なぜ東大は「世界大学ランキング」が低いのか(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
東洋経済オンライン 10月23日(日)6時0分配信
「今後10年間で世界大学ランキングトップ100に、わが国の大学が10校以上入ることを目指す」――。2013年に閣議決定された政府の成長戦略の中で、この目標が掲げられてから3年が経過した。ただ、今年も目標達成にはほど遠い状況だ。
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主要な世界大学ランキングはいくつかあるが、最も著名なのが英タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(以下THE)社によるランキングだ。THEは英国の有名な日刊紙『Times』が発行している教育の専門誌。特に毎年秋に発表している「世界大学ランキング」の影響力は大きく、日本政府も指標の一つとしている。
■日本の大学が抱える課題
日本ではベネッセコーポレーションが同社と提携するパートナー企業だ。今回、THE社は日本に特化した大学ランキングを2017年3月にも公表すると発表。そのためにマネージングディレクターであるトレバー・バラット氏、および編集長のフィル・ベイティ氏が来日。会見後、日本の大学が抱える課題を聞いた。
同社によれば総合ランキングは、①教育力(アンケートによる評判、教員あたりの博士学位授与数など)、②研究力(アンケートによる評判、研究者1人あたりの研究費収入・論文数)、③研究の影響力(論文の引用数)、④国際性(海外留学生や外国籍教員数の割合、国際共著論文の数)、⑤産業界からの収入(研究者1人あたりの産業界からの研究費収入)の5領域・13項目で算出される。
先月、発表した2016年版の世界大学ランキングでは、首位は英オックスフォード大学。2位は米カリフォルニア工科大学、3位は米スタンフォード大学と、9位のスイス連邦工科大学を除き、英米の大学が上位に名を連ねる。アジアでトップは24位のシンガポール国立大学。アジアで2位は29位の中国北京大学、3位は35位の中国清華大学となり、日本の東京大学はアジア4位(世界39位)だった。
東大には何が足りないのか。編集長のベイティ氏は「アジアの上位3大学に共通するのは、潤沢な資金力。国が大学への投資を増やしていることだ」と指摘する。
東大に足りない国際性
国土が狭いシンガポールは、人的資源としての大学への投資を重視してきた。中国も1990年代以降、大学への大規模な投資を何度も行ってきた。ベイティ氏によれば「その総額は約130億米ドル。米国などで研鑽を積んだ中国の研究者を呼び戻し、研究の環境を整えたほか、国際的なパートナーシップ作りにも力を入れた」という。
一方の東大はアンケートによる評判、教員と学生の比率など、教育力は他大学よりもはるかに高かったものの「国際性のスコアがきわめて低かった」(マネージングディレクターのバラット氏)。その他、日本勢では京都大学が94位に入ったぐらい。あとは軒並み200位以下となっている。
■日本の大学の厳しい現状
日本の大学が置かれている状況は厳しい。18歳人口は2018年から徐々に減少し、2020年以降は減少ペースに拍車がかかる。
一方、日本の大学数は国公立・私立あわせて775校(2016年4月1日時点)にのぼる。日本私立学校振興・共済事業団によれば、2016年度は私立大学の44.5%が定員割れの状況だった。
ベネッセを含めこれまでの日本の大学ランキングは、入試の難易度や就職率に基づくものが一般的だった。大学が“就職予備校”となっているのはないかとの指摘も根強い。
大学のランキング化については、慎重な声が上がるのも事実だ。東京大学や京都大学など11大学で構成される「学術研究懇親会」は今年7月、「本来多種多様な価値が集積する大学をランキングという1つの順位指標で評価すること自体がそもそも無理なことであるといわざるをえない」との見解を公表している。
たとえば論文の引用数については、「身近な研究者集団の中では互いの研究成果の情報交換も速やかに行われ、その結果、被引用数が増加しやすいのは当然である。(中略)日本の研究者は欧米の研究者に比べると地理的/言語的にハンディを背負っている」という。
こうした背景も踏まえ、THE社は提携するベネッセコーポレーションとともに、日本版の大学ランキングを策定中だ。ベイティ氏は、「われわれが目指すのは、従来のランキングでは見えてこなかった、すばらしい教育を行っている大学を見つけ出すこと」という。
ただ、「研究力や教育力が弱く、学生に十分な成果を提供できない大学は、私立大学ならば合理化や淘汰の対象になるかもしれない。その場合もデータは(合併や閉鎖などの)判断の根拠になる」と話す。
「文系廃止・縮小は間違いだ」
2015年6月には、文部科学省の国立大学向け通知に端を発する「文系廃止」騒動が注目を集めたが、ベイティ氏は「個人的な見解として、人文科学系学部の縮小や廃止は間違いだ」と断言する。
「世界的には、伝統的なリベラルアーツ(文系理系を区別しない幅広い教養)への回帰が見られる。英国でも、たとえば医学教育における人文科学(arts and humanities)が重視されている。骨折を治療できても、コミュニケーションや共感力が欠けていれば、よい医者とはいえないからだ」(同)
■ランキングにくすぶる不満
「米マサチューセッツ工科大学やスタンフォード大学といった理工系に強い大学でも、人文・社会科学系の学部は優れた成績を収めている。たとえば気候変動のような問題に対処するには、科学だけでなく人間の行動に関する心理学なども重要な役割を担う。理系の学生も人文科学を学び、文系の学生も自然科学を学ぶべきだ。これが将来の不確実性に対処する強靱さを身につけることにつながる」(ベイティ氏)
THE社と業務提携するベネッセは「すべての大学について同じルールでランキングがされるので、有利不利という概念はない。ただ、日本の大学にとって英語という言語の壁はあり、そこをどう克服していくかが問われているのは事実」としている。
ランキング至上主義に陥ることは好ましくないとしても、THE社のランキングは海外から見た日本の大学の一側面を示しているとも言える。日本の18歳人口が減少する中、世界の留学生を呼び込むための努力は、ますます重要になるだろう。はたして、THE社が2017年3月にも公表する日本版大学ランキングはどの程度の影響をもたらすだろうか。
平松 さわみ
ところで、今の日本の大学入試では、国公立大学はともかく、私立大学の文系学部ともなると、慶應の経済と商、上智の経済など、ごく少数の大学の学部を除くと、「数学を無視してもいい」ことになっている。
しかしながら、高校を卒業にするにあたっては、数学はもちろん、理科も履修しなければならない。所定の点数に達しなければ、「赤点」が入ることになる。
だが、高校によっては、大学入試の試験科目に特化するあまり、いわゆる、「履修漏れ」を意図的に行っていたところがあった。
一番顕著だったのが、必修であるはずの世界史の履修漏れだったが、要するに、日本史で受験予定の生徒が多いため、受験に必要がない世界史は無視されていたのだ。
ちなみに、私は大学受験では世界史を選んだけど、はっきり言うと、大学受験は世界史のほうが日本史よりも「ラク」だ。
なぜ日本史ではないか。
それは、日本史の試験では、「史料」というものが重要視されるからだ。
それに対して、世界史にはそんなものはない。
覚える量が膨大な大学受験において、まるで法律の判例のごとく覚えなければならない「史料」に目を向ける時間などなかった。
対して、世界史は歴史の流れさえつかめば対応できた。
ということで、今の日本の高校教育の実情は、「文系科目」ですら、まともに取り組まれていない。
さすれば、公務員の教養試験みたく、「広く浅く」高校教育の内容を網羅した、『共通テスト』なるものを行えばいいではないか、という話になるはずだが、日本の大学というところは、そういう観点については断固拒絶の姿勢を取る。
要するに、大学教育と公務員の適性試験は「相容れない」ということだ。
しかしながら、経済学部に入学すれば顕著になるが、ミクロ経済学の場合、いきなり「偏微分方程式」が出てくる。
「なんじゃこりゃ!」
偏微分方程式なんて、高校の理系ですら習わない。
さらに、線形代数も重要だが、今の高校の数学では、行列は習わないらしい。さすれば、理系の学生でさえも不人気と言われる線形代数を、経済学部の学生が「理解できるわけがない」。
でも、上記の2つが理解できなければ、少なくとも、経済学はちんぷんかんぷんのまま卒業、ということになってしまうだろうね。
実際のところ、私も「その一人」だったが。
だからではないが、最近は高校数学のほか、大学数学の範疇である、解析、線形代数といった数学の本を「読み漁っている」。物理にも意欲があるけど、今のところ、「ハードルが高い」。
ま、こんなものを読み漁ったところで、今更どうにもならない話ではあるんだが、気づいたことは、数学的な思考があれば、文章の組み立て方にも何らかのいい影響がある、ということだ。
つまりは、数学は文系の力をも変え得る、大変便利な代物なのである。
数学をちょっとはかじっていれば、先に結論を書いて、あとでその理由を述べる、といった論理付けがやりやすくなる。
また、数学にも「帰納法」というものがある。これは、試しにこうすれば成り立つし、さらに、一般的にはこうなるはずであり、実際にやってみたところ、やっぱり成り立ちました、ということを証明するものだが、こうした論法は、ゴリゴリの文系人には「なかなかできない」。
つまりは、数学は理系のはずなのに、知らぬ間に、文系に「取り込まれている」のである。
逆に、医学部の授業というと、高度な数学理論を用いて、と、文系人は「錯覚しがち」だけど、実際のところ、覚える授業ばかりで、高度な数学理論云々は、医学の中でも、医療機器などの工学系を研究する場合でない限り縁はないそうだ。
よって、医学部の授業は、「究極の文系」とさえ言われているとか。
つまりは、医学部の授業はまさしく、世界史を読み解くような授業ばかりといっても過言ではないらしい。薬学部だと、それはもっと顕著になるとか。
文系だから数学はいらない、理系だから世界史は必要ない、だなんてとんでもない。
大学の教育とはそんな単純なものではない。というか、文系も理系もない、というのが「真実」なのである。
東洋経済オンライン 10月23日(日)6時0分配信
「今後10年間で世界大学ランキングトップ100に、わが国の大学が10校以上入ることを目指す」――。2013年に閣議決定された政府の成長戦略の中で、この目標が掲げられてから3年が経過した。ただ、今年も目標達成にはほど遠い状況だ。
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主要な世界大学ランキングはいくつかあるが、最も著名なのが英タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(以下THE)社によるランキングだ。THEは英国の有名な日刊紙『Times』が発行している教育の専門誌。特に毎年秋に発表している「世界大学ランキング」の影響力は大きく、日本政府も指標の一つとしている。
■日本の大学が抱える課題
日本ではベネッセコーポレーションが同社と提携するパートナー企業だ。今回、THE社は日本に特化した大学ランキングを2017年3月にも公表すると発表。そのためにマネージングディレクターであるトレバー・バラット氏、および編集長のフィル・ベイティ氏が来日。会見後、日本の大学が抱える課題を聞いた。
同社によれば総合ランキングは、①教育力(アンケートによる評判、教員あたりの博士学位授与数など)、②研究力(アンケートによる評判、研究者1人あたりの研究費収入・論文数)、③研究の影響力(論文の引用数)、④国際性(海外留学生や外国籍教員数の割合、国際共著論文の数)、⑤産業界からの収入(研究者1人あたりの産業界からの研究費収入)の5領域・13項目で算出される。
先月、発表した2016年版の世界大学ランキングでは、首位は英オックスフォード大学。2位は米カリフォルニア工科大学、3位は米スタンフォード大学と、9位のスイス連邦工科大学を除き、英米の大学が上位に名を連ねる。アジアでトップは24位のシンガポール国立大学。アジアで2位は29位の中国北京大学、3位は35位の中国清華大学となり、日本の東京大学はアジア4位(世界39位)だった。
東大には何が足りないのか。編集長のベイティ氏は「アジアの上位3大学に共通するのは、潤沢な資金力。国が大学への投資を増やしていることだ」と指摘する。
東大に足りない国際性
国土が狭いシンガポールは、人的資源としての大学への投資を重視してきた。中国も1990年代以降、大学への大規模な投資を何度も行ってきた。ベイティ氏によれば「その総額は約130億米ドル。米国などで研鑽を積んだ中国の研究者を呼び戻し、研究の環境を整えたほか、国際的なパートナーシップ作りにも力を入れた」という。
一方の東大はアンケートによる評判、教員と学生の比率など、教育力は他大学よりもはるかに高かったものの「国際性のスコアがきわめて低かった」(マネージングディレクターのバラット氏)。その他、日本勢では京都大学が94位に入ったぐらい。あとは軒並み200位以下となっている。
■日本の大学の厳しい現状
日本の大学が置かれている状況は厳しい。18歳人口は2018年から徐々に減少し、2020年以降は減少ペースに拍車がかかる。
一方、日本の大学数は国公立・私立あわせて775校(2016年4月1日時点)にのぼる。日本私立学校振興・共済事業団によれば、2016年度は私立大学の44.5%が定員割れの状況だった。
ベネッセを含めこれまでの日本の大学ランキングは、入試の難易度や就職率に基づくものが一般的だった。大学が“就職予備校”となっているのはないかとの指摘も根強い。
大学のランキング化については、慎重な声が上がるのも事実だ。東京大学や京都大学など11大学で構成される「学術研究懇親会」は今年7月、「本来多種多様な価値が集積する大学をランキングという1つの順位指標で評価すること自体がそもそも無理なことであるといわざるをえない」との見解を公表している。
たとえば論文の引用数については、「身近な研究者集団の中では互いの研究成果の情報交換も速やかに行われ、その結果、被引用数が増加しやすいのは当然である。(中略)日本の研究者は欧米の研究者に比べると地理的/言語的にハンディを背負っている」という。
こうした背景も踏まえ、THE社は提携するベネッセコーポレーションとともに、日本版の大学ランキングを策定中だ。ベイティ氏は、「われわれが目指すのは、従来のランキングでは見えてこなかった、すばらしい教育を行っている大学を見つけ出すこと」という。
ただ、「研究力や教育力が弱く、学生に十分な成果を提供できない大学は、私立大学ならば合理化や淘汰の対象になるかもしれない。その場合もデータは(合併や閉鎖などの)判断の根拠になる」と話す。
「文系廃止・縮小は間違いだ」
2015年6月には、文部科学省の国立大学向け通知に端を発する「文系廃止」騒動が注目を集めたが、ベイティ氏は「個人的な見解として、人文科学系学部の縮小や廃止は間違いだ」と断言する。
「世界的には、伝統的なリベラルアーツ(文系理系を区別しない幅広い教養)への回帰が見られる。英国でも、たとえば医学教育における人文科学(arts and humanities)が重視されている。骨折を治療できても、コミュニケーションや共感力が欠けていれば、よい医者とはいえないからだ」(同)
■ランキングにくすぶる不満
「米マサチューセッツ工科大学やスタンフォード大学といった理工系に強い大学でも、人文・社会科学系の学部は優れた成績を収めている。たとえば気候変動のような問題に対処するには、科学だけでなく人間の行動に関する心理学なども重要な役割を担う。理系の学生も人文科学を学び、文系の学生も自然科学を学ぶべきだ。これが将来の不確実性に対処する強靱さを身につけることにつながる」(ベイティ氏)
THE社と業務提携するベネッセは「すべての大学について同じルールでランキングがされるので、有利不利という概念はない。ただ、日本の大学にとって英語という言語の壁はあり、そこをどう克服していくかが問われているのは事実」としている。
ランキング至上主義に陥ることは好ましくないとしても、THE社のランキングは海外から見た日本の大学の一側面を示しているとも言える。日本の18歳人口が減少する中、世界の留学生を呼び込むための努力は、ますます重要になるだろう。はたして、THE社が2017年3月にも公表する日本版大学ランキングはどの程度の影響をもたらすだろうか。
平松 さわみ
ところで、今の日本の大学入試では、国公立大学はともかく、私立大学の文系学部ともなると、慶應の経済と商、上智の経済など、ごく少数の大学の学部を除くと、「数学を無視してもいい」ことになっている。
しかしながら、高校を卒業にするにあたっては、数学はもちろん、理科も履修しなければならない。所定の点数に達しなければ、「赤点」が入ることになる。
だが、高校によっては、大学入試の試験科目に特化するあまり、いわゆる、「履修漏れ」を意図的に行っていたところがあった。
一番顕著だったのが、必修であるはずの世界史の履修漏れだったが、要するに、日本史で受験予定の生徒が多いため、受験に必要がない世界史は無視されていたのだ。
ちなみに、私は大学受験では世界史を選んだけど、はっきり言うと、大学受験は世界史のほうが日本史よりも「ラク」だ。
なぜ日本史ではないか。
それは、日本史の試験では、「史料」というものが重要視されるからだ。
それに対して、世界史にはそんなものはない。
覚える量が膨大な大学受験において、まるで法律の判例のごとく覚えなければならない「史料」に目を向ける時間などなかった。
対して、世界史は歴史の流れさえつかめば対応できた。
ということで、今の日本の高校教育の実情は、「文系科目」ですら、まともに取り組まれていない。
さすれば、公務員の教養試験みたく、「広く浅く」高校教育の内容を網羅した、『共通テスト』なるものを行えばいいではないか、という話になるはずだが、日本の大学というところは、そういう観点については断固拒絶の姿勢を取る。
要するに、大学教育と公務員の適性試験は「相容れない」ということだ。
しかしながら、経済学部に入学すれば顕著になるが、ミクロ経済学の場合、いきなり「偏微分方程式」が出てくる。
「なんじゃこりゃ!」
偏微分方程式なんて、高校の理系ですら習わない。
さらに、線形代数も重要だが、今の高校の数学では、行列は習わないらしい。さすれば、理系の学生でさえも不人気と言われる線形代数を、経済学部の学生が「理解できるわけがない」。
でも、上記の2つが理解できなければ、少なくとも、経済学はちんぷんかんぷんのまま卒業、ということになってしまうだろうね。
実際のところ、私も「その一人」だったが。
だからではないが、最近は高校数学のほか、大学数学の範疇である、解析、線形代数といった数学の本を「読み漁っている」。物理にも意欲があるけど、今のところ、「ハードルが高い」。
ま、こんなものを読み漁ったところで、今更どうにもならない話ではあるんだが、気づいたことは、数学的な思考があれば、文章の組み立て方にも何らかのいい影響がある、ということだ。
つまりは、数学は文系の力をも変え得る、大変便利な代物なのである。
数学をちょっとはかじっていれば、先に結論を書いて、あとでその理由を述べる、といった論理付けがやりやすくなる。
また、数学にも「帰納法」というものがある。これは、試しにこうすれば成り立つし、さらに、一般的にはこうなるはずであり、実際にやってみたところ、やっぱり成り立ちました、ということを証明するものだが、こうした論法は、ゴリゴリの文系人には「なかなかできない」。
つまりは、数学は理系のはずなのに、知らぬ間に、文系に「取り込まれている」のである。
逆に、医学部の授業というと、高度な数学理論を用いて、と、文系人は「錯覚しがち」だけど、実際のところ、覚える授業ばかりで、高度な数学理論云々は、医学の中でも、医療機器などの工学系を研究する場合でない限り縁はないそうだ。
よって、医学部の授業は、「究極の文系」とさえ言われているとか。
つまりは、医学部の授業はまさしく、世界史を読み解くような授業ばかりといっても過言ではないらしい。薬学部だと、それはもっと顕著になるとか。
文系だから数学はいらない、理系だから世界史は必要ない、だなんてとんでもない。
大学の教育とはそんな単純なものではない。というか、文系も理系もない、というのが「真実」なのである。