狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄タイムスの歪曲報道、大学生の卒論で立証される

2008-03-26 07:12:17 | ★集団自決

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63年前の今朝、3月26日早朝。

座間味村住民が「集団自決」を行った。

戦後、生存者の証言が各方面に波紋を残していく。

 

■裏づけのない証言は伝言ゲーム■

伝言ゲームとは、一定の言葉をグループ内で伝え合う遊び。

言葉が伝わる過程で、聞き違い等で元の言葉からかけ離れたものに改竄されてしまうが、その変化した結果を楽しむという遊びである。

伝言ゲームも子供の遊びの場合は間違った伝達そのものが楽しめるが、証言等の場合は笑い事ではなくなる。

60数年前、物心の付く前に聞いた「事実」がその後聞いた大人の噂話とが入り混じり、70歳前後になって証言として語られるとしたら・・・。

その信頼性の担保に裏づけ調査が不可欠なのは言うまでも無い。

 

「集団自決問題」が分かりにくい理由の一つは体験者のほとんどが「年寄りと子供」だったことである。

成年男子は殆ど応召で大陸等に派遣されており青年女子と少年は防衛隊員として軍事に協力していた。

残った「年寄りと子供」が連日連夜の米軍艦砲射撃でパニック状態になり「集団自決」を行った。

鬼畜米兵に八つ裂きにされるくらいならと、可愛い孫を抱いて「一思いに」と考えたとしても不思議ではない。

孫の手を取り泣きながら壕に戻り「自決」した久次郎オジーの話は涙なしには聞けない。

                     ◇

沖縄タイムス 2008年1月26日 

藤岡氏の訪問に座間味村民抗議
「軍命の強制は事実」

 沖縄戦時、慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)について、「日本軍による命令・強制はなく、米軍の猛爆で追い詰められた住民の尊厳死だった」などと主張する「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長らが二十五日、座間味村を訪れた。反発する村民が抗議文を手渡した。藤岡氏らは二泊三日で、座間味、渡嘉敷両島を訪れる予定だという。
 
村民は、抗議文で体験者の証言や村史の記述を引用して、「集団自決」への日本軍の命令や強制があったことを示し、「(座間味島・海上挺進第一戦隊の元隊長の)梅澤裕氏を絶対に許さない」「座間味村民はあなた方を歓迎しません」と伝えた。
 抗議した宮里芳和さんは「私は二十年以上、体験者から聞き取り調査をしたが、『集団自決』に軍命、強制があったことは間違いない事実だと話した。

                                           

上記記事(再掲)によると座間味村民の宮里芳和氏が、「集団自決」の調査団の藤岡氏に「座間味村民はあなた方を歓迎しません」と伝え抗議文を伝え、

「私は二十年以上、体験者から聞き取り調査をしたが、『集団自決』に軍命、強制があったことは間違いない事実だ」と言ったということにされている。

一方、当事者の藤岡氏の文章によると宮里芳和氏との遭遇場面は次のようになる。

座間味島集団自決の証言者・宮平秀幸さんとの出会い』
藤岡信勝/自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授 (08/2/25 

◆宮平さんはなぜ証言を決意したか
 (略)
25日、ツアーの一行が高速艇で座間味港に着いた時、二人の島民が私に抗議文めいたものを突きつけた。それを同じ高速艇に乗り込んでいた沖縄タイムスの吉田啓記者が横から写真に撮った。島民の一人は宮里芳和という人で、夜、彼の経営するパブに行って真意を聞いた。私達の到着時刻は沖縄タイムスの編集委員・謝花直美からの連絡で知った。彼は昭和23年生まれで、隊長命令のことはわからないと弁解した。ところが、翌日の沖縄タイムスの記事には、座間味島民が藤岡に抗議文を突きつけ、隊長命令があったと彼が語ったことになっていた。地元紙による歴史偽造の現場に立ち会った私は、彼等が最も恐れていた人物にめぐりあったことになる。

                    ◇

    

藤岡教授の引用文によると、抗議文を手渡した島民の宮里芳和氏から「隊長命令のことはわからない」という言質を取っている。

こうなると沖縄タイムスか藤岡教授のどちらかが大嘘を付いたということになる。

現場に立ち合っていない筆者はどちらが黒か白か断言出来る立場にない。

3月7日のエントリーで次のように書いた。

続・「不都合な真実」に怯える沖縄タイムス どっちが大嘘つきか

座間味村民宮里芳和氏の発言に関して、

大嘘つきはどっちだ!

沖縄タイムスか藤岡拓大教授か!

ここは問題提起に留めて、推量による断言を避け、今後の推移を見守りたい。

 

やはり大嘘つきは沖縄タイムスだった。

問題の宮里芳和氏のタイムス記事での発言で二十年以上、体験者から聞き取り調査をした」の部分は事実のようだが、

『集団自決』に軍命、強制があったことは間違いない事実だとは逆のことを証言していた。

 

2004年夏。

宮里芳和氏は専修大学大学生・高田大輔氏の卒論のための聞き取り調査を受けていた。

卒論のテーマは「災害・戦災の記憶の伝承についての考察
~沖縄県座間味村でのヒアリングから~」。

阪神淡路大震災被災時の新聞報道その他を参考例にしながら沖縄戦の火蓋が切られた座間味島を訪問してヒヤリングを行った。

卒論のテーマは証言が本人の思い込みにより事実と違った形となって語られ、それが事実となって記録され歴史となっていく過程を社会学の立場からヒアリングし、その中から証言の信頼性を解明するという極めて意欲的な研究である。

事実が誤解となって語り継がれる例。

そのヒントを学生一行は、当時村の教育委員会教育課長 宮里芳和さんのインタビューから聞き取っていた。

インタビューは 2004年8月2日に座間味村役場会議室で行われた。

宮里芳和氏は「集団自決」に軍の命令はなかったのに「軍の命令があった」と誤解された例を語っていた。

学生のヒアリングに答えて宮里氏は次のような証言者の例を語っている。

手りゅう弾の操作を知らない家族が日本兵にその使い方を教わった。

日本兵は使い方を教えはしたが「できるだけ最後ま生きてください」と言って去った。

当時傍にいた子供には親と日本兵の会話を聞いたはいても、その真の意味は理解できない。

その後、親は手りゅう弾で自決した。

遺された子供は日本兵が家族を殺したと思い込んだ。

戦後61歳になった証人は「親は日本兵の命令で自決した」証言した。

宮里氏はこのように「集団自決」の生き残りが語る証言が誤解され、歴史記述となって残された例を学生達に語った。

                                             ◇

宮里氏の証言及び藤岡教授の文から、当日記は次の結論に達した。

沖縄タイムスが大嘘つきであった。

上記引用の沖縄タイムス記事は大嘘である。

 

以下は宮里芳和教育課長(当時)の話。http://disasterjune.com/lecture/archives/%E9%AB%98%E7%94%B0%E3%82%AF%E3%83%B3%E5%8D%92%E6%A5%AD%E8%AB%96%E6%96%87%E5%85%A8%E6%96%87%EF%BC%B0%EF%BC%A4%EF%BC%A6.pdf

「ですから僕は、去った太平洋戦争には、いろんな誤解があると思う。1つは、例を挙げれば、ある壕のもう25・6日過ぎて27日、学校の方の壕である種族が死のうとしている、と。手榴弾を持っていると。そこで、小さい子供がいる。何名かいて、7・8名の家族、手榴弾の取り扱い知らないので、日本兵がやってきて、聞いたらしい。「これをどうやって炸裂させるんですか?」と様子を聞いた。そしてそれを爆破の仕方を覚えたら、日本兵は、できるだけ最後まで死ぬな、という言葉を残している。できるだけ生きてくださいと、言って去ったその後、子供はその会話は分からない。それで息の根詰まって死んでいったということで、この子供、今はもう61歳になるがずっとこの方、日本兵がわが家族を殺した、という誤解があった。その習ったことを日本兵が爆破させたんだと告白し、これが分かったのが戦後40年、NHKが戦争40年目ということで取材に行ったときに、その話聞いてたものだから、その壕へ行ってNHKいって説明したその人もよんできて説明した。ところが、何っつてかなーあのおばあちゃん、時たま帰ってきて人の話を聞いて、「違うんですよ!」としゃべっている。これは違うんですよ!と取材の中で言う。これはおれたちが日本兵に頼んで、炸裂お願いしますと。「どうしたらいいんですか?」ということで、奥さんはできるだけ「待っていてください。」といわれたんだ逆に。ということで、そこでこの人も納得した。(略)

ある一家では、おじいさんが子供7人殺して自分死に切れない。ある家族ではおじいさんがおばあさんののどを切ってやるが、のど、頚動脈切らないで、のど元切って声でない。これも何人 15 かいる。そういったことで、結局結構そういいながらも生き延びた人もいるもんですが、なかなか語ってくれないのも事実だった。戦争は辛い思いだから語りたくない人も結構いる。それで、何とかお願いして何とか語ってくださいということで、いろんな誤解があるから、戦争は2度と戦争させない、させないためにはそういった誤解をとくためにも話したほうがいいんじゃないかということで、40・50年くらいしてやっと口を開いて、村史にのっているような手記的なものが書かれた。だから、みなさんしゃべっていただきたいということで、お話しすると、そういった誤解も結構ありました。

 【専修大学社会学専攻大矢根ゼミナール2004】

ここでは当時まだ幼く、状況が分からぬまま家族の死の原因が日本兵にあると思い込んでいた女性のことが語られている。このような誤解を抱えたままでいると、その当人にとってはそれが事実であるということになる。

この場合ではその誤解を解くことができたが、宮里さんの話の中にもあったようにそれがつらい体験であればあるほど人によっては語りたくないという場合ももちろんあるだろう。そのようなときにいかに体験者から証言を引き出すことができるかということが必要なことになってくるのではないだろうか。(「災害・戦災の記憶の伝承についての考察~沖縄県座間味村でのヒアリングから~」より抜粋)

                     ◇

★11歳で集団自決」を体験した宮城恒彦氏の証言の揺れ動きに興味を覚える。↓(卒論のテーマに最適!)

米軍上陸も「日本軍の強制」? 史実訴え/座間味村が証言集

 

 

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3 コメント

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こんな錯覚はなかったのでしょうか (戦後教育を悲しむ)
2008-03-26 21:05:08
沖縄人の名字、独特でしかも同じ様なお名前が多いので、混乱するのはあたりまえですすが。

山崎某が引用した、本多靖春レポートの「宮平さん」も、同一人とは思えない混乱がありますな。聞き書きや引用をすればするほど、同姓が多ければ不正確になるのは当たり前ですがね。
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パパイヤ光太郎 (●Takashi)
2008-03-27 08:39:59
パパイヤ光太郎こと宮里芳和は琉球新報社通信員なんですけどね。

タイムスに載るとは不思議です。

戦後教育を悲しむさんも仰っていますが、以前チャンネル桜で藤岡教授も宮里芳和ではなく「宮平芳和」と言い間違えていました。

本土の方には紛らわしいでしょうね。
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Unknown (狼魔人)
2008-03-27 19:03:06
◆戦後教育を悲しむさん

>沖縄人の名字、独特でしかも同じ様なお名前が多いので、混乱するのはあたりまえですすが。

分かりにくくしているのは、他にも「集団自決」関係者が戦後改姓した人が多く、証言者も体験時に子供だった人が多かったり、自決を指導した村の有力者の親族が証言したり・・・とにかく複雑です。


●Takashiさん

>パパイヤ光太郎こと宮里芳和は琉球新報社通信員なんですけどね。

へー、この方こんな別名があったのですか。

琉球新報通信員ならかなり洗脳されているのでしょうが、藤岡教授に言質を取られたようですね。

学生達にも。(笑)
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