18日放送されたサンデープロジェクトにおいて、日本共産党の志位和夫委員長が出演。なぜ出演したかというと、元日本共産党員の小林多喜二が書いた「蟹工船」が爆発的な売れ行きを示していることにかんがみ、資本主義のゆがみが色々な面で出てきているのではないかという意味合いがあったから。
ま、共産党といえばマルクス主義を貫く政治手法は変わっていないが、志位委員長は、今、世界経済を混乱に陥れているサブプライムローン問題や、劣悪を越えた悪質な労働問題(名ばかり管理職、日雇い派遣労働など)、さらには環境問題までも、マルクス、エンゲルスの本を引用しながら解説していた。
ま、結論からいうと、共産党の十八番の主張ともいうべき、
「大企業、大資産家(大資本家)からカネを取れ!」
というところに帰着したわけだが、それにしても、マルクス先生がこうした資本主義の横暴とも取れる事例を100年以上も前から予見したというのは、今思えば驚き。
『信用制度が、過度投機の主要な梃子(てこ)として現れる。
信用制度は、一方では・・・他人の労働の搾取による至富(ちふ)を、もっとも純粋かつ巨大な賭博とペテンの制度にまで発展させる』
(カール・マルクス 「資本論」より)
ということは、労働者によってもたらされた資本を、それを労働者に対して有効に使うどころか、自らの私服を肥やすために最も手っ取り早い方策である、信用制度、つまり株などの相場に入れ込み、それを拡大することによって多くの富を得ようとしているということを言いたいのだろうと思われる。
もっとも、各種資格試験において、マルクス経済学が出題されることはないに等しい。それどころか、経済学者の多くは、マル経は経済学にあらず、「宗教」であると論じている。上述の話についていえば、科学的な根拠を示せ、といわれれば、はっきりいって説明は不可能であろう。説明不可能なものを客観的な立場で見なければならない各種資格試験にて導入できるわけがない。したがって、国家I種試験においても、経済学の範疇というのは近代経済学に限定されている。
しかしながら、資本主義に都合が悪い事例が出てくると、なぜかマルクス先生が論じた話が生きてくるように思われる。日雇い派遣労働や名ばかり管理職など、企業側の都合のいいように取り扱われている労働問題についても、資本論では次のように論じている。
『「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」
これがすべての資本のスローガンである。それゆえ資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命に対し、なんらの顧慮も払わない。』
この話について志位委員長は、今の、特に大企業(共産党が指す大企業の定義とは、概ね資本金10億円以上の企業)の大半が、自分たちが経営している間だけ儲ければいいわけだから、極端な話、利益が出るのであれば労働者を粗末に扱っても構わないというように論じた。そして、今や数多出てくる労働問題については、自分が経営から降りたときに起こってくれればいい、といわんばかりであるという形でも論じている。
ま、これに関連した話といえば、バブル期における、金融、不動産業界の狂乱的ともいえる乱脈経営など、まさしくそれに当てはまる話。事実、当時経営者だった人間が刑事罰で捕まった例なんてほとんどない。つまり、経済状況が変わったから仕方ない、自分たちが経営者時代にやったことは悪くない、と言わんばかり。
さらに環境問題については、エンゲルスの「自然の弁証法」からこう論じた。
『われわれ人間が自然に対して勝ち得た勝利にあまり得意になりすぎないようにしよう。そうした勝利のたびごとに、自然はわれわれに復讐するのである。』
これについては、エンゲルス先生のおっしゃるとおりです、というしかないな。まさにその通り。そしてこのことを思うに、「神戸株式会社」と言われた神戸市の経営手法を振り返ってみることがよくある。
神戸市は、山を削ってその土砂を埋め立て、削った山には宅地造成をするなどして開発する手法を続けた。ポートアイランドがその典型例であったが、ポートアイランド誕生を記念して1981年に開催された「ポートピア」は、別に万国博覧会でないにもかかわらず、1600万人を越える入場者があったという、地方博覧会としては空前の人気を誇った。その後もポートピアランドなどの入場者は軒並み多かったし、また、「神戸」といえば、日本では屈指のブランド名を誇り、神戸に住みたいという人も少なくなく、造成した宅地はあっという間に埋まった。しかし、1995年1月17日午前5時45分に発生した大震災を境に、「神戸」の運命は大きく変わった。
「神戸株式会社」の手法は破綻。開発どころか、震災復興に手一杯で、財政は火の車を通り越している。また、ポートピアランドは閉園に追い込まれた。また、神戸から他へ移る人が急増した。神戸株式会社復活の旗印を掲げて開港した神戸空港も、地方空港扱いということで離発着回数は思ったほど伸びていないのが現状。
山を削ってその土砂を埋め立て、削った土地は宅地化する。これはまさに自然の摂理に相反するものといえよう。確かに一定の形ではそれも許されようが、神戸市はそうしたことを繰り返すことによって「商売」にしていたわけである。しかしながら、こうした商売のやり方にはやはり限界があるというもの。それを証明したのがあの大震災であろう。
志位委員長は神戸の話はしていないが、要は特に大企業が公害などを撒き散らした末に、現在の環境危機問題を誘発したと説明。
ま、別にこじつけ論という形ではなかったし、非常に分かりやすい説明だったといえる。もっとも、志位委員長の話をもって、資本主義の限界というようには必ずしも思えないが、あながち間違っていない話でもあり、非常に興味深かった。