公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

バンク先生、もうコメントなし?

2009-06-22 22:09:31 | 競輪

いろいろ勉強になったのになぁ・・・

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/3cfd4c5835711699b08c03afd351a55c

お疲れさんだな。ありがとう!

ところで、他の競輪系サイトであれば間違いなく、元選手、ということであれば、歓迎の話ばかりが向けられるだろう。

しかし、当ブログでは通用しない!?そもそも、選手の大量首切りに賛成か?反対か?なんていうサイトは、ここだけだろうな・・・

改めて、お疲れ様でした。

しかしながら、バンク先生が登場してからというもの、総閲覧数は連日4000近くいっているし、閲覧者数もほとんど1000を超えていた。

明日からは、大幅に減りそうだなぁ・・・

 

 

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プレミアムカップオートレース回顧

2009-06-22 17:31:42 | 大レース回顧集

プレミアムカップオートレース優勝戦が22日、船橋オートレース場で行われた。走路状態は湿走路。

1 田中   茂  3.67

2 竹谷   隆  3.70

3 浦田 信輔  3.78

4 荒尾   聡  3.72

5 東小野正道 3.73(再)

6 高橋  貢  3.69

7 早川清太郎 3.74

8 岩見  貴史 3.72


スタートは、田中が最内枠を利して出て行く。1周1角で、高橋が思い切って田中を叩きに出たが、田中は高橋の動きを封じて先頭。そしてここからは、田中と高橋のマッチレース状態に。

中盤あたりでは、田中が徐々にリードを広げにかかったが、湿走路のためか、中盤以降、次第に高橋が持ち直しにかかる。そして残りあと2周を通過した1角手前、高橋が何と外から捲って田中を封じ込め、ついに先頭に立った。その後はリードを広げた高橋が優勝。通算900勝を達成するとともに、歴代第1位の小林啓二と並ぶ、通算149回目の優勝を果たした。

というわけで、高橋にとって、この優勝はかなり大きな意味を持つものとなった。 

次回の高橋の出場予定は、7月2日開幕のG2 スターライトチャンピオンカップ(伊勢崎)。新記録達成なるか?


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蝶野がイメージキャラクターって

2009-06-22 11:35:03 | 競艇

明日開幕のグランドチャンピオン決定戦。

湯川浩司の、史上初のSG 3連覇の偉業がかかる注目の開催となるが、そのイメージキャラクターに蝶野正洋が起用されている。なお、蝶野は最終日に、戸田競艇場に来場する予定。

http://www.kyotei.or.jp/race/special/2009_0623/img/poster1280.jpg

ところで、蝶野の起用については、三沢さんの不慮の死があった直後だけに、ヘンな言い方をするとタイミングがいいというのか、何か、因縁めいた思いもするね。

蝶野と三沢さんは、一緒にタッグを組んだこともあれば、一戦交えたこともあるという、まさに旧知の仲。加えて、年齢もほぼ同年代である。

となると、トークショーでも、三沢さんとの思い出話が出てくるのかな?

競艇とは違った意味で、「黒いカリスマ」の存在は見逃せないかも。


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摩訶不思議

2009-06-22 11:09:36 | 競輪

コンドル日記TOOL4より

平成21年6月20日
恐ろしくて目標額を訊くのを躊躇ってましたが、やっぱりと思って、つい「幾らですか」と言ったら、何と145億、何を根拠にこの数字が出るのか理解に苦しみましたが、やっぱりこのくらいは出さないと歴史ある宮杯だからでしょうけど、叶いもしないことを願っても、本心は130億なのかもだが、ちゃんとした数字をださないとやってる者の士気に影響するのでは。見栄ではダメ、現実をもっと直視する勇気も必要ないのでは、3日間でやっと80億強が実情。


その通りだろうな。

結局、総売上は約123億円。本心の130億円すらいっていない。しかも今回は、中央競馬のG1や、競艇のSGが谷間だったという、絶好のローテーション。にもかかわらずこの数字であるだけに、抜本的な番組見直しが必要ってことなんだろうな。

ところで、不思議なことに、競艇の女子王座決定戦については、逆に目標数字が低すぎるんじゃないの?と言われかねないくらいだが、確か週間レースの記事によれば、5年続けて目標を突破しているとか。

となると、逆に「低い目標」を掲げたほうがいいかも。競艇あたりでは、下方修正なんてしょっちゅうやっているみたいだし。

「グランプリの目標売り上げは40億円です!」

「ダービーも今や、150億売れれば御の字です!」

そういった、「保守主義の原理」を取れば逆に、施行者も選手もやる気が出るのかな?

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続 片折行って何者?

2009-06-22 09:16:19 | 競輪

バンク先生のコメントを一部掲載することにしよう。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/ea6d3888bac7ab6b5e65429e9055863a

プロ選手に対して、日本は、消耗品扱いですね・・・だとしたら、選手寿命(使い捨てをさせない)をながくするシステム、福利厚生を充実しようと、考えるのは、労働者として当たり前だと思います。当時は、プロ野球の選手会も見学にきたみたいですよ!景気低迷なのに現状、公務員のみ、優遇される 退職金、年金・・・を、民間が非難しているみたいなぁ・・・・まるで、公務員叩きにも似た感じがしますが・・


先生はご存知だと思うが、競輪選手は、労働基準法に定められた労働者とは認められていない。民法に定められた「社員」、というのが法律上の地位。したがって、私は、選手を切ることは恐るるに足らず、と述べているのは、この定めがあるから。


競輪選手は、やがて、脚が落ちます・・・S級からA級、A級からB級に落ちた時に、最下位層の賞金がしっかりしていて よかったと感じるものでした。 選手会は、トップ選手のみの優遇(上位の高額賞金)が 選手の地位向上とは考えなかったのでしょう。 売上が、激減し賞金は、下がる一方です、選手は 経費(自転車等)が、掛かりますし、このままでは、下位選手は、副業等しなくては、生活出来ない状態になるでしょう・・・今の選手は、危機感を充分感じだしたのではないでしょうか!(T社長の個人的な、評価で、すべての選手が、判断されるのは如何なものかと思います。) 近年、退職選手が、A級3班だけでないのは、それを、物語るのではありませんか?


ま、競輪選手は年俸制じゃないから、その点においては同情すべき点はある。

43期ナンバーワンの北村徹という選手がいたが、新人王を完全優勝したり、世界選手権・ケイリンで3位に入ったり、はたまた井上茂徳の初タイトルに貢献したりなど、将来を嘱望された選手だったにもかかわらず、故障が原因でトップクラスから急に落ち、しかも、だましだまし競走を続けていくうちに、A級ですら勝てなくなった。最後は見ていて可愛そうだったくらい。それに関連する話は、野呂さんの本にも書かれていた。もし競輪にも、確固たる公傷制度があれば、北村がここまで落ちぶれることは恐らくなかったように感じる。

ところで、A3だけが退職しているわけではない、という話だが、高橋健二や竹内久人(S2からA1に陥落決定した時点をもって引退)は年齢的にいって仕方ないにしても、若松将弘がS1在籍のまま引退した件については驚かされた。 

思うに、金銭的な理由よりも、精神的な負担のほうが大きかったんじゃないかな。渡邉大吾の引退についても、似たような理由があった、という話がもっぱらだし。

このあたりの話を踏まえ、今の競走スタイルに問題があるのではないか、と思った。UCIルール化したらどうか?というのは、今の競輪選手の中に、不本意な辞め方をしている選手が少なくないのではないか、と思ったから。A3以外の選手が少なからずやめている理由は、この点にあるからではないか。


片折さんの時代のように 売上が落ちても、賞金を上げるために、無茶苦茶な賞金闘争しているとも思えませんし 賞金も落ち続け、選手数も少なくなっております・・・ あくまでも、私が選手だったからの考えですが、 制度変更(三点セット)で、苦しむのは 選手は、弱い選手です!強い選手も三点セットでは、すぐに、弱い選手になります。


この話についてはどうだろ?

選手数が少なくなった、といっても、3500名近くいるぜ。何度も言っているが、本当に今の競輪の現状において、それほどの選手数は必要なのか?

それと、三点セットについては、競輪の先行きを案じているからこそ。

前に述べた、競輪場大量廃止にかかるシュミレーション話はかなり極端だとしても、私自身は、ひょっとするとそうなるのではないか、と思っている。要は競輪選手会も「待ち」の状態ではダメだって。客も施行者も、もはや競輪への「助け舟」を出すことについては限界を感じている。そのあたりを選手の皆さん方にも、分かって欲しいよなぁ・・・

さて、競輪選手のたがが緩んでいる、という話に触れてみたい。

少なくとも、前にも書いたことがあったが、私が約25年前に競輪を覚えた頃の競輪選手といえば、月刊競輪などの記事を読む限り、実に尊敬に値する人物だと思ったよ。

多分、バンク先生も含めて、60期前半あたりの選手が新人だった頃までは、そうした流れがあったように感じる。それは。

展開がどうとかにかかわらず、「負けた自分が弱いんです」と素直に言う選手がほとんどだった。

ということ。

自分の非を認める人間って、なかなかいないからね。それは、客が何もそこまで言う必要がないのに・・・と思っていてもそうしていた。というわけで、私が競輪を知った頃の競輪選手ってしっかりとした教育ができているんだなぁ・・・とつくづく感心させられた。だから競輪はすばらしいんだと。そして、意外にも当時、「格闘技競輪」についても、私は容認派だった。それは多分、悪気があってやっているのではない、と思ったから。ところが。

これは片折さんが悪いと言う話ではもちろんないんだが、どうも、片折体制の頃になって、180度、そうした態度が転換してしまったみたい・・・

特に、コンドル日記の記事も借りて当ブログで幾度となく述べたし、大量落車コーナーでも述べたことがあるが、

「こんなルールでは走れない」

とかほざいた選手がいたとか。

それ以前に、1999年の「格闘技競輪」回帰って、競輪選手の要望もあったんだろ?(詳しいことはバンク先生に訊いたほうがいいかもしれないが)

しかし、格闘技競輪体制はわずか4年で破綻。だからって、2003年から始まった現行ルールが既に実施されているというのに、「こんなルールじゃ走れない」では、買う側の客はたまったもんじゃないぜ。

加えて、記念、S級シリーズの直前欠場は日常茶飯事。そして、その理由を聞いても、はっきりしたことは分からない、って一体どういうことなのか?と思った。そう考えると、明らかに客を無視しているよな。

とりわけ、加藤慎平なんか、奈良の西王座戦のときは、まだ勝ちあがり権利があるというのに、途中で帰ってしまったからねぇ。

ははーん、これは思うに、競輪選手も、違った意味で「疲れているんだな」と思った次第。だから、「三点セット」の話を持ち出した。言い換えれば、三点セットは、選手のためを思って言い続けているんだけどなぁ・・・

前述した、「負けた自分が弱いんです」という話に回帰せよ、とは言わない。しかしながら、T社長がなぜ、

「大半の選手の危機意識はゼロ」

って言っているのか、私もなんとなくよく分かる。

それと、当時の選手がなぜ、

「負けた自分が弱いんです」

といったことについても。

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高松宮記念杯競輪回顧

2009-06-21 17:16:45 | 大レース回顧集

第60回目の節目の大会となった高松宮記念杯競輪決勝戦が21日、大津びわこ競輪場で行われた。

5 渡邉晴智が、4 阿部康雄とのスタート争いを制し、並びは、1 山崎芳仁-渡邉、2 武田豊樹-7 平原康多-阿部-8 諸橋愛、9 浅井康太-3 小嶋敬二-6 南修二。

残りあと2周の地点を過ぎ、浅井以下が上昇。まず武田に蓋をした浅井は、ジャン地点で正攻法位置へ。ところが、山崎に突っ張り切られてしまった小嶋が、何と番手を奪われてしまい、後退を余儀なされてしまう。この動きを見た武田がすかさず残りあと1周手前よりスパート。最終1センター付近で、浅井が平原に牽制するが、平原はその動きを封じて武田の番手をガッチリマーク。しかし、浅井も平原後位へ入り込み、3番手。一方、山崎は浅井後位を阿部-諸橋に取られてしまったため、バック付近では6番手まで後退することに。4角付近で、早くも平原が武田を交わして先頭に立ったが、平原追走の浅井、そして2センター過ぎから捲り追い込みをかけた山崎が強襲。ゴール線上はきわどい勝負となったが、平原が優勝。1/2輪差で山崎が2着、さらに1/4輪差で浅井が3着に入った。

今回は武田マークで挑むことになった平原が、悲願のG1初制覇を果たした。

ただ、武田の番手回りから抜け出し、というレースにはなったが、内から浅井に牽制されるわ、また、山崎の鋭い捲り追い込みが炸裂するわで、最後はタイトルを取ることの難しさを体感した形となった。

最近はすっかりG1決勝戦の常連となった平原だが、不可解とも言うべき内容の敗戦もいくつかあり、あとは精神面をいかに強化するか、という点が課題となっていた。しかし今回、見事に60回目という、節目の宮杯優勝者に輝いた。今度は持ち前の自力でタイトルを掴むことに挑んで欲しいもの。

山崎は脅威の4回転パワーを見せたが、惜しくも2着。浅井も平原後位にうまく入り込み、さらに直線に入っても平原を追い詰めた脚は光った。

小嶋は迂闊だったというしかないな。

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片折行って何者?

2009-06-21 11:05:05 | 競輪

バンク先生も崇拝している?片折行という人物。既に鬼籍の人だが、この人についての評価は分かれるところだろうね。

ま、今で言うところの、「カリスマ」的な存在だろうな。とにかく、1989年のグランプリ中止の首謀者であるし、特別競輪の4日間制を事実上推進した人物であるともいえる。

特に、この人が選手会の理事長だった頃、競輪選手の平均獲得賞金額は、最大で約1300万円程度までいったことがある。むろん、公営競技の中で、最もそれが多かったのは競艇(一番多かった頃で約2000万円)だが、競艇は選手数約1500名。「一千万円プレーヤー」の数は、断然競輪のほうが多く、1990年代半ば頃には、A4クラスであってもそうした選手が続出。つまり、約3000名の選手が一千万円プレーヤーだった、ということになるな。

私が競輪を知った約25年ほど前、月刊競輪の記事によると、競輪選手の平均獲得賞金額は約800万円だったと記されている。むろん、当時の物価水準等を考えれば、この数字であってもかなり恵まれていただろう。ところが。

片折氏は、トップクラスの選手だけしか出場できない高額賞金レースばかり増やして、普通競輪にそのしわよせがいっていると主張。つまり、トップクラスばかり優遇するな!競輪選手全体の賞金底上げを図れ!と主張し続けた。

ところで、片折氏は、政治家でさえも御することができずにいる、あの「官僚集団」を手玉に取り続けたという意味では、かなりの大物だったといえる。

さらに、片折氏は日本自転車競技連盟の会長を務めていたが、彼が在任中時代、ケイリンのオリンピック種目化を実現させた。一時は、世界選手権の種目からも除外されかかったケイリンだったが、彼の「子飼い」を各国に派遣させて技術指導を施し、さらにUCIが、「ワールドカップ開催をしたいが、日本車連も協力してもらえないか。」と打診された際、即座にOKを出したとか。UCIを完全に味方につけたことで、オリンピック種目が実現したのは言うまでもなし。ま、裏で大分カネが出ていた、という話もあるが、便宜上、そのことには目をつぶろう。

ま、バンク先生が、片折さんには感謝している、と言うのは無理からぬ話だろうな。

しかしながら、当時のトップクラス選手は、片折氏を必ずしも評価していなかった。

というのは、競艇の場合、SG、G1の賞金が大幅に上がったため、賞金王決定戦に出場できる選手は、最下位(12位)選出の選手であっても1億円近くとなるケースにだんだんなっていったのに対し、競輪といえば、1億円プレーヤーは年間せいぜい5~6人出ればいいほう。

つまり、下の底上げは図れても、トップクラスだけを見ると、中野浩一が1980年にプロ選手初の1億円プレーヤーとなっているにもかかわらず、それ以後、ほとんど1億円プレーヤーが誕生していないのはおかしいのではないか、という声が上がったのである。よって、プロスポーツ選手を目指す若者が、こと賞金額を見る限り、Jリーグの誕生や、プロ野球選手の年俸が急騰した影響もあってか、大した魅力には映らなくなった。また、同じ公営競技であれば、競艇選手を目指したほうがいい、という流れになってしまったわけである。

しかも、1990年代といえば、借り上げ施行者の相次ぐ撤退が生じた時代。つまり、普通開催はもはやこの頃から、「お荷物」であり、通産省も自転車振興会もこうした点については認識していたのであるが、片折・選手会の目からは、こうした背景がほとんど無視された挙句、21世紀に入ってから、西宮・甲子園廃止、という、最悪のシナリオを描く羽目になってしまったのである。

むろん、こうした話については、バンク先生から猛烈な批判が出てこようが、当時の競輪マスコミの論調から察するに、

「片折・選手会は、B級擁護団体」

と取られてしまったわけである。

ま、片折さんというお方の実績については、今でも賛否両論があるだろうね。

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ナイターSG拡大へ

2009-06-21 00:39:42 | 競艇

昨日の記事でも述べたが、2010年の全日本選手権はナイターで行なわれる。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/0fb11312294e328fdff5e7de11913c9c

2002年のモーターボート記念が、ナイターSGの始まりとなったが、ついに8SGのうち、3SGまでがナイター。さらに、競艇ダービーがナイター開催ということについてはかなりの意味合いがありそう。

全日本選手権といえば、賞金王決定戦が行なわれるまでは、競艇界最大のイベントだった。とりわけ、笹川賞が始まるまでは、住之江で毎年開催されていた時代もあった。

ところで、最近の競艇ダービーの開催地だが、1999年から2008年までの10年間では、戸田、福岡、平和島の3場で計7回の開催が行なわれた。ちなみに今年は尼崎。しかしながら、ここに名前が挙げられた競艇場はナイター対応場ではない。

となると来年以降、競艇ダービーは、こうした競艇場では開催されなくなってしまうことになる。しかしながら、ここに名前が挙がった競艇場は比較的売り上げも多く、また、立地条件もいことから、集客力も高い競艇場である。

もしナイター対応場だけ、ということになると、桐生、蒲郡、若松、住之江、丸亀でしか開催できなくなるが、住之江を除けば、お世辞にも立地条件がいいとは言いがたい。

競艇ダービーではなくて、グランドチャンピオン決定戦をナイター開催とするならば話は分かるのだが、「ダービー」である以上、それなりの客を集められる場での開催が望ましい気がするのだが・・・

もっとも、住之江におけるナイターSG開催の布石、とも取れよう。

メッカ・住之江でSGを開催するということであれば、賞金王決定戦を除くと、望ましいのは、全日本選手権、笹川賞、総理大臣杯あたりに限られてくるだろうし。そうなると、競艇ダービーはいずれ、住之江での開催となるのではないか。

ところで、住之江のナイター開催が決まった際、大阪のスポーツ紙はこぞって、

「賞金王決定戦もナイター開催!」

という見出しを掲げた。

しかしながら、住之江のナイター開催は今、5月から10月までしか許可されておらず、恐らく拡大も難しい情勢。となると、決定戦のナイター開催は夢物語でしかない。

そこで白羽が立ったのがダービーだったというわけか。

しかしながら、私の意見からいえば、全日本選手権をナイター対応場だけに限定するのは反対だな。というか、競艇SGも、いよいよ切羽詰った状況なのかな?とかんぐってしまうわけだが・・・

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競輪客は怖かった

2009-06-20 21:11:10 | 競輪

バンク先生も、片折体制時代のお方だったのね。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/0dcf391a8942e3e1e206cb3d695ae0cc

片折さんのとった政策は、今でも感謝しています
それまでは、競輪選手の扱いが、余りにもひどかったんです!(昔は、まだ酷い扱いだったと聞きました・・)先行し捲くられて、脚一杯の選手に、係りから「おい!お前早く、入れと!」敢闘門から、怒鳴られる事がありました。片折さんの改革で、対応が変わりはじめまして、嬉しかった思いがあります。


なぜこんな話が出たのか、大体の想像はつく。

私が競輪場へ通いはじめた頃もまだ、野次が全国一きつい、西宮・甲子園においてその名残があったが、要は、昔の競輪客は「怖かった」ということ。

競輪の記事は、「黄金時代」と呼ばれた昭和20年~30年代と言われた頃、一般紙によく出ていたらしい。ま、大概社会面だったそうだが。

つまり、騒擾事件が頻発していたということ。

阿佐田哲也が、自身のコラム本でも述べていたが、丁度、「西武園事件」があった日に阿佐田自身が来場。それは、白鳥伸雄が出るからという理由からだったそうだが、とんでもないことに遭遇してしまう。

1周目あたりで、なぜか白鳥が隊列を離れてズルズルと後退。大本命を背負っていた白鳥がこのような事態となったものだから、この時点で場内は騒然とした。そして、レースが終わり、配当を見たところ、二千円台。万車券になっていなければならないはず、と客が思い込んだせいもあってか、

「おい!配当が安すぎるぞ!」

「こんなデタラメなレースあるか!八百長だ!バカヤロ!」

という話になってしまい、ついには騒擾事件となってしまった。ところで、阿佐田は騒擾事件が起こる前に、見ず知らずの客とともに、

「これからもっとひどいことになるから、ここからすぐに出たほうがいいよ!」

と諭されて、すぐさま西武園を出たらしい。

ちなみに白鳥がズルズルと後退した理由はパンクによるものだったとか・・・

白鳥の行為は言うまでもなく、不可抗力。しかし、結果だけしか見ていない客が多かったせいか、白鳥は八百長した、と思い込んだんだろうな。

しかしながら、1965年のオールスター競輪決勝で優勝した際には、白鳥は客から「胴上げ」されることになるんだが。

今だったら、こんな事態にはならないだろうね。客もどうしてこのようなことになるのか?と、考えるだろうし。それ以前の問題として、まだ1周目あたりで接触もしていないというのに、パンクなんて起きるわけがないもんな。

選手はそう思っていなくとも、客は何を考えているか分からない。少なくとも、昭和40年代あたりまでの競輪では、「客の恐怖」を、施行者は重々感じていた、ということになる。

ところで私の親父にこういわれたこともあったな。

「おい!何かあったら、すぐ逃げろよ!」

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バンク先生の「反撃開始」か?

2009-06-20 09:41:18 | 競輪

当ブログで盛んに出てくる

「選手の大量首切り」

に対し、元S級レーサー・バンク先生が反撃開始か?

競輪が「中途半端改革」を続ける訳のコメントより

経済産業省の天下りで、競輪知らない人が、会長(何もしない・・・事なかれ主義で、すましてきた・・・)して、三年くらいで給与退職金で、1億貰って、渡りをしていると聞きました(あくまでも、噂で聞いたんですが・・・) 今は、下重さんて民間人登用なんですかね? 公営競技は、官僚の天下りの為にあるんじゃないかなって思ってしまいます・・・ 収益金の使途は、たぶん法律で決まっていると思いますが、競輪再生の為に、一時的に(再生、構造改革の為に流用して)活用させていただく事ができないのかなぁ?って考えます。 公営競技の考え抱える問題は、今選挙の焦点である、特殊法人の問題であると思います。 競輪の売上低下に対して 昔から、選手のせいだけにする傾向がありますが、制度や政策面を企画プロデュースする人達にも問題があると思います。


ところで、4年前にこんな事件があったな。

http://www.scn-net.ne.jp/~shonan-n/news/051126/051126.html

折しも今年(2005年)6月、同省大臣官房室企画室長による裏金づくりと不正流用事件が発覚した。官房企画室では30年前から自転車振興会補助金の一部をプールして裏金づくりをしていた。歴代の企画室長によって管理され、飲食費や接待費などに充てられていたが、前企画室長は裏金のなかから2400万円を私的に流用していたといわれる。競輪の売り上げによって賄われている日本自転車振興会補助事業の資金を不正に流用したものだ。しかし、同省は本人を刑事告発することもなく、退職金付きの論旨免職という甘い処分。全国競輪施行者4団体では、今回の不正事件を契機に上納金制度のあり方を抜本的に見直すよう強く要請しているが、同省は冷ややかな態度だ。

当時の週刊文春の記事にも似たような内容のことが書かれていて、競輪のアガリを管理できる人間が、旧通産省ではエリートとさえ言われたらしい。

そして今でも同じことが行なわれているとすれば、言うまでもなく大問題。しかし、ここでも述べたように、今の自公政権では、こうしたところにメスを入れるのははっきりいって「ムリ」である。よって、政権を交代せねばならないわけか・・・

とはいっても、競輪の頂点に立つ、経済産業省、JKAにメスを入れるためには、政治家が本腰を入れて乗り出してもらわねばダメだし、またそれなりの「シッポ」(実態)をつかまねばならない。ま、相当に時間はかかるだろうが、民主党が本当に特別行政法人に対して抜本的にメスを入れる気があり、かつ実行に踏み切ってくれるのであれば、「天の声」は目をつぶろう?

しかしながら、前にも述べたとおり、KERINグランプリの実質の創設者は、西川さんという、当時の通産省の車輌課長。グランプリの創設については、競艇もオートレースも地方競馬も、そしてあの中央競馬にも大きな影響を与えたことは言うまでもないが、このグランプリの創設以降、ふるさとダービーの創設なども「当たって」、1985年年度から1991年年度まで、競輪は7年連続で売り上げ対前年比アップを果たした。ま、途中でバブルがあったけど、それを差し引いても、こうした実績を上げたことについては、評価してあげねばなるまい。というか、グランプリ創設って、バブル前のことだったぜ。

(ここからは、多分にフィクションの話も混じっています)

問題は、1989年のグランプリ中止から始まった、競輪選手会との「銭ゲバ闘争」。片折行VS役所連合軍(通産・日自振)との攻防戦は、はっきりいって、客や施行者のことなんか、全く気に掛けていなかったからね。

それに輪をかけるかのごとく、バブル崩壊が追い打ちに。

一方、片折・選手会は、

「まだまだ賞金を上げられるだろ!」

「競艇を見ろ!どんどん賞金が跳ね上がっているだろ!」

と、バブル崩壊後にも、執拗に役所連合軍に襲い掛かかり、1990年代半ばには、A4あたりのクラスでも、「一千万プレーヤー」を誕生させたばかりか、

「特別競輪を有象無象に増やしやがって!しかも、場外発売拡大させろ?冗談じゃない!普通開催を何と思っているんだ!ダービーとオールスター以外は4日間制にしろ!」

と訴えて、これも通してしまった。一連のこうした弱腰施策が、後に役所連合軍の首を締め上げることになったのは言うまでもなし。

おまけに、

「ヒラ開催だけしか開催できない我々(借り上げ施行者のこと)のことなんか、全然考えていない!赤字の垂れ流しばかりじゃ、競輪やる意味ないよ!」

と、全輪協の「無策」ぶりがあったとはいえ、施行者の反乱が各地で相次いだ。しかし、役所連合軍は、

「特別競輪の売り上げが上がれば、いずれ、競輪全体の売り上げも上がっていきますぅ~」

と、逃げ腰策に出るだけ(で結局、1992年以降、17年連続で競輪の売り上げは右肩下がり。現在も継続中)。

これに業を煮やしたのが?兵庫県市町競輪事務組合。

「中のオバハンの賃金も高いし、選手の賞金は上がる一方やし、それでいて、ヒラなんか客けぇへんで。赤字は膨らむ一方や。もうええ加減、やめさせて欲しいわ!」

と言って、1999年の甲子園オールスターが思う通りの結果にならなかったことから、

「今年(2000年度)限りでやめさせてもらうわ!」

と言って、廃止をちらつかせた。

ところが、役所連合軍は、西宮・甲子園のこうした動きがあるにもかかわらず、

「やめたきゃやめれば。西宮・甲子園だけじゃなく、ダメなところはどんどんやめてもらっていいんだよ。」

と高をくくり、何と、

「今ある(当時50場)競輪場のうち、半分残せばいいだろ。」

というシュミレーションを描いていたそうな。

そんな態度だから、役所連合軍は西宮・甲子園の廃止に関しても半ば、「いい加減」な態度でしかなく、

「ま、選手会がうるさいこともあるんですが、選手の練習地がなくなる問題があるんで、せめて甲子園だけでも残してくださいませ~」

と言うだけ。しかも、片折行が2000年に他界したにもかかわらず、相も変わらずの体質だった選手会は、全輪協が市町競輪事務組合に提示(したと思われる)、西宮・甲子園 2場70日開催案に対し、事務組合側が、

「ま、これなら、ちょっと考える余地はありますわ」

と、一応検討する余地があったにもかかわらず、

「バカヤロ!そんなことをしたら斡旋が減るだろ!」

といって蹴飛ばし、その後、ようやく選手会も事務組合が本気と映ったのか、

「だったら西宮なんかやめちまえ!甲子園だけ存続だ!」

と方向転換。しかし、甲子園記念があったにもかかわらず、2001年4~6月期の甲子園の収支は「赤」。

「もうあきまへんなぁ。甲子園だけ残したって、赤字が膨らむ一方ですわ。」

と責め立てられた選手会の抵抗もあえなく終わり、いつしか、ただの傍観者だけに終始していた役所連合軍も、

「残念ですが、2場廃止は仕方ありません。」

と白旗を上げた・・・

しかしながら後に、役所連合軍は、西宮・甲子園の2場一気の廃止が「間違い」だったことに気づかされる・・・

(続く?)

しかしながら、上述のフィクション交じりの話を見る限り、経済産業省、JKA、競輪選手会は、「三悪」だと思うが・・・

だからまず、選手会に揺さぶりをかける必要がある、と考えられないか?

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丸亀、またもやSG開催

2009-06-20 05:58:09 | 競艇

2010年度の競艇SG、特別G1開催地決定。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20090619108.html

競艇名人戦(4月13~18日・徳山)

笹川賞(5月25~30日・浜名湖)

グランドチャンピオン決定戦(6月22~27日・大村)

オーシャンカップ(7月14~19日・丸亀)

モーターボート記念(8月24~29日・蒲郡)

全日本選手権(10月6~11日・桐生)

競艇王チャレンジカップ(11月23~28日・唐津)

賞金王決定戦(12月18~23日・住之江)

共同通信社杯新鋭王座決定戦(11年1月25~30日・宮島)

女子王座決定戦(同3月1~6日・三国)

総理大臣杯(同3月16~21日・戸田)


しかしながら、また丸亀でSG開催が行なわれるな。また、全日本選手権は桐生となっているが、当然のことながらナイター。競艇ダービーもついにナイター開催化される。

http://www.kyotei.or.jp/infomation/topics/200906/19_001.html

さらに、大村で悲願のSG開催が決定。大村でのSG開催は、1955年の第1回モーターボート記念以来。


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競輪が「中途半端改革」を続ける訳

2009-06-20 01:18:52 | 競輪

ところで、KEIRINグランプリの実質の創始者(実質的には発案者といったほうが正しいか)は、当時通産省の車輌課長だった西川禎一氏であった、という話を、立川競輪のフリーペーパー、「とらいふぇくた」で読んだことがある。しかしながら、西川氏の存在すら知られていないのが現状ではないか。

ちなみにその西川氏、その後「しっかりと」、通産省の外郭団体にあちこちと天下っているみたいである。だから名前も残らないのか・・・

これが中央競馬であれば、「有馬記念」とか「安田記念」、競艇では、有名な「笹川賞」という形で残っているというのに・・・

だからではないが、競輪って、牽引する人間が誰が誰だか分からない状態なので、必然的に「なぁなぁ体質」がまかり通っているのかもしれないな。よって、改革の旗印も弱いってことになるのかな。

一方、当時日本小型自動車振興会の理事だった瀬戸比呂志氏は、オートレースの改革にかなり踏み込んだお方だったといえるかも。

というのは、絶対に6場を存続させるとして、開催の大幅削減に踏み切り、浜松オートの存続に関しても、瀬戸さんが最後の最後になって、「民間委託」という話を出したことから、北脇・浜松市長は、鈴木修・スズキ会長らの猛烈な反発に遭いながらも、民間委託話を呑んだ。全競労の人も、瀬戸さんのことはかなり褒めていた。

もっとも、オートレース時代に頑張りすぎたせいか?最近行なわれた国会において、拙い答弁をしたとかでボロカスに叩かれていたようだが。

http://blog.goo.ne.jp/kiku18-rak/e/57a70e87dfc8cf03fbfb4329d8f1a173

しかしながら、オートレースはまだ、瀬戸さんのような人がいただけマシである。それに較べて競輪は・・・

現会長の下重さんもそうだけど、トップの存在感がどうも感じられない気がする。また、競輪については経済産業省の発言力がまだまだ強大なため、JKA単独でイニシアティブを取れないのかもしれない。したがって、一方では経済産業省の、また一方では日本競輪選手会の顔色を伺いながら、業務を遂行するしかないんだろうなぁ・・・

よって、改革とは名ばかりの状態が続いているのかも。挙句に、観音寺の乱をきっかけに、施行者からも圧力がかかる始末。

ま、JKAは、ソロソロ下重さんに替わるトップの人材を探しておいたほうがいいかもしれない。しかしながら一方で、競輪は、ボトムアップが通用する業界なのかも。

しがらみのない人間が、

「開催削減、発売削減、選手の大量首切りを真っ先にやれ!」

とシュプレヒコールを上げ続ければ、少なくとも、この三点だけは実現しそうな「予感」?既に開催削減については、施行者の手によって曲がりなりにも通させた。あとは2つ。いずれもやらねばならないことであるが、ボトムアップで押し通すか、はたまた強力なリーダーにやってもらうか、あるいは、自治労の力を借りて、2つを通させるか・・・

いずれにせよ、競輪は昔から、「トップが動かない」ところ。だったら、ボトムが動かすしかなさそう。

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民主党ならば、本当にやってくれるか?

2009-06-19 22:46:00 | 競輪

思えば、全競労といえば、自治労の一部。その自治労の支援を受けているのが民主党。JKAのカネの問題については、民主党が政権を取れば、何らかの答えを出してくれるのかな?

またまたバンク先生が興味深い話をしてくれている。

http://blog.goo.ne.jp/yoroshiku109/e/e6c86e2e90b482d05d788d017413f78c

良い商品だから、売れるのか? 売れる商品は、良い商品なのか? ベストセラーの商品が、本物であると思います。 競輪が、戦後公営競技の王様になったのは、簡単に出来た為、どこにもあり、気軽(コンビニ感覚!?)だったからだと思います。 老舗デパートが、コンビニに負けるなんて考えられなかったのですが、ギャンブルで気楽にと言う意味では、パチンコ(つねに、新機種で飽きさせない、綺麗な設備等、ファンサービス、時代のニーズにいち早く対応してきたから・・・)が、1番ですから、売上ランクが、人気を教えてくれると思います。 ギャンブルに対する、国民の嗜好の変化に、公営競技が、付いていけない時代になったと思います 手前みそですが、競輪は、ギャンブルの中で、1番面白いと、私は思ってます! スポーツとギャンブルが合体した最高のエンターテイメントだと思っております! ただ、残念な事に、公営競技は、法律に縛られ規制が厳しく、身動きがとりづらく、時代に対応してこれなくなってしまいました・・・ 選手会も、組合ですから 雇用確保、地位向上、福利厚生の充実に、力を注ぐのは、当たり前です!が、し過ぎたら、競輪が失くなります・・・最後に、選手時代から思っていた事で、辞めたから、言えますが 選手会選手の批難ばかりでなく、JKAの職員の給与 や存在(苦しい施行者から、上納金をとるのが良いのか?疑問です!)について、論議され考えないといけないと思います。競輪の「聖域」は選手だけでしょうか?、実は、JKAもかも知れません! JKAは、関係団体の中で、優遇されていんじゃないかと思いましけど・・・・JKA(現状、売上減で給与減やリストラ断行なら、やる事していたら、ごめんなさい。)の競輪制度の予測やプロデュースの失敗も低迷の原因だと思います。 JKAの批判は、選手会や選手のリストラ問題をかわす為の批判ではありません! 競輪界の構造問題を、改めて見直す時期なのかと考えたからです。


確かに、経済産業省並びに、旧日本自転車振興会の「癒着」ぶりについても、触れないわけにはいかないだろうね。しかしながら、ここに踏み込むためには、政治家の助けがどうしても必要になる。競輪最後の「聖域」。そう簡単に踏み込めるところじゃないぞ。

しかしながら、自民・公明の現与党では、ここにメスを入れることははっきりいってムリ。いまだ予算組みについて、官僚のいいなりになっているだけの政党だから。また共産党は、大企業叩きにはご執心だが、役所絡みの話についてはいたって「ご都合主義」。となれば、

「官僚のムダ撲滅!」

を謳う民主党(を中心とする、予定されている連立政権)に期待するしかないが・・・

ところで公営競技問題については、民主党内部でもプロジェクトチームがしばし作られているらしいし、前にも書いたが、鳩山代表が党の役職から降りた際、地方競馬問題の党責任者として全国の地方競馬場を行脚し、大黒大師匠にも会って話をしたそうなので、何らかの形で、競輪を含めた公営競技問題に着手してくれそうな気がする。でも・・・

民主党といえば、幹部クラスは元自民党出身者が多いし、若手・中堅ははっきりいって、修羅場をまだまだ潜り抜けていない「チーチーパッパ」ばかり。頭はでかいが、行動が伴わないのではないか、といったあたりが懸念される。したがって、本当に官僚を中心とした、天下り団体におけるムダ撲滅を果たしてくれるのか?心配なところ。しかしながら、自公政権よりははるかにマシだろうね。

もっとも、民主党が自治労の言いなりだと、それこそただ、

「賃金上げろ!」

だけに終始し、西宮・甲子園廃止の「原動力」となってしまった、悪い時代の競労組に「戻る」可能性がある。

その点について、押し込むだけでもダメ。引くべきところも必要になるだろうね。

ところで、岡田克也幹事長は旧通産省の出身。となれば、競輪に絡む話も当然のことながら知っているはず(何せ、競輪関係部署は、旧通産省時代は出世コースとさえ言われたらしい)。

仮に民主党が政権を取るようなことになれば、岡田幹事長に早期に首相になってもらったほうがいいかもしれないね。ただ問題は、岡田氏が昔お世話になった通産省の擁護に回ってしまうようだと、逆効果になってしまうが・・・


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興味深いバンク先生の分析

2009-06-19 15:57:55 | 競輪

「絶好の日程」って言ってたのに・・・ のコメントより

レースの乱発で、ファンやトップ選手も、疲弊してますね ・・・ G1ですら、飽きられていますね・・・ G1G2レースが多くなり番組のマンネリ化が進んでしまい、グレードによる差異が無くなっていますね 連戦で、選手も調整が難しいから安定性に欠けて きますね・・・ 本場で売れないから、間場外をして電話投票、サテライトの増設・・・ 何時でも買えるから、G1ですら購買意欲が無くなってしまいますね・・・ その上、本命適中率が、低いとファンの方も続けられなくなり 悪循環ですね・・・ このままじり貧になるか?結果を恐れず制度を抜本的に改革するか? 毎年売上減では、今のシステム(雇用維持ありきの開催)の競輪界では、施行者が、終わってしまうでしょうね・・・ 現状の競輪場では、現状の選手数に対して、雇用する力が無くなっています。 廃止になり選手調整するのか、ワークシェアリングするか? 赤字開催させず、競輪場を残すリストラを断行するか? BODさん、選手会も、何れかの選択を迫られる日が、近いでしょう・・・ 来年度の競輪界が、今までの対処改革か?血を流す抜本改革か? 来年の賞金決定時期の執行部の動きで、競輪の指標がわかると思います


T社長もここで言っているが、2年後には、競輪場への還付金の期限が切れる。確かに、これが切れると、廃止したい、と訴え出る競輪場が少なからず出てくるかもしれない。向日町や小田原、花月園などの競輪場が廃止をちらつかせているのは恐らく、「早めの手を打ちたい」からとおもっているからなのかも。

それにしても、先生も述べているように、今の競輪は、G1もG2もG3も、あるいはF1もへったくれもない、といった形容があてはまるのかも。このことは地方競馬と同様の状態なのかな。地方競馬にしたって、交流重賞ではない、各地区限定重賞の場合、南関東の一部の重賞を除けば、もはや集客力はない。その点、競艇やオートレースはまだ、SGには客を引き寄せる力がある。

新規客をなかなかつかめないまま、客が30年以上に亘って漸減していき、振り返ってみれば、ガラガラスカスカの観客席が当たり前。しかしながら、地方競輪場については、特別や記念の開催を行なった場合には、普段の2倍とか3倍の客が入るときがある。そう考えると、何度も言っているように、競輪場における潜在力はまだまだ見限れない、ということではないか。

となると、T社長が私が常々言っているように、合理的な開催日程を組むしかないのではないか、という気がする。そしてバンク先生も上記において、似たようなことを述べている。

昨日、ここで私がコメントしたが、競輪場がボコボコと廃止に仮になったとしよう。今の競輪場の数が半分になった場合、ひょっとすると、オートレースのように、上下半期1回ずつ記念の開催が行なわれる可能性もなくはない。記念がかろうじて今、「儲かる開催」ということであれば、むしろそうしたほうがいいという声も出てこよう。しかし。

G2はもとより、G1でさえ飽きられている現状。しかも、記念の売り上げは年々下がりつつある中、年に2回開催できたからといって、それがその競輪場の収益改善になるという考え方はいささか軽率とはいえないか。

その一方で、恐らく「残った競輪場」は、F1やF2(特にF2はこれ以上ご免だ、といわれるのがオチかも)をこれ以上引き受けたくない、と思っていることだろうから、それこそ、待ったなしの選手の大量首切りが行なわれることになるばかりか、下手をすると、A級在籍相当分選手については、斡旋なし、っていう話になっていくかもしれない。

そればかりか、競輪場がなくなることによって、ただでさえ少なくなっている客がさらんにドーンと減る恐れがあるため、普通に考えるとそうなった場合、売り上げの激減は免れない。当然、賞金総額もドーンと減らすしかない。

そうなると、グランプリの1億円なんて夢のまた夢。他のG1も半額以下相当が妥当。そうしないと、残った競輪場についても、経営維持が困難になるからね。と踏まえれば、競輪トップクラスの選手の賞金については、オートレースの水準あたりまで落ちることになるだろうね。

もしそうなった場合、脳天気に、「競輪場がなくならない限り、我々の身分は保証されたようなものだ!」と言い続けられるのか?

と考えれば、トップクラスの選手がむしろ、

「競輪の将来のために、ここは耐えがたきを耐え忍んでくれないか。」

と、諭すべきだと思うんだが・・・そうしないと、自分たちが苦しむだけになってしまう。

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イエーツが大偉業

2009-06-19 03:34:52 | 競馬

18日行われた、ゴールドカップにおいて、イエーツが同レース4連覇を達成。なお、1807年に創設された同レースにおいて、4連覇を達成した馬はこれが初めて。

http://www.sportinglife.com/racing/news/story_get.cgi?STORY_NAME=racing/09/06/18/RACING_Gold_Yeats_Profile.html

スポーティングライフの記事でも、

「True Champion」(真のチャンピオン)

と絶賛しきり。2着に3馬身半の差をつける圧勝だったようだ。

ところで、イエーツの父はサドラーズウェルズ。母の父、トップヴィルはフランスダービー馬。血統的にも一流だ。

特にサドラーズウェルズって、サンデーサイレンス以上の大種牡馬だが、その産駒が種牡馬となっているケースも多いし、代表産駒の一頭であるモンジューについては、その仔も種牡馬(ハリケーンラン、モティベーター、オーソライズドなど)になっているケースが少なくない。また日本だと、オペラハウスが有名だけど、その産駒であるテイエムオペラオーやメイショウサムソンが種牡馬になっているな。

ところがだ、前にもここのコメントでも述べた通り、イエーツには、種牡馬の需要がないみたい。あってもせいぜい障害馬専用が関の山だとか。つまり、G1を6勝しているが、内5勝が2400mを超える距離だから、というのがもっぱらの理由だそうである。

ところで、2006年のメルボルンカップでこのイエーツを破って勝利したデルタブルースの話が今持ちきりとなっているが、そのデルタブルースは先日、種牡馬決定から一転、乗馬となることが決まった。

ま、これ以上深入りすると、誤解するお方がいるかもしれないので、ここでやめておいたほうがいいな。

しかしながら、G1 4連覇って大したものだ!

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