期待していたんだけどなぁ の 高知の住人さんのコメントより
先日、知人と話をしてる中で・・
「新城の世界9位がスゴイ事とか言うけど、どこがスゴイの?」
「イチローの方が世界一を10年続けてるんだよ」・・
と、言われちゃって、延々自転車競技の説明をする羽目になりました・・。
米国野球は国内競技やのにワールドシリーズなどとデッカク宣い、
日本のマスコミも世界的マイナー競技の野球に荷担している現状ですしね・・
ヨーロッパのあるロード選手が、
「マイヨジョーヌは1つのレースでしか着れないけど、アルカンシェルは1年着られるから、自転車競技最高のレースは世界選手権だ」
と言っていた事を思い出します。
知人には、色々と長話しちゃいました・・。
ツールドフランスはほとんどの選手がアシストで最初から優勝できないが、
200人近いレーサーが1枚のアルカンシェルを目指す世界選手権は最大の大会だと・・
多くの名選手がゴール前に送れていく中、ゴールスプリントに参加していた新城はスゴイんだと・・
やっぱ、世間に分かりやすく言えてた中野時代は良かったですよ。
世界王者が競輪選手に居て、その選手と同じ位強い競輪選手が沢山居たんですから。
思えば、Jリーグが始まる前の、日本国内におけるサッカーの事情も似たり寄ったりの話だった。
「プラティニはすげぇ!」
「ベッケンバウアーにはしびれた!」
なんて言われたところで、一部のサッカーマニアぐらいしか、その存在はほとんど知られていなかった。今では考えられないことだけど。
さらにいえば、ワールドカップの存在さえ、Jリーグが始まる前までは、サッカー好きの人間だけが心踊る大会でしかなかったし、欧州チャンピオンカップ(現 欧州チャンピオンズリーグ)に至っては、本当にコアなサッカーマニアしか知りえない大会だった。
「奥寺(康彦)がチャンピオンズカップに出た!これは快挙だ!」
とか言われたところで、はて?というしかなかった。
今は、チャンピオンズリーグといえば、サッカーにあまり興味のない人だってそれなりに知っているもんな。
ま、1981年だっけ、トヨタカップが日本で開催されるようになってから、日本のサッカー事情は少々変わってきたのかもしれない。
もともとトヨタカップの前身は、インターコンチネンタルカップという大会で、欧州と南米のクラブチームチャンピオンが、それぞれのホームで対戦するものだったのだが、とりわけ南米で開催される試合は荒れることが多く、欧州代表チームはそれこそ、「命がけ」で試合に挑まざるを得なかったのが実情だった。
そんな事情が重なり、ヨハン・クライフ擁するアヤックスが、1971年開催の大会を辞退することになってから衰退が始まり、1975年と1978年については開催すらされなかった。
ついには、クラブ世界一決定戦そのものが消滅の危機に立たされたが、過去にペレの引退試合という「余興試合」にもかかわらず、国立競技場が超満員となったという「実績」がある日本に白羽の矢が立った。つまり、日本は当時、明らかにサッカー後進国であったが、潜在的なサッカーファンが少なくなかったという見方をされていた。この話に、日本テレビと電通が乗った、というわけだった。
もっとも、日本開催に移行してからも、南米勢がこのタイトル獲得に意欲満々だったのに対し、欧州勢は、時差の関係や過去の忌々しい事例が災いしてか、当初はあまり意欲が感じられなかった。だから、最初の10年間ぐらいは、南米勢がほとんど勝っていた。
しかし、ACミランが連覇したあたりから欧州勢が巻き返すようになり、加えて、「ボスマン判決」以降、欧州のクラブチーム内における移籍が活発化したこともあり、欧州と南米のクラブチームとの間には、明らかに実力的格差が見られるようになったが、南米勢のタイトル意欲に衰えが見られなかったため、2004年まで開催が続けられた、というか、FIFAが後にしゃしゃり出てきたため、トヨタカップは消滅を余儀なくされた、といってもいいかもしれない。
それにしても、別に日本のチームが絡んでいないにもかかわらず、開催されれば常時満員というスポーツイベントは、恐らくこのトヨタカップが日本では最初ではないか?
その間、Jリーグブームが起こり、ドーハの悲劇があり、日本がW杯初出場、さらには、日韓W杯開催と続き、今やサッカーは野球と並んで日本を代表するスポーツとなったのは承知のとおり。
しかし、日本リーグ時代、全裸の釜本のポスターを作成したり、明石家さんまをイメージキャラクターに起用してもちっとも客が入らず、天皇杯サッカーの決勝戦にしても、国立競技場の二階席が全く開放されないといった時代が長かった(翌日に行われるラグビー大学選手権の準決勝は常時満員だった)という話があるのもまた事実。
要は「きっかけ」なのかもしれない。
日本の自転車競技だって、中野浩一が毎年世界選プロスプリントで優勝し、ツール・ド・フランスがNHKで1985年より放送され、橋本聖子が1988年に夏冬五輪出場を果たし、1990年に日本で世界選が開催されたところまでは、それこそ、サッカー同様、「いい流れ」になっていたはずである。
ところが、サッカーが日本で人気を定着させた1990年代に、自転車のほうはというと、すっかり影が薄くなってしまった。
欧州では言うまでもなく、秋~春にかけてはサッカーの人気が凄いが、夏場はロードレース一色に染まるという流れは、今も昔も変わっていない。日本もそうなりかけたのだが、サッカーだけは人気はあっても、自転車競技はというと、競輪を含めていまだ人気は上がっていない(自ら自転車に乗ってツーリングするという点についてはブームといっていい状況だけど)。しかしながら、反転する機会が、きっと訪れるときが来るんだろうな?