公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

オークス馬がダービー馬を撃破!

2009-05-17 10:40:31 | 競馬

ケンタッキーオークス馬のレイチェルアレクサンドラと、ケンタッキーダービー馬のマインザットバードが対決するということで話題となった第134回プリークネスステークスが16日、ピムリコ競馬場で行なわれ、レイチェルアレクサンドラが優勝。マインザットバードは2着に入った。

http://sports.espn.go.com/sports/horse/triplecrown09/news/story?id=4171779

プリークネスステークスにおける牝馬の優勝は85年ぶり。

(追記)

レースの模様はこちら。

http://www.ntra.com/video.aspx?id=39439

終始レースを引っ張ったレイチェルアレクサンドラは、4角付近で完全に先頭に踊り出た。直線に入り、マインザットバードがようやく追い込んできたが、2馬身近くの差をつけて、レイチェルアレクサンドラが逃げ切り。ついに85年ぶりの快挙となった。


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「いたちごっこ」じゃねぇか?

2009-05-17 03:45:17 | 競輪

コンドル日記TOOL4より

平成21年5月16日

最近ファンの間から待望の声が挙がってるのは補充の点数ノーカウント制。確かに走る選手全員が1着を狙うのが理想であっても、車券を購入するファンは着を度外視して後のために発進する選手が居るレースを全国の場から抜粋して電話投票・インターネット投票を狙い打ちしてる人が五万と居るのでは。その証が本日の全プロ記念で4R大西の発進と読んだか渡部哲男ー松本大地に人気集中、売り上げも当然アップ。10Rの永井清史が逃げて小嶋敬二の番手捲りに山口幸二は決まり、こゝも売り上げに貢献。ならばお堅い事は言わず、ファンが望み、それが売り上げアップに繋がるのであれば戻してもよいのでは。そうすれば補充の走りを研究するファンも増え、それが復活にキッカケに成るかも。補充でも選手の気持は千差万別、それを読み、死ぬのか勝ちに行くのか、死ぬとすれば点数もしくは何等かの権利に微妙な選手に成り、これを見極めるためには精通してなければいけないなら、ヤング層の研究熱心なファンを取り込めると思いますが、ご決断を。


ま、全プロ記念は半分、車券付エキシビションレースのようなもんだからな。かえって選手の本能を目覚めさすんじゃないのか。ただこれがG1とかG2あたりになると、必ずしもそうはいかなくなるのでは。

ところで、補充のノーカウントをやめたのはどうしてだっけ?

「大勢のお客様」から、

「あいつ、やる気あるのかないのか分からない!」

っていう苦情が殺到したからではないか。

しかし今度は、そのように「仰せられたお客様」が、

「補充はノーカウントでいい!」

と言っているわけか?

一体どっちがいいんだ?

コメント (4)
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競輪は危機的な状況なんですよ!

2009-05-17 03:06:01 | 競輪

ある意味、褒め殺し記事?

http://d.hatena.ne.jp/zevon/20090513/1242220861

不思議なことに、中野浩一というスーパースターが出現したにもかかわらず、既に入場者数は減少傾向にあり、おまけに当時8割近くの売り上げを誇っていたヒラ開催の売り上げが減少に転じていたのが競輪。

1982年に売り上げ前年比割れとなった頃、丁度、借り上げ施行者の累積赤字が顕在化し、撤退話さえ出始めた頃に行なわれたのがKPK制度。

もっとも、KPK導入当初は売り上げは下がるばかりか、当時の月刊競輪の記事を読むと、落車、失格が多発し、また、平均配当が高くなったものだから、

「競輪なんて、難しくてやってられるか!」

というファンの声が少なからず出た、という話が出ている。がしかし・・・

1985年にKEIRINグランプリが創設されたことを契機に、競輪は再び売り上げ前年比増に転じた。ま、グランプリの創設って、S級を設けなければ実現できなかったものだろうしね。ということは、グランプリの創設の根源には、KPK制度があったというわけか・・・

思うに1985年からの3年間、グランプリは実質、その年の競輪年間世界王者を決するような大会みたいなもんだったからね。その後、坂本勉も出場したりするなどして、グランプリは競輪に興味のない人にとってもある意味、一目置かれた存在となっていった。

しかし、中野引退年の1992年に売り上げ減に転じて以降、競輪は2008年現在までマイナス成長。グランプリについても、十文字が特例出場となった1996年がピーク。ということは、その頃、考えておかねばならなかったんだよな。競輪を今後どう発展させるか、ということを。

ところが前にも書いたけど、1999年になってなぜか、競輪は「懐古主義」を取ってしまった。要は「競りを概ね認める」っていうルール改正。

それ以前の問題として、既にヒラ開催ではもう稼げない、よって、やめるしかないわ、という、借り上げ施行者の撤退が相次いだのもこの頃。何とか特別競輪の場外拡大によって、ビッグレースの売り上げは右肩上がりだったんだが、全体の売り上げは逆に減る一方という状況になった。

そこで、一旦離れてしまったファンを呼び戻すべく施されたのが上記の「懐古主義ルール改正」。しかしながら、このルール改正はわずか4年で「破綻した」。

このことについては、H市在住の有名競輪サイト主や、そのお方が尊敬してやまない井上茂徳氏が、

「もっと競りを許容したらどうか」

という論調を今でも展開しているが、わずか4年で破綻し、「昔ファンだった人」が戻ってこなかったばかりか、既存の客まで離れていった「改悪ルール」にはもう戻れまい。

よって私がUCIルール導入推進派、という背景には、上記の「格闘技競輪路線の失敗」が頭によぎっているから、ともいえそう。加えて、この路線が敷かれて以降、十文字は極度のスランプ状態に陥ってしまったし。

十文字がアトランタで銅メダルを獲得した時には、20歳でまだこれからの選手がメダル獲得した!ということで、少なくとも北京まで繋がっていく・・・って大いに期待し、ひいては、これから新規客も呼び込むことができる、って思ったんだけどねぇ・・・現に、当時、競輪選手で知っている選手は?と聞かれると、

「中野と十文字」

って答えた、競輪を知らない人も少なくなかったし。

競輪≠自転車競技という、今でも訳の分からない「壁」に阻まれ、十文字は事実上「終わった」・・・

思うに、「格闘技競輪路線」なんかやっていなければ・・・

確かに、2004年のチームスプリントにおける銀、2008年の永井のケイリンにおける銅と、オリンピックだけはなぜかメダル獲得を果たしてしまった競輪選手だけど、全く起爆剤にはなっていない。つまり、一度狂った時計を戻すことはできなかった、というわけ。ま、世界選手権をないがしろにしてきたという「罪」も大きいな。

そういったことが一種、「トラウマ」になっているかもしれないが、事実、競輪は今や風前の灯火状態。狂った時計を巻き戻すためには、大胆な策をやるしかないと思うわけ。それが「三点セット」であり、UCIルール導入であり、かつ、競輪≠自転車競技なんていう考え方をなくしてしまう、っていうことなんだが・・・

しかしながら、まずは世界選、五輪で、少なくともケイリンにおいて、常時メダル圏内に顔を出すことだろうな。要は常に世界を見開くっていうこと。五輪の一発だけメダルを取ったところで、それこそ関口宏がサンデーモーニングで、

「ケイリンって日本発祥ですよ。メダル取って当たり前じゃないですか。」

といっていたように、誰も関心を示さない。それに、トラックは世界的にみても、そんなにレベルが高いわけでもない。年中競走している競輪選手であれば、その気になれば、世界選で常時メダルを取ってくることなんて、そんなに難しいことではないと思うんだが・・・

(追記)

予想通り、zevon大先生が食いついてきたな。しっかりコメントまでついているし。

http://d.hatena.ne.jp/zevon/20090516/1242482531

『十文字がダメになったのは、腰が悪くなったからだろ。』

確か、十文字はヘルニアになったんだっけ。戦績データを見る限り、恐らく2001年から2002年にかけてひどかったんだろうな。

http://keirin.jp/pc/dfw/dataplaza/guest/membrecord?SNO=012941

ま、それ以前から腰に爆弾を抱えていたんだろうが、これも戦績を見る限り、1999年の甲子園オールスターあたりまでは今のG1、G2の決勝に駒を進めている。

ところがそれ以後、十文字の「快音」はバタッと止まっている。

腰痛は競輪選手でいえば職業病みたいなもんだからね。山崎芳仁も確か時折腰痛が出るという話を、コンドル日記か何かで目にしたことがある(山崎がよく「サボり」と言われているのはそのせい?)が、そんな状態でも、G1を制しているからねぇ。激痛が走った場合は当然影響大だが。

ということを踏まえて、丁度甲子園オールスター後といえば、「格闘技競輪路線」をスタートさせた頃で、追い込みの連中が偉そうな態度を取り始めた頃でもあるから、当時はまだ自力型だった十文字に、何らかの影響が出始めた頃ではないかと思ったわけ。

ま、あくまでも「データ」を見る限りにおいての話だが、一方で、格闘技路線をやっていなかったらどうなっていただろうか?

コメント (2)
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