意識に駆られた。罪深き人間にとって、悲しげな振る舞いのなかに慎みを示すことこそ、最たる方法であった。

1662年 フランスの思想家ブレーズ・パスカル死去 遺稿集『パンセ』 「人間は幸福になりたいと思う。幸福になりたいとのほかはなにも思わない。また、そう思わずにはいられない。」「わたしたちは、真理と幸福とをねがい求めずにはいられない。」「人間の関心のすべては、幸福をつかみたいということにつきる。ところが、人間は、当然幸福を保持する値打ちがあることを示すにたるだけの資格を持つことができそうにない。なぜなら、人間は、人間的な幻想を抱いているだけのことで、幸福をしっかり保持して行く力がないからである。」「世間の一般の人々は、財産とか外面的なしあわせとかに幸福があるように思っている。あるいは、せいぜい、気ばらしに幸福があるように思っている。哲学者たちは、そういうことがみな、空しいことであると教え、かれらがめいめい幸福のありそうに思ったところに幸福があるとした。(しかし虚栄心という錨が人間の心の底深くに居座っている)「うぬぼれを持ち、人からもてはやされたいとねがうほどである。哲学者までが、そうなりたいとねがう。…今、こんなことを書いているわたしも、たぶん同じ望みを抱いているのだろう。そして、おそらく、これを読んでくださっているかたがたも……」「神を知ることなしに、さいわいがないことは確かである。神に近づくにつれて、幸福になることも、神を確実に知ることが幸福の究極だということも確かである。また、神から遠ざかるにつれて不幸になることも」

17世紀 中国明の洪自誠『菜根譚』
 「身分不相応な幸運や正当な理由のない授かりものなどというものは、天が人を釣り上げる甘い餌であるか、さもなければ人の世の落し穴である。」

17世紀から18世紀 啓蒙主義の時代
 聖書や神学などの権威ではなく、人間の理性によって、世界を理解しようとする啓蒙思想の運動が、幸福の価値観を大きくかえた。イギリスの詩人アレクサンダー・ポープ(1688~1774)は「おお幸福よ。我らの存在の究極の目的よ」とうたいあげた。
 幸福の価値観や表現がキリスト教から解き放たれ、大衆は「幸福と自立への陶酔」を大きな課題とした。300年ほど前のヨーロッパ、幸福の意味は劇的に変化したのである。
 「幸福は必要不可欠なもの」という認識は、あくまで近代に誕生したものと、わたしたちは理解しなければならない。ピーターN・スターンズ(ジョージ・メイソン大学教授)は「およそ250年前、西洋文化に、少なくとも幸福にまつわるレトリックに重要な変化が生じた。」

18世紀 歯科学
 歯科技術が飛躍的に進歩した。その結果、やっとこの時代のひとたちは、口を大きく開いて笑うことができるようになった。レオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)「モナリザ」のあいまいな微笑は、歯抜けや虫歯を見せぬためという。

1755年 ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』
 他人には憐れみ(ピティエ)を持って、できるだけ他人の不幸を少なくして、自分の幸福を築け。

1759年 フランスの哲学者作家ヴォルテール『カンディード』
 楽園のような故郷を追われた貴族の青年カンディードは、苦難と災厄に満ちた世界各国を放浪する。幸福はどこにも見当たらず、奇縁でつながった仲間とともに片田舎にささやかな居を構える。近くに住む貧しい農夫はいった。わずかばかりの土地を「子どもたちと耕しております。労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」。彼らは農民として生きることに、やっと平安を見出した。

1759年 英国の文学者サミュエル・ジョンソン『幸福の探求ーアビシニアの王子ラセラスの物語』
 桃源郷「幸いの谷」で退屈な毎日を過ごす王子ラセラスは妹の王女とともに、本当の幸福を探すために出奔する。しかしどこにも幸福は見当たらず落胆し、結局はもといた幸いの谷に帰ることを決意する。
 ジョンソンはこの作品を亡くなった母の葬儀費に当てるために、わずか1週間で書き上げた。本人も認める通り、ヴォルテール『カンディード』を下敷きにしている。また『青い鳥』のメーテルリンクは、この「ラセラスの物語」からヒントを得ている。

1760年代~1830年代 産業革命がイギリスではじまる。

1764年 英国の詩人作家オリヴァー・ゴールドスミス詩集『旅人行』
 「いつでもどこでも、頼りになるのはおのれ独りだ、おのれの幸(さち)はおのれが築くのだ、おのれが見つけるのだ。」

1776年 アダム・スミス『国富論』 経済の進展とそれに伴う仕事の分業化によって、自分の理解力を働かせたり、発明や発見する力を働かせたりする「努力を払う習慣を失い、およそ創造物としての人間がなり下がれる限りのバカになり無知にもなる。彼は精神が遅鈍になるから、何か筋の通った会話に興をわかせたり、それに加わることができなくなるばかりか、どのような寛大で高尚な、または優しい感情をもつこともできなくなり、したがってまた、私生活の義務についてさえ、その多くのものについてどのような正当な判断も下せなくなる。」

1776年 アメリカ合衆国独立宣言
 すべてのひとびとに「幸福を求める権利」が認められた。「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信じる。」 1946年日本国憲法第13条には「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」とある。

1781年 ベンサム「功利の哲学」
 イギリスの哲学経済学者ジェレミー・ベンサム(1748~1832)は、行為がどの程度の幸せを生むかによって、その行為の有用性を評価するという「功利の哲学」を発表した。すなわち、最大多数の最大幸福「個々人の幸福の総和が社会全体の幸福であり、したがって社会全体の幸福を最大化すべきである」。ベンサムのいう「幸福」とは「功利であり「快楽」のようです。

18世紀 フランスの著述家シャンフォールは「幸福は容易に得られるものではない。幸福をわれわれのうちに見いだすのは至難であり、他の場所に見いだすのは不可能である。」

1789年~1799年 フランス革命 89年に人権宣言を採択。

18世紀末 笑うアメリカ人
 アメリカでは幸福の追求が、あたかも革命のごとき勢いで広がった。幸福になることが、政治の大テーマになった。そしてひとびとは笑うことを幸福の象徴とし、驚くほどよく「笑うアメリカ人」が正当化され、現代までアメリカ人は世界一よく笑う。笑いはステレオタイプ化しているが。
 心理学者の芋阪直行は「笑いには脳の快楽中枢に近い部位がからんでいる。脳には欲求が満たされたり、満たされそうになると快感を覚える報酬系がある。笑いはこの報酬系が働いている。」

19世紀 労働と家庭と幸福
 中産階級の登場により、労働についての倫理観は「仕事は幸福の源である」という主張につながった。そして家庭はあらたな責任を負うことになった。妻や母親は家庭の雰囲気を暗くしないように努め、働き手の夫に報い、優秀な子どもを育てることが求められた。(ピーターN.スタンーズ)

1819年 ゲーテは『西東詩集』 「昔も今も、人と生れて最大の幸福は 人柄に帰する」

1826年 ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベル『人間の教育』
 「知恵を求めることは、人間の最高の目的であり、人間の自己決定の最高の行為である。」

1851年 ドイツの哲学者ショーペンハウアー『幸福について』
 原書は随想集『筆のすさびと落穂拾い』に収載の「処世術箴言」。日本では訳書はだいたい『幸福について』と題される。新潮文庫や岩波文庫など。
 年金生活者は労働から解放され、時間の自由を得ている。自己の意識と自己の個性を楽しむ絶好の立場にいる。ところが大多数のひとたちは余暇を活かすことができず、退屈しか得ることができないでいる。彼らはみな不幸である。
 「われわれ人間の本質の基礎、したがってわれわれの幸福の基礎をなすものは、われわれの動物的な自然性である。だからわれわれの福祉にとっては健康がいちばん大事で、健康に次いでは生存を維持する手段が大事である。…名誉とか栄光とか位階とか名声とかは、いかに重きを置く人があるにせよ、こうした本質的に大事な財宝とは比肩しうべくもなし、またそうしたものの補いにもならない。」
 「有り余る富は、われわれの幸福にはほとんど何の寄与するところもない。金もちに不幸な思いをしている人が多いのはそのためである。」
 「幸・不幸に関しては、あらゆる点において、想像力に制限を加えるがよい。したがって何よりもまず空中楼閣を築かぬがよい。空中楼閣は建てる端から溜息とともに取りこわさなければならない性質のものだから、犠牲が大きすぎるきらいがある。」
 「何かをすること、できることなら何かを仕上げること、せめて何か覚えるということは、人間の幸福には欠くことができない。人間の能力は使用されることを求めてやまず、人間は使用の成果を何らかの形で見たがるものである。けれどもこの点で最大の満足を得られるのは、何かを仕上げること、作ることである。籠を編むもよし、書物を著わすもよい。…閑暇に憩うのはむつかしいことである。」
 「幸福の追求からは不断の幻滅が生じ、不断の幻滅からは不満が生ずる。夢に見た漠然とした幸福の面影が、気まぐれな姿をとって目先に去来し、われわれはこの面影の正体を求めるが、得られるよしもない。」
 「どこかに特別な幸福が宿っているだろうとか…さらに大きな幸福があろうとかいうような妄想はもういだかない。」

1859年~ ロシアの作家フョードル・ドストエフスキー 『スチェパンチコヴォ村とその住人』幸福は徳行の中にこそ含まれているものである。『白痴』疑いもなくコロンブスが幸福だったのは決してアメリカを発見し終わったときではなく、実にアメリカを発見せんとしつつあったときなのだ。…実のところ彼が発見したものがなんであるかをも知らずに(インドであると信じながら)死んでしまった。問題は生き方にあるのだ。『悪霊』人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由である。…人間には、幸福のほかに同じだけの不幸がつねに必要である。『未成年』幸福な人間はつねに善良である。『カラマーゾフの兄弟』心の正しい者はすべて、聖者と言われる者は全て、殉教者はすべて、それこそ一人残らず幸福な人たちであったのです。

19世紀後半 離婚と天国
 アメリカの離婚率が急上昇した。原因は夫婦の幸福への期待が、現実の家庭生活とかみ合わないことによる。
 またキリスト教宗教観の変化に伴い、天国は亡くなった近親者たちとの喜びの再会を果たせる幸福の地であるとする考えが定着した。この天国観は死後の恐怖や悲しみを軽減し、多くの安心と共感を生みだした。

1867年 ドイツの哲学者フォイエルバッハ『幸福主義』。幸福は主観的なものである。「私の幸福は私の個性から引きはなされることができない。私の幸福は単に私自身の幸福にすぎず、あなたの幸福ではない。」

1867年~ カール・マルクス『資本論』全3部。
 毛沢東は「『プロレタリアートは全人類を解放することなしに自らを解放しえない』というマルクスの教えを実行する」とよく語った。宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは幸福はあり得ない」。釈尊は「一切の行きとし生けるものは、幸せであれ」

1886年 トルストイ『人生論』
 「生活とは幸福への願いである。幸福への願いが生活である。……ところが思慮のない一般大衆は人間の幸福は動物的自我の幸福の中にあると思っている。」

1888年 イギリスの詩人オスカー・ワイルド『幸福な王子そのほか』

1891年~ スイスの哲学者カール・ヒルティ『幸福論』
 「幸福こそは、人間の生活目標なのだ。人はどんなことをしてもぜひ幸福になりたいと思う。最も厳格なストア主義でも、他の人々が幸福とみとめるものを断念することによって、彼の流儀で幸福を得ようとするのだし、極端に世をのがれようとするのだし、極端に世をのがれようとするキリスト者でさえ、別の生活のうちに幸福を求めるのに過ぎぬ。また厭世家も結局、かれのひそかな誇りのなかに幸福を感じ、仏教徒は無、すなわち無意識のうちに幸福を置くのである。」「享楽は、たとえそれが最高にして最良のものであっても、働きの合間にただ少量だけ用いる薬味であり、気分転換であるべきで、これを過度に用いる者はみな、自分を欺いて結局ひどい目に会うのである。」「人生において本当に堪えがたいのは、悪天候の連続ではなく、かえって雲のない日の連続である。」
 「利己心より目ざめ 永遠を把握し 愛に導かれて 地上のものを手段と解し これを支配する。これのみが世にありうる幸福の状態である。」(ゲルツァー)

1898年 明治民法施行。離婚届出制になったため以降、1963年まで離婚率は毎年低下。

1900年 徳富蘆花『自然と人生』
 家は十坪、庭はただの三坪だが「庭狭きも碧空(へきくう)仰ぐ可(べ)く、歩して永遠を思ふに足る。」

<2012年5月6日初回 その後改訂>
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