ふろむ播州山麓

京都山麓から、ブログ名を播州山麓に変更しました。本文はほとんど更新もせず、タイトルだけをたびたび変えていますが……

アリの散歩

2011-08-30 | Weblog
 「働き者の代表はだれ?」と聞かれて、「それはわたしです」と答えるのはむずかしい。しかし、かつては世界中から驚嘆の目で見られた日本人。「アリのように働き過ぎだ」「電車のなかでも本や新聞を読んで、勉強している」「家族も顧みず、身を粉にして働く日本人は、ワーカホリックの異常人種だ」…
 バブルの前までは、そのような国際評価が一般的だったように思います。ところがバブル期、「額に汗せずして濡れ手にアワ」。日本の労働観は一変してしまいました。バブルは泡沫の泡ですが、崩壊喪失してしまったのは粟で、みなアワテてしまったのかもしれません。
 その後の失われた20年、勤労を失い、バブル踊の祭の後、わたしたちは働くことの本当の意味を見失ったのかもしれないと思います。
 近ごろの外国人の日本人観は「夜遅くまで会社に残っているけれど、集中力に乏しく、ただ時間だけがずるずる過ぎている。時間浪費型労働としかいいようがない」。辛辣な評価を受けているようです。

 先週、南米から現地のネイティブ3人が京都に来られました。チリとアルゼンチンとコロンビア。女性ふたりと男性ひとりです。京での歓迎会はスペイン語でのやりとりでした。わたしはチンプンカンプン。幸い参加の日本人10人ほどがほぼ全員、スペイン語が達者で翻訳してくださいました。
 メンバーの多くがJICA青年海外協力隊で南米にボランティアで駐在したひとです。といってもシニアバージョンで、年齢はほとんどが60歳を過ぎておられる。
 コロンビアとアルゼンチンのおふたりの挨拶は「日本にJICAの招きで来て1ヶ月になりますが、日本人はみな几帳面でまじめ。ルールに縛られ、息苦しさなどを感じていましたが、京の日本人のみなさんはみな自由奔放で明るく元気。日本を見直しました」。爆笑になりましたが、京の町衆はみな自由な遊び人を自負している元気な連中ばかりです。

 小笠原信さんの詩集『遊べ、蕩児』をみていますと、「働きアリでも ヘンリ・ファーブルによれば 彼の虫生の5分の4は 散歩を楽しんでいるのだ」。これには驚きました。
 あわててアリ本を求めて読みました。長谷川英祐著『働かないアリに意義がある』です。本の帯には「7割は休んでいて、1割は一生働かない」と、ショッキングなコピーが記されています。
 
 地下の巣のなかでは、勤労アリが忙しそうに働いています。卵の管理、幼児には餌を与え、巣がこわれないように修繕もしています。ところが巣内の仲間の圧倒的多数は、働かないでのんびりしている。
 不思議だ。サボりが半数以上も占める集団が、なぜ滅びないのか? 長谷川氏によると、「反応閾値(いきち)モデル」理論で説明できるそうです。
 アリにもそれなりに個性があり、仕事に敏感な連中がまず忙しく働く。しかし彼らが疲れて来ると、幼児たちが空腹を訴える。するとこれまで家のなかでのんびりしていた第2陣グループが働きだす。それでも手が足りなければ、昼行燈の鈍い連中が重い腰を上げて労働にいそしむ。このように閾値(反応レベル)が異なる連中を数多くかかえることによって、集団メンバーは共倒れすることなく、組織は永続が可能となる。これが反応閾値モデルだそうです。
 また巣外の地上を歩きまわるアリたちは、いっしょ懸命に働いているのでしょうか? わたしには散歩をしているようにみえます。犬も歩けば棒に当たる。アリも「今日は雨だから森に行って落ち葉の絨毯のうえを歩こう」とか、「久しぶりに小川沿いの散歩もいいなあ」。そのように新地にチャレンジすることによって、大きな獲物を発見することができるのではないでしょうか?
 もしもショートケーキ1個を見つければ、たいへんな成果です。重量はアリ1匹の数千倍かもしれない。短時間で家に運び込まないと、ライバルのアリ集団に横取りされてしまう。発見者は大至急で巣に帰り、ボヤっとしている鈍い連中に動員をかける。待機アリがたくさんいるから、速攻の動員作戦が可能になる。
 そして食糧庫の在庫が増えれば、熱中症を避けてのんびりすればよい。しかし食糧が減れば、散歩組を増員する。むだな食糧やエネルギーの消費、肉体の疲労などは極力減らした方が、集団にとってプラスが大きい。
 ムキになって一目散に働く人間ばかりの会社組織より、多様性のあるアリ社会の方がよほど高いレベルに達しているのかもしれない。均質の金太郎飴の組織はもろい。

 ところで、セブン&アイ・ホールディングは、「社員の散歩制度」をはじめられた。「ぶらぶら社員」制度というそうだ。流行を察知し、新しい商品やサービスを発見開発するのが狙い。若手社員が何人か、毎日ぶらぶらと街を歩いている。
 しかし真面目社員はつい結果を求めすぎます。早く成果を得ようとすると、つい平凡な結末に行き着いてしまうのではないでしょうか。
 わたしなら住宅地の公園に通って、散歩アリを観察しながら、若い母親と幼い子どもたちを毎日ながめたい。アリと人間の子育て行動の比較研究から、新しい発見にたどり着きそうな気がするからです。
 しかし新発見の前に、不審人物として通報され、職務質問を受けるのが関の山でしょうか。

○参考書
小笠原信著『遊べ、蕩児』編集工房ノア 2001年刊
長谷川英祐著『働かないアリに意義がある』メディアファクトリー新書2010年刊
<2011年8月30日>

コメント (2)
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