22日が現役最後のレースとなった坂本勉だが、今後は日本自転車競技連盟のコーチとなるとか。
競輪の坂本勉が引退会見「金メダリストを育てたい」(スポニチアネックス)
1984年ロサンゼルス五輪自転車スプリントの銅メダリストで、競輪の元賞金王の坂本勉(48)=青森=が23日、東京都内で現役引退の記者会見を行い「今後は(日本自転車競技連盟コーチとして)五輪で金メダルを取れる選手を育てたい。それが競輪の活性化にもつながる」と話した。
思えば、競輪デビュー前、坂本は、
『競輪の坂本と呼ばれたい』
と言っていたが、最初は何のことだか分からなかった。しかし、やがてその意味が分かった。つまりは、坂本は競輪選手として専念するため、プロのナショナルチームには入りません、という意思表示だったのだ。
現に、坂本は競輪選手になってから、一度して世界選手権には出場しなかった。
しかしながら今思うと、坂本がプロでもナショナルチームで活動していれば、世界選のプロ・スプリントの連覇記録は11よりも上積みできていたかもしれない。
ま、坂本がデビューした当時は、まさか競輪選手がオリンピックに出場できるなんて思っても見なかった時代だったので、ならば、もう「競技」のほうはいい、と思ったかもしれないね。
引退後はコーチか。しかしながら、中野強化委員長、松本監督、そして坂本コーチって、明らかに「中野シンパ路線」だよね。
競輪の坂本勉が引退会見「金メダリストを育てたい」(スポニチアネックス)
1984年ロサンゼルス五輪自転車スプリントの銅メダリストで、競輪の元賞金王の坂本勉(48)=青森=が23日、東京都内で現役引退の記者会見を行い「今後は(日本自転車競技連盟コーチとして)五輪で金メダルを取れる選手を育てたい。それが競輪の活性化にもつながる」と話した。
思えば、競輪デビュー前、坂本は、
『競輪の坂本と呼ばれたい』
と言っていたが、最初は何のことだか分からなかった。しかし、やがてその意味が分かった。つまりは、坂本は競輪選手として専念するため、プロのナショナルチームには入りません、という意思表示だったのだ。
現に、坂本は競輪選手になってから、一度して世界選手権には出場しなかった。
しかしながら今思うと、坂本がプロでもナショナルチームで活動していれば、世界選のプロ・スプリントの連覇記録は11よりも上積みできていたかもしれない。
ま、坂本がデビューした当時は、まさか競輪選手がオリンピックに出場できるなんて思っても見なかった時代だったので、ならば、もう「競技」のほうはいい、と思ったかもしれないね。
引退後はコーチか。しかしながら、中野強化委員長、松本監督、そして坂本コーチって、明らかに「中野シンパ路線」だよね。