この稿は前にエントリーの「時代を超えた『流行歌』作歌 GSからサザエさんまで」の続編です。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/6e19922e442fb22ad698d562
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出来たら先に上記を読んでもらうとシアワセです。
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フォークやニューミュージックという音楽ジャンルの登場以来、作詞、作曲をして自ら歌うシンガーソング・ライターが現れた。
ふと思いつく名前でも吉田卓郎、井上揚水、小椋佳、さだまさし、かづや姫、アリスと、きりが無い。
シンガーソングライターの系譜は現在のヒットメーカー、ビギンやオレンジ・レンジにも受け継がれている。
フォークの登場以前は、歌手、作詞家、作曲家は厳然と分業化していた。
誰でも懐かしい歌を歌った歌手の歌声、顔と重ね合わせて思い出す。
だが、作曲家というと流行った歌の数だけおるわけだが、すぐに名前と顔をお見だす作曲家は少ない。
名前と顔が一致する作曲家を思いつくままに挙げると、古賀政男、古関裕而、服部良一、吉田正、市川昭介、船村徹、そして同郷のよしみで渡久地政一。
テレビのアイドル時代と共に現れた作曲・都倉俊一はその若くてハンサムな風貌で山口百恵やピンクレディーの作曲家として人気を博した。
だが、ピンクレディーの解散、山口百恵の引退と共にその名前を聞かなくなった。
作曲家も歌手と共に賞味期限の頚木からは避けられないもの。
旬の時期には時代に合った曲を量産しても時代の流れと共に才能は枯渇する。
最近の例でいうと安室奈美恵やTRFの作曲者としてヒット曲を連発した小室哲也の最近の低迷がある。
そのような思い込みを覆す作曲家がいた。
筒美 京平。
1940年5月28日生まれだから筆者より一つ年上。
東京都出身で青山学院大学経済学部卒業というから同じ時期に東京で学生生活を共に過ごしたはずだ。
グループサウンズからTOKIOや安倍麻美まで、長年にわたって主にアイドルを通じてヒット曲を世に送り出している。
「匿名性をどこまで維持しながら、音楽活動を行なえるか」をコンセプトに活動しているとの事で未だにその顔を知らない。
そのため、一時期「実在しないのでは?」「ゴーストライター集団による擬人ペンネームでは?」といった噂がよく流れた。 だが実在の人物である。
前回のエントリーでもったいぶった終わり方をしたが、歌謡曲に詳しい人なら、何の脈絡も無い羅列のように見える二つのリストから一つの共通項を見つけ出していつだろう。
朝丘雪路の『雨がやんだら』から安倍麻美の『Our Song』にいたる「リスト1」と昭和42年。ヴィレッジ・シンガーズ『バラ色の雲』から昭和62年の少年隊『の「リスト2」に含まれる全楽曲の作曲を筒美京平という作曲家一人でやってのけているのだ。
あたかも勝手に思い込んだ作曲家の賞味期限をあざ笑うように。
1971年、1972年、1973年、1975年、1976年、1981年、1982年、1983年、1985年、1986年、1987年と16年間を通して、11回にわたって日本の作曲家別レコード売り上げ年間1位を記録。
作品の総売上は7,400万枚を超えるというから改めて畏れ入ってしまう。
筒美 京平の初期の局はGS人気に便乗しているが、GS人気が真っ盛りの頃は奇抜な衣装にオーバーなパフォーマンスの印象が強く、音楽も騒々しいだけのものと言った偏見があった。
最近GSもナツメロの仲間入りして何度かカラオケで歌った覚えがあるが、改めて歌詞を見たりメロディーを聴くとロマンチックできれいなメロディーの曲が多いのには驚かされる。
最強の作曲家は誰かと問わば、その息の長さとジャンルの多様さ、ヒット曲の多さからいって筒美 京平で決まりだろう。
【動画】筒美京平コレクション1http://www.youtube.com/v/jjqDkZYMEFc
・バラ色の雲
・スワンの涙
・ブルーライト・ヨコハマ
・京都
・雨がやんだら
・また逢う日まで
筒美京平コレクション2 http://www.youtube.com/v/z1JRpRKjylQ
筒美京平コレクション 3 http://www.youtube.com/v/rb-U0vDpY_8
筒美京平コレクション 4 http://www.youtube.com/v/EsE4Wiu_Xoo
5http://www.youtube.com/v/Eb7sbJOCM-I
6http://www.youtube.com/v/OuEjdJLPztE
7http://www.youtube.com/v/27YZ5e6CEWE
8http://www.youtube.com/v/bNAKfUSb3oQ
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