映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

ぐるりのこと

2008年07月09日 | 映画(か行)

「ぐるりのこと」。
実は、私が気になっていたのは、この題名なのです。
私の好きな梨木香歩さんのエッセイ集に、「ぐるりのこと」というのがありまして、
私はこの本に深く感銘を受けました。
本では、自己と他者の「境界」のことについての話が描かれています。
さてしかし、この映画は、残念ですがその本とは別物。

ところがこちらもなかなか侮れない。
ここでは、ある夫婦を取り巻くさまざまな人たち、さまざまな社会の状況、という「ぐるりのこと」が描かれています。
妻翔子は出版社に勤めていて、何でもきちんとしていなければ気がすまない頑張り屋。
夫カナオは靴屋のバイト。些細なことにこだわらない。
・・・といえば聞こえはいいけど、だらしなくて、頼りにならない、とも言う。
初めの方にあるこの2人の会話というか言葉の応酬がすごくおかしいのです。
翔子は夫と「やる日」まで決めていて、カレンダーにしるしがついており、何が何でもその通りにしなければ気がすまない。
そういうもんじゃないだろうと反抗する夫は、せめて口紅くらい付けてくれ、という。
ぽんぽんと飛び交う会話。
「ばっかじゃないの!」が翔子の口癖で、
それに対して「ばかって言うな!」が、いつものカナオの受け答え。
そんな会話が、カナオが靴下を脱ぎながらだったりするので、日常感たっぷり。
でも結局好き同士なのだなあ・・・ということが感じられ、すごく好きなシーンでした。
このふたり、翔子の妊娠でやむなく籍を入れたのですが、
双方仕方なく、というフリをしながら、実は生まれてくる子供を楽しみにしている。
そんな風です。

ところが、まもなく状況は一転。
修羅場は描かれていません。
生まれてまもなく亡くなったのであろうと思わせる位牌が映されるのみ。
そこからは、あんなに明るかった翔子の表情がありません。
初めての子供を失ったことで、精神の均衡を崩してしまった・・・。

その頃カナオは法廷画家の仕事をしています。
裁判所で、いろいろな事件の被告人の顔や様子を絵に描く仕事。
TVのニュースなどでそのような絵を目にすることがありますが、
時々私は、絶対この人に似顔絵を描かれたくない!と思うことがあります。
結構美人でも、相当なアクの強さでブスに描かれていることがありますよね・・・。
まあ、法廷の被告人席に立たなければいいというだけのことですけど・・・。

さて、この2人を取り巻く「ぐるりのこと」は二重構造になっています。
まずは内側に翔子の母や兄夫婦などの家族、それから2人の職場の同僚たち。
またその外側に一般の人々。いろいろな世の中の出来事。
この外側のことは、カナオが見聞きする裁判で、象徴的に表されています。

2人の亡くなった子供、癌で余命わずかという父、さまざまな事件に巻き込まれ遺された家族・・・。
「生」について考えながら、生きることって本当にたいへんだけど、
でもやっぱり生きていればいい日もくるんじゃないかな・・・と、ちょっぴりそんな気持ちにさせられます。

翔子は何でもきちんとやろうと、がんばりすぎるのですね。
子供を亡くしたことはもちろん悲しいのですが、きちんと育てることができなかった、
そのことで自分を責め続けていたのではないでしょうか。

こんな妻を救ったのは、夫カナオです。
「きちんとやらなくちゃと思うのに、できない!」と、
あるときついに堰を切ったように泣きじゃくる翔子を、
カナオは実に当たり前のようにそっと受け止める。
なかなか、実際にはこういう風にできないのじゃないかな、と私などは思います。
たとえば風邪をひいた相手に、おかゆを作ってあげる、それくらいのさりげなさで、
心を病んだ相手を、叱るのでも励ますのでもなく、いたわる。
このような雰囲気を出すのに、リリー・フランキーはまさにぴったりでした。
ここに二枚目俳優を当てると、どうしてももっとうそ臭くなるような気がします。
(あ、失礼。>リリー・フランキーさま)

翔子の暗い表情の時期が結構長くて、観ているのもつらいのですが、
それだけに、少しずつ彼女が力を取り戻していくシーンがうれしくもあり、
いつの間にか、この夫婦に癒されている・・・、そんな作品です。

2008年/日本/140分
監督:橋口亮輔
出演:木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子

「ぐるりのこと」公式サイト