狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「屈辱の日」か「主権回復の日」か

2013-03-13 07:43:59 | 県知事選

 

■那覇市立中央図書館の言論封殺に、断乎抗議する (抗議文例はこちらで)

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参加ブロク

「沖縄に内なる民主主義はあるか」 又吉康隆
 「誤解だらけの沖縄・米軍基地」批判
  米兵差別の島・沖縄
  短編小説・六月のスイートコーン
  連載小説・バーデスの五日間

「狼魔人日記」 江崎孝
 「島ぐるみオスプレイ阻止」運動の空しさ
 「白旗の少女」の真実

「光と影」 古代ヒロシ
 日米兵の犯罪よりも中学生の犯罪に心を痛めます
 米兵の強姦より中学生の性被害に心を痛めます

「じんじんのブログ」 登野城じんじん
 沖縄タイムスの「共生の海」って何?
 普天間基地野嵩ゲート前のプロ市民
 シナ空軍機のスクランブルは見て見ぬフリか!?

○ブログ読者のコメントそして読者との論争もあり


           

    

「屈辱の日」という、新たなゆすりネタもの登場で、本日の沖縄タイムスが久々に大発狂である。

一面、社会面トップで躍る発狂見出しや、計5面を使用した発狂記事に一々触れるのは疲れるので省略する。

発狂の症状はこの頃から現れていた。

よくご賞味下さい。

⇒ 4月28日「沖縄屈辱の日」に式典 首相「独立認識する日」だとさ

           ★

■「日本国への帰国を証明する」・・・パスポートに押されたゴムスタンプ

半世紀以上前の話。 

筆者がまだ10代の紅顔の美少年?のころに出来事である。

進学のため米軍占領下の沖縄を後にし祖国日本の出入国・通関に足を踏み入れたときのことを昨日のことのように思い出す。

携行していた「パスポート(日本旅行証明書)」を通関に差し出したとき、審査官は学生服姿の筆者を見て微笑みながら声をかけてくれた。 

「進学のため?」

「はい、そうです」

審査官は高校の制服制帽姿の少年に終始優しく対応した。

審査官はパスポートにゴムスタンプを押し、それに署名しながらこういった。

「しっかり勉強しなさいよ」

「はい」

口下手の少年は審査官の優しい対応と励ましの声に、心の中で「ありがとう」とつぶやいたが、それを口に出して言うことができなかった。

後で、パスポートに押されたスタンプを見て、感動がこみ上げてきた。

スタンプには「日本国への帰国を証明する」と記され審査官の署名がされていた。

「日本国への入国」ではなく「帰国」という文字に感動したのだ。

それまでの認識では米国の統治下にあるので、沖縄人は日本国民ではないのではないかという疑念を持っていたが、「沖縄の潜在主権は日本にある」とも聞かされていた。

そのせいなのか、沖縄で戦後教育を受けた少年は、小学、中学、高校と文部省教科書で教育を受けていたが、そのことには何の矛盾も感じていなかった。

少年は、「潜在主権」の意味がよく理解できないまま祖国日本に上陸し、通関手続きで「日本国への帰国を証明する」という審査官の署名つきスタンプを見て初めて「潜在主権」を身を持って実感したのであった。

だが、その「潜在主権」という文言が、昭和天皇の「天皇親政」で生まれた「天皇メッセージ」の成果であることを、少年はその時知る由もなかった。

 クリック拡大↓

 沖縄が米国の統治下におかれた法的根拠は1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約第三条による。

<サンフランシスコ講和条約 第三条>
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

この4月28日を日本が独立を回復するため沖縄を米国に売り渡した「屈辱の日」などと叫ぶ勢力がいる。

そして政府が日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約発効の日の4月28日を「主権回復の日」として政府主催の式典を開くと表明して以来、またぞろ沖縄2紙が発狂を始めた。

 米軍統治下の沖縄の法的地位については「米軍の信託統治で施政権を放棄した」など誤解が多い。

共産党など反日サヨク勢力が「屈辱の日」と声高に政府を追及するのは何時ものパターンで特に気に留めることもないが、県内の保守系論者の中にも米軍統治下の沖縄の法的地位について誤解が散見される。

例えばこんなように。

<サンフランシスコ講和条約は、日本は主権を回復しました。しかし、第3条で奄美、沖縄は米国の信託統治領となり、行政、立法、司法権を失ったからです。沖縄にとって、4月28日は主権回復の日ではなく、正反対の主権喪失の日だったのです。>

沖縄が米国の信託統治だったと言うことは大きな誤解である。

確かに米国は沖縄侵攻の当初から、沖縄を米軍基地として永久に統治する意図が有り、その遂行のため、沖縄人と本土出身者を分断する占領政策を行ったことがよく知られている。

サンフランシスコ条約第3条の「南西諸島・・・を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」という条文から判断すれば、沖縄が米国の信託統治となり将来は現在のプエルトリコのような米国の自治領に移行したとしても、当時の日本には拒否する力がなかったので、米国の提案があれば、日本は同意せざるをえなかった。

講和条約とはいっても絶大な力を持つ戦勝国連合と敗戦国で主権のない日本では、相互の力の差は歴然としていたからだ。

言うまでもなく、主権とは、自国の意思で国民や領土を統治するという国家が持つ絶対的な権利を意味する。 だが、主権を有さない当時の日本が、米国の「沖縄を信託統治にする」と提案したら、日本はこれに同意せざるをえない。

だが、実際は米国は「沖縄を信託統治にする」と提案はしなかった。 したがって日本が同意することもなく、沖縄が米国の信託統治に委ねられることもなかった。

これが歴史の事実である。

では何故米国は沖縄を永久統治の意図がありながら、その提案をしなかったのか。

反日サヨク勢力が声高に叫ぶ日本は「沖縄を売り渡して主権回復した」という状況の当時、米国は何故「信託制度」の提案をしなかったのか。

そこには冒頭に触れた「潜在主権」というキーワードと、これを当時の誰が思いついたかという点が問題になってくる。

実は主権のない米国占領下の日本で、誰も沖縄のことなど考える余裕のない昭和20年代初期、ただ1人の人物が占領下の沖縄のことを憂慮していた。

其の人物はただ1人、絶対的権力を持つGHQのマッカーサーと複数回個人的面談をし、沖縄を日本の主権を残したまま「暫定的リース」の形で米軍の使用を認めるという当時の日本の政治家が考えも及ばない「奇策」を伝えた人物だ。

 昭和天皇のことである。

そして、その「奇策」こそが「天皇メッセージ」として現在伝えられているものである。

「天皇メッセージ」とはいっても天皇が記したメッセージが残っているわけではなくい。 当時宮内庁御用掛をしていた寺崎英成が「天皇独白録」として書き残したものと、当時マッカーサーの政治顧問をしていたウイリアムシーボルトが米国務省に書き送った手紙から類推したものである。

シーボルトの手紙によると、昭和天皇は、宮内省御用掛である寺崎英成をダグラス・マッカーサー元帥の政治顧問であるウィリアム・シーボルトの下へ派遣し、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する」との同元帥宛のメッセージを伝達されたしている。

この手紙はは1979年に発見された米国の公文書で判明したもので、この手紙以って日本国内の反日反米の左翼勢力は「沖縄を売った」などと強調するが、実に許し難きデマ宣伝である。

昭和天皇 Emperos Message-thumb-300x564
昭和天皇からマッカーサー司令部へ伝えられた思し召しを記録した米国
文書。その内容を左翼勢力が曲解して宣伝利用している


「天皇メッセージ」の内容にについては過去に触れているので、ここでは省略し、次のエントリーを参照して頂きたい。

天皇メッセージ、悪意ある推量

■知られざる「天皇親政」・・・11回に及ぶマッカーサーとの面談

昭和天皇は英国王室式の「君臨すれど統治せず」をモットーとされていたが、何度か「若気の過ち」を反省されている。

例えば2・26事件で、反乱軍の青年将校に対し陸軍上層部が優柔不断な対応をしているのに業を煮やした若き日の昭和天皇は、「朕が股肱(ここう)の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校等、其の精神に於いても何の恕(ゆる)すべきものありや」と激怒され「朕みずから近衛兵を率いて」討伐の先頭に立つと発言したと伝えられている。 その後当時の発言を「若気の至り」を深く反省され、爾後政治的発言は極力控えるようになる。

だが、主権の回復していない昭和20年代当時、昭和天皇は戦前のご自身の「不作為」により戦争を避けられなかったことを悔いるかのように、戦前・戦時中とは人が変わったように、特に外交に関し、知られざる「天皇親政」をおこなうことになる。

当時日本を支配する最高責任者真赤さーと個人面談できる日本人は限られていたが昭和天皇は、昭和20年9月27日の第一回面談を皮切りに、昭和28年の4月15日まで、実に11回に及ぶマッカーサーとの面談を実行している。

面談の内容は公開されていないが「天皇メッセージ」との関連から言えば、天皇御用掛の寺崎氏が通訳を務めた昭和21年5月31日の第2回面談から、昭和22年の第5回面談に至る計3回の面談が考えられる。

いずれにせよ沖縄を「太平洋の要石」と捉え、永久占領を目論んでいた米国が、サンフランシスコ平和条約で南西諸島(沖縄)を米国が、信託統治すると提案をしたら日本は同意する」条文に明記していながら、米国は提案をしなかった。

当時の米国の権勢をもってすれば「信託統治」⇒「自治領」という構図は容易に描けたはずだ。

それをあえて実行しなかったどころか、一滴の血も流さず「沖縄返還」が成就したのは知られざる「天皇親政」の賜物だと解釈できる。

「潜在主権」のまま米国にリースするという奇策(天皇メッセージ)を考え付いた昭和天皇の洞察力の深さには。近現代史の研究者をして驚嘆せしむべきものが有ると言う。

            ☆

4月28日を「屈辱の日」と捉える勢力に問う。

主権のない国は外交力もなけれ領土問題で発言する力もない。 4月28日で先ず日本が主権を回復してこそ、自国の「潜在主権」が残存する米軍統治下の沖縄の返還交渉が可能になったことは論を待たない。

潜在主権が日本にあったからこそ援護法など全国でも例のない特段の措置が適用され、教育も文科省の教科書で教育を受けてきたはずだ。

つまり潜在主権の主権者たる日本国が先ず主権を回復してこそ、沖縄の返還交渉が始まったのではなかった。

言葉を変えれば、日本の独立なくしては沖縄の祖国復帰は実現しなかった

これは沖縄返還に政治生命を賭けた佐藤栄作元首相の「沖縄の返還なくしては日本の戦後は終わらない」という言葉に凝縮されているではないか。

だとしたら日本が主権を回復した日に沖縄県民が祝賀して何の異論があろう。

【おまけ】

主権回復式典に強い不快感=講和条約発効、切り離された日-沖縄知事

 

 朝日新聞 2013年3月8日

首相肝いり「主権回復の日」に沖縄反発 「屈辱の日だ」

 「主権回復の日」として4月28日を祝う記念式典を開く意向を示した安倍晋三首相に、沖縄から反発の声が出ている。サンフランシスコ平和条約が発効した61年前のこの日、沖縄は日本から切り離され米統治下に置かれることが決まった。沖縄では「屈辱の日」と呼ばれてきた。

 沖縄大名誉教授の新崎盛暉さん(77)は「まるで屈辱の日の復活だ」と言う。条約が発効した時、東京の高校1年だった。校長は全校生徒を集めて「日本はめでたく独立した」と万歳した。「『沖縄を切り捨てておいて何が独立だ』と、ぼくは腕組みしていたと思う。安倍首相は、あの校長と全く同じだよ」

 沖縄社会大衆党の委員長だった瑞慶覧(ずけらん)長方さん(80)は、1972年の本土復帰まで、4月28日になると復帰を求める集会や行進に加わってきた。沖縄は、本土が主権回復のために米国に差し出した「質草」だった、とみる。「いまも米軍基地は残ったまま。質草から脱していない沖縄を放っておいて式典とは、ばかにするにもほどがある」

続きを読む

    

「屈辱の日」認識欠く「主権回復の日」       

政治  2013年3月8日 09時43分

 【東京】安倍晋三首相は7日の衆院予算委員会で、サンフランシスコ講和条約が発効した日に当たる4月28日を「主権回復の日」として政府主催の式典を開く方針を明らかにした。自民党が昨年の衆院選公約に掲げており、首相は「実施する方向で検討している」と明言。近く閣議決定する見通し。

 日本は1952年4月28日の講和条約発効により米国の占領統治から独立したが、沖縄や奄美諸島にとっては、米国施政下に置かれ本土と切り離された「屈辱の日」でもある。米施政から日本への復帰後も沖縄に過重な基地負担を強いる源流ともいえ、式典を企画する政府与党の認識を欠いた姿勢に県内から強い反発を招くのは必至だ。

 首相は「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と意義を強調した。

 菅義偉官房長官も同日の定例会見で「日本が国際社会に復帰し、戦後の復興に向けてスタートした記念すべき日だ。日本の未来を切り開いていく決意を確固たるものにしたい思いもある」と説明した。

 
 
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8 コメント

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Unknown (キンジョウ)
2013-03-13 07:56:08
「主権回復の日」式典の開催が閣議決定をうけ、沖縄のマスコミは例によって大騒ぎです。沖縄にとっては「屈辱の日」ということで、オキナワン・アナーキストの知事は「理解できない」と一国の宰相張りの発言。サンフランシスコ講和条約、その後の奄美、沖縄の返還は成されたが、北方四島、竹島は未だ還らず、真の主権回復とは言い難いが、1952年を日本が敗戦から立ち直っていくスタートととらえても良いのではないか。それともやはり「屈辱の日」でしかないのか。見解の相違ですかね。

歴史観の違いを言えば廃藩置県もそうですね。(琉球王府にとっての)「琉球処分」ととらえるか、(地割性など王府の圧政に耐えた)琉球人の解放の日ととらえるか。

昨日のQABの夕方のニュースです。
http://www.qab.co.jp/news/2013031241812.html

沖縄大学のA教授が安部首相を馬鹿者呼ばわりしています。自らの国の宰相を、いちおう大学で教育をしていると思われる人が、それも私的ブログやFBではなく、テレビで・・。

思想、信条が違えば他者をいくら貶めてもかまわない沖縄の風潮はマスコミをはじめ偏向左翼が得意とするところですが、公器を使っての馬鹿者発言はまずいよな。教育になりません。ちなみに沖縄では体育>>知育>>>徳育。
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ゆすりたかり (無法者キラー)
2013-03-13 09:58:17
「屈辱の日」は、「範オスプレイ」がゆすりたかりの材料として価値がなくなってきたので、新たなゆすりたかりの材料が出てきたと、狂気乱侮しているのでしょう。

当たりやみたいな輩ですね。
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パスポート、昭和天皇について (wattkun)
2013-03-13 10:43:57
秋霜烈日という言葉を連想する何時ものブログとは異なり、今日は唯々静かな感動を覚えました。
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Unknown (とおる)
2013-03-13 10:58:29
遠藤誉 著「チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車」の中に次のような事が書かれています。
・当時中国大陸を代表していた中華民国の蒋介石が、ルーズベルトから「沖縄を中国に上げようか?」という趣旨の言葉を聞いた時、蒋介石は拒否した。
・中華人民共和国が中国大陸を支配するようになってから、「尖閣諸島は沖縄県のもの。沖縄県は日本のもの」という趣旨の発言・記事をだしている。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-03-13 11:30:18
沖縄県民です。

米軍統治下でパスポートを持って本土大学に勉学に行った経験のある者ですが、ブログ主様の指摘する「日本国への帰国を証明する」というスタンプには気がつきませんでした。

改めて潜在主権の意味を知り感動しました。

4月28日は県民ももろ手を上げて祝賀すべきです。

祖国の主権回復なくしては沖縄の祖国復帰はなかったのですから。
返信する
主権回復の日 (okinawazin)
2013-03-13 15:17:39
4月28日を屈辱の日と後ろ向きに考え、抗議するのでは無く
一番最後に県単位で主権回復した沖縄県が
祖国復帰をした5月15日を「主権回復の日」として
毎年祝賀行事を挙行して頂ければと思います。

沖縄県民は間違いなく日本人なのですから

返信する
Unknown (宜野湾より)
2013-03-13 23:48:05
子どもの頃、私の家では祖父母と親がテレビの「皇室アルバム」(という番組だったと後年知りました)を毎週見ていました。
よくわからないながらも私も一緒になって見ていて、潜在主権という言葉など祖母さえ知る由もありませんでしたが、先帝陛下ご一家のことを厳かな中にもなにやら楽しげな話題とするのがウチの家族でした。
その思い出を持ち続けていてよかったと思う、昭和天皇陛下の大御心を感じることができる且つ無理のない解釈だと思います。

現状判っている資料・史料から「天皇は2度沖縄を捨てた(byちょっと知ってたある教員)」などというような結論を導くのは無理無理。
主権回復の日への抗議を焚きつける人たちだってわかってやっているでしょう。
絶対弱者利権臭が香ばしいですが、蓄財・送金への厳しさはこれから増していくように思いますけれど。
返信する
Unknown (HM)
2013-03-14 00:26:01



ブログを先程拝読致しました。パスポートの存在は勿論、知っていましたが「日本国への帰国を証明する」の文言は初めて聞きました。胸が熱くなりました。「沖縄の潜在主権」と「天皇メッセージ」の関わりについても、身近でわかりやすかったです。
仲井真知事が「理解できない」と言ったとの読者からの投稿がありましたが、どのニュース素材をみたのでしょうか。昨日のNHK845を偶然チラッと見た時確かにその様に報道していました。しかし、今日の「ニュースおきなわ610」はこうです。

一方式典の開催について仲井真知事は今日、コメントを発表
しました。この中で仲井真知事は
「式典は日本の戦後の被占領状態に終止符が打たれた記念の日だとの考えと理解しているが沖縄は本土から切り離されて戦後27年間アメリカの施政権下に置かれた。この日が現在の過重な基地負担につながる苦難の第一歩であった事を沖縄は忘れておらず、県民にも複雑な感情があるとしています。その上でその後の本土復帰の実現など歴史経緯を踏まえ、県としては、4月28日を県民が困難を乗り越えてきた事を忘れず、未来に向け希望に満ちた歴史を作っていくための決意を新たにする日と捉えていきたい」とコメントしています。

以上三橋アナが悔しそうな顔で伝えていました。一体1日の間に知事に何があったのでしょう?
それとも、沖縄メディアが知事の言葉を、例によって「切り張り」し「誤報」、それに怒った知事が改めてコメントを発表したのでしょうか?分かりません。

いずれにせよ式典に抗議する為に上京する皆さんは、沖縄県民代表としてではなく、個人として抗議に行くべきです。私達沖縄県民は希望に満ち溢れた未来に向かって歩んでいきます。似非平和運動家の皆さんは歪んだ時空間の狭間で歪んだ思想を弄んでいて下さい。

呉々も私達県民の邪魔をしないで下さいね.。
それでは失礼致します
返信する

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