8月16日夜、京伝統行事の五山送り火が20時からはじまります。まず如意ヶ嶽「大」の薪(まき)が点火され、次に松ヶ崎「妙法」、西賀茂「舟形」、左「大文字」、最後は20時20分に嵯峨鳥居本「鳥居」の薪に火がつきます。あの世から帰って来た霊、あるいは初めて彼岸に旅立つ霊魂を送る、京古来の宗教行事です。
今年の送り火では東北の被災地、陸前高田市で津波になぎ倒された松原の木からつくられた薪(護摩木)約350本を燃やす予定でした。護摩木には亡くした家族や縁者への鎮魂の思いが記され、また復興の願いが刻むがごとくに書き込まれていました。ちなみに陸前高田市の松林は、福島第1原発から200キロも離れています。
京都市民もみな、この企画に賛同しました。東北から遠く離れた京の地で、わたしたちもささやかながら応援しよう。そのような気持でした。
ところが事態は急転する。「被災松の薪を燃やすことはまかりならん」。送り火保存会は放射能汚染を危惧して、自制してしまったのです。検査を行っても放射能は検出されなかったのですが。
京都市役所や保存会には京都市民などからの抗議が殺到しました。わたしの周りでも、全員が「恥ずかしいでしょ。京都市民として情けない。東北被災地のみなさんには、本当に申し訳ないです」
そして京都では一転して、護摩木五百本をあらたに受け入れ、送り火で燃やすことが決定しました。「よかった」とわたしたちは胸をなでおろしました。
ところが念のために放射性セシウムを検査したところ、薪1キロ当たりから約1000ベクレル超量が検出された。「まさか?!」。京都市役所などでは大混乱が起きてしまいました。検出されるはずがないとみなが信じていた松の木片から…。今夜の送り火では結局、汚染薪は使われない。
放射線防護学が専門の安斎育郎(立命館大学名誉教授)は「木に触ったり、燃やして拡散した灰を吸い込んだりしても、影響は計算する気にもならないほど低レベル。京都市は風評被害を広めないよう、健康に問題がないレベルであることを、正しく情報発信するべきだ」(読売新聞8月13日)。安斎先生は反原発学者として、原子力ムラから長年阻害された方です。いまその彼が安心の太鼓判を押しておられるのです。
安斎先生は「放射能リテラシー」の必要を訴えておられる(京都新聞連載「3・11後を生きる」8月4日5日付)。以下抜粋。
放射能汚染の健康への影響を極力抑えることを最優先としたうえで、社会全体が汚染の現実を直視し、リスクを公平に受け入れる判断力「放射能リテラシー」を身につけることが必要である。それは原子力の恩恵に浴した世代が、子や孫に負の遺産を残さないための「新しい生き方」でもある。
官民、特に国内の関連各学会は専門家を動員し、信頼に足る情報を数多く発信すべきである。それらの情報をもとに、国民ひとりひとりが自らの安全性を判断し、食の素材を選び口にする。3・11以降、日本はそういう国になったのだと、私たちは自覚しなければならない。今後少なくとも数年、長ければ数十年間、放射能と付き合うための「放射能リテラシー」をひとりひとりが身につける覚悟が必要な国になったのだ。
リテラシーを持たないままだと、誤った不買行動や風評被害が広がりかねず、農林漁業への打撃は一層深刻になる。放射能を過度に恐れず、しかし事態を軽視せず、正しく付き合うというリテラシーが必要になる。
福島で何が起こっているのかを、しっかり把握し、次世代のために「こうやってリスクを低減した」というノウハウを世界に示すことが、取り返しのつかない事故を起こした国の人類史的な役割、責務だと思う。わたしたちは全員が、社会全体で「自分たちでやる」と決意せねばならない。
<2011年8月16日 五山送り火の朝に記す>
今年の送り火では東北の被災地、陸前高田市で津波になぎ倒された松原の木からつくられた薪(護摩木)約350本を燃やす予定でした。護摩木には亡くした家族や縁者への鎮魂の思いが記され、また復興の願いが刻むがごとくに書き込まれていました。ちなみに陸前高田市の松林は、福島第1原発から200キロも離れています。
京都市民もみな、この企画に賛同しました。東北から遠く離れた京の地で、わたしたちもささやかながら応援しよう。そのような気持でした。
ところが事態は急転する。「被災松の薪を燃やすことはまかりならん」。送り火保存会は放射能汚染を危惧して、自制してしまったのです。検査を行っても放射能は検出されなかったのですが。
京都市役所や保存会には京都市民などからの抗議が殺到しました。わたしの周りでも、全員が「恥ずかしいでしょ。京都市民として情けない。東北被災地のみなさんには、本当に申し訳ないです」
そして京都では一転して、護摩木五百本をあらたに受け入れ、送り火で燃やすことが決定しました。「よかった」とわたしたちは胸をなでおろしました。
ところが念のために放射性セシウムを検査したところ、薪1キロ当たりから約1000ベクレル超量が検出された。「まさか?!」。京都市役所などでは大混乱が起きてしまいました。検出されるはずがないとみなが信じていた松の木片から…。今夜の送り火では結局、汚染薪は使われない。
放射線防護学が専門の安斎育郎(立命館大学名誉教授)は「木に触ったり、燃やして拡散した灰を吸い込んだりしても、影響は計算する気にもならないほど低レベル。京都市は風評被害を広めないよう、健康に問題がないレベルであることを、正しく情報発信するべきだ」(読売新聞8月13日)。安斎先生は反原発学者として、原子力ムラから長年阻害された方です。いまその彼が安心の太鼓判を押しておられるのです。
安斎先生は「放射能リテラシー」の必要を訴えておられる(京都新聞連載「3・11後を生きる」8月4日5日付)。以下抜粋。
放射能汚染の健康への影響を極力抑えることを最優先としたうえで、社会全体が汚染の現実を直視し、リスクを公平に受け入れる判断力「放射能リテラシー」を身につけることが必要である。それは原子力の恩恵に浴した世代が、子や孫に負の遺産を残さないための「新しい生き方」でもある。
官民、特に国内の関連各学会は専門家を動員し、信頼に足る情報を数多く発信すべきである。それらの情報をもとに、国民ひとりひとりが自らの安全性を判断し、食の素材を選び口にする。3・11以降、日本はそういう国になったのだと、私たちは自覚しなければならない。今後少なくとも数年、長ければ数十年間、放射能と付き合うための「放射能リテラシー」をひとりひとりが身につける覚悟が必要な国になったのだ。
リテラシーを持たないままだと、誤った不買行動や風評被害が広がりかねず、農林漁業への打撃は一層深刻になる。放射能を過度に恐れず、しかし事態を軽視せず、正しく付き合うというリテラシーが必要になる。
福島で何が起こっているのかを、しっかり把握し、次世代のために「こうやってリスクを低減した」というノウハウを世界に示すことが、取り返しのつかない事故を起こした国の人類史的な役割、責務だと思う。わたしたちは全員が、社会全体で「自分たちでやる」と決意せねばならない。
<2011年8月16日 五山送り火の朝に記す>