★今日のエントリーを読む前に、当ブログ8月20日「公費で国を売る人々」を読んでいただけると幸いです。
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8月27日の読者の「kkk」さんのコメントでワシントンポストの「日本における思想警察の復活」という物騒なタイトルの記事を知った。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/25/AR2006082501176.html
筆者スティーブン・クレモンス(Steven Clemons)のことは良く知らないが、肩書きによると民間のシンクタンクのディレクターで、以前にワシントンDCの政策補佐官のような事もしているようだ。
日本とのかかわりは、南カリフォルニアの日本アメリカ協会の専務取締役として7年働き、そのときの経験を生かしチャーマーズジョンソンと日本政策研究所を共同で設立している。
記事の内容は当ブログ8月20日「公費で国を売る人々」で触れたが、煩雑をを承知で要点を繰り返すと、
≪外務省管轄下の日本国際問題研究所(JIIA)が英文での「JIIAコメンタリー」を今春から始めた。その「コメンタリー」誌は英語の論文の形で定期に発信される。
ところがその論文のいくつかを読んだ産経新聞の古森義久ワシントン駐在編集特別委員びっくり仰天したという。
日本の政府与党や多数派の考え方を危険として一方的に断罪し、中国などの日本攻撃をそのまま正しいかのように位置づける論旨なのだ。
5月記載分の「日本はいかに中国を想像し、自国を見るか」という題の論文をみると冒頭に以下の記述がある。
「(外国の)日本ウオッチャーたちはますます日本の対中政策を愚かで挑発的、独善、不当だとみなし、中日関係の悪化を日本のせいだと非難している。
しかし日本国内では日本がナショナリスティックで軍国主義的でタカ派的だと(諸外国で)認識されていることへの意識がほとんどない」
古森氏によるとワシントンでの中国に詳しい日本ウオッチャーは大多数がいまの日中間の緊迫を「中国の対決的姿勢」や「日中両国の戦略利害の衝突」「中国の反日の国是」に帰している。
しかも同論文が述べる「日本を軍国主義的だとみる国際認識」など捏造であることは多くの常識ある日本人なら説明を待たない。
古森義久氏がこの論文を目にして、この機関への公開質問状としたところ、代表者が産経に「誤解を招く用語があり深く反省している」との回答を寄せた。
結局こうしたコメンタリーの発信を停止し、同論文をホームページから削除した。
そしてこのことが産経の記事となった。≫
ここまでだったら古森氏の行ったことはジャーナリストとして、いや日本国民として当然のこと。
話をワシントンポストの記事に戻そう。
同紙はこれを「言論封殺」と報じる。
上記一連の産経新聞・古森氏と外務省下部機関発行「コメンタリー」とのやり取りを知ったスティーブン・クレモンス氏が産経と古森氏の行動を言論弾圧であり思想警察の復活だと断じたのが同記事の概略。
その論拠として加藤紘一氏宅を右翼が放火した事件や、過去の右翼の跳ね上がりが行ったとされる爆弾放置事件等を針小棒大に取り上げて、現在の日本が1930年代の軍国主義復活や天皇親政を求める皇道派の復活の危機にあると匂わす。
アメリカも日本と同じ言論自由の国だからどんな意見を述べるのも自由だろうが、論旨があまりにも荒唐無稽なのでワシントンポストと言う高級紙の記事であるにも関わらず同記事を引用して利用した例をまだ見ていない。
もし反日メディアがこれを利用したら笑われるのがオチだろう。
それにしてもワシントンポストにしてこのザマとは。
在米中国系アメリカ人のアメリカメディアへの情報工作が気になる。
その一方で同じくアメリカ人が書いた日本関連記事ながら、日本人より日本の現実を冷徹に見つめた記事もある。
以下は世界日報社のニュース転載。
「靖国」と戦後日本 (上)
http://www.worldtimes.co.jp/special2/yasukuni/060828.html
米ジョージタウン大 ケビン・ドーク教授に聞く
殉国者に感謝は道徳的義務
小泉純一郎首相が終戦記念日に靖国神社に参拝したが、日本では依然、国家のために殉じた人々への追悼方法をめぐり、国論が分かれるという異常な状況が続いている。日本は靖国問題や戦後の歴史とどう向き合い、批判を強める中国にどう対応すべきなのか。宗教・文化的側面から首相の靖国参拝に支持を表明し、論争に一石を投じたケビン・ドーク米ジョージタウン大学教授に聞いた。
(聞き手=ワシントン・早川俊行)
中国の批判は地政学的要因
病的な日本の軍事アレルギー
――小泉首相が八月十五日に靖国神社に参拝した。終戦記念日を選んだ今回の参拝をどう評価するか。
全く適切であり、歓迎すべきことだ。小泉首相の靖国参拝は、国のために命をささげた人々に対する追悼が、すべての普通の国家にとって不可欠な行為であることを象徴していると思う。
「国のために命をささげる」という言葉を聞くと、一部にファシズムだとか軍国主義だとか、おかしな見方をする人たちがいるが、これは悲劇的なことだ。他人のために命をささげることは、人間としての限界線を超える行為であり、それ以上に聖なる行為はないからだ。
私は神道信者でも、仏教徒でもなく、カトリック信者だが、その立場から言えば、家族や友人、国民を守るために命をささげることは、イエス・キリストが人類のために犠牲になったのと近い行為ととらえることができる。
――中国は靖国問題を政治的カードとして利用していることは明らかだ。小泉首相が中国の反対を無視して、終戦記念日に参拝したことで、理不尽な日中関係を改める契機になるだろうか。
そうなるとは思えない。首相が参拝しようが、すまいが、日中関係は変わらないだろう。
以前私の同僚だったジョン・アイケンベリー・プリンストン大学教授が、十七日付のワシントン・ポスト紙で、「日本の次期首相が靖国参拝中止を発表し、中国と韓国の指導者を東京に招いて首脳会談を行えば、輝かしい成果となる」と提言した。だが、彼の主張は正しくない。中国に詳しい専門家が指摘するように、日本が何をしても、中国は抗議するからだ。
中国が抗議したいなら、させておけばいい。問題は、民主的な選挙で選ばれた政治指導者が、外国の不満を理由に政策や手続きを変更すべきか否か、ということだ。靖国問題であれ、牛肉問題であれ、民主主義国家が他国の抗議でその民主的プロセスを否定することは気違いじみている。
そもそも、首相の靖国参拝によって、日中関係に影響が出るとは思えない。中国には別の魂胆があるからだ。中国が靖国問題で不満を言いだしたのはここ二十年くらいのことで、それまでの戦後数十年は何も言っていなかった。歴史は変わっていないのに、以前は無視していた問題を、今になって関与するようになったのはなぜか。それはA級戦犯が合祀(ごうし)されているからといった単純なものではなく、地政学的な影響によるものだ。
中国はアジアの強大国となり、台湾を併合することを目指している。日本については米国とともに台湾を支援する存在だと認識している。こうした地政学的要素が日中関係に緊張をもたらしているのであって、単なる神社参拝の問題ではない。
――朝日新聞など国内の反対勢力が靖国参拝を批判することで、中国や韓国に付け入る隙(すき)を与えてしまっている。国家の基本にかかわる戦没者の追悼方法をめぐり国論が分裂している日本の状況は、海外から見て異常ではないか。
人間というレベルで見れば、異常だ。われわれは自分たちのために犠牲になった人々に感謝の念を示す道徳的な義務を負っているからだ。
ただ、私は朝日新聞の論調には決して同意しないが、彼らにも異なる意見を表明する権利があることは尊重している。朝日新聞が首相を批判しているという事実は、日本の政治システムがいかに民主的で、健全であるかを示すものだ。だから、社会のレベルで見れば、靖国問題で活発で多様な意見があることを歓迎したい。中国に対して、「日本には表現の自由があるが、中国はどうなんだ」と言うこともできる。
米国でも朝日新聞のように、首相の靖国参拝を日本が軍国主義に向かっているかのように報じるメディアがある。だが、彼らがわれわれに伝えるべきことはそんなことではない。正反対の意見が存在する日本が、いかに民主的な国家であるかを伝えるべきなのだ。
――そうは言っても、米国では「反ブッシュ」を前面に出すニューヨーク・タイムズ紙でさえ、戦死者に対する追悼方法をめぐって大統領を批判することはない。
確かにニューヨーク・タイムズ紙は民主党寄りだが、ブッシュ大統領のアーリントン国立墓地訪問を批判していない。しかし、今はイラク戦争の最中で、軍に批判的な論調を出しにくいという臨時的、政治的な理由で控えているだけであって、本当は批判したいと思っている。私の個人的な見方だが、ニューヨーク・タイムズ紙の編集部門の大半は、ブッシュ大統領がアーリントン墓地を訪問することに賛成していないはずだ。
朝日新聞が首相の靖国参拝を批判する理由は幾つかあるが、一つは戦後日本の政治構造の一部となった平和主義を表現しているのだと思う。日本には軍に関係するものは何でも嫌う極端な平和主義者がたくさんいる。だから、自衛官は電車で出勤するときはスーツを着て、職場に着いたら制服に着替えている。そんなのはばかげている。日本の軍事アレルギーは病的だ。
朝日新聞は社会主義者だけでなく、吉田茂の流れをくむ「経済優先」の保守の声も代弁しているのだと思う。彼らの考え方は、ビジネスに影響を及ぼすことは一切すべきでないというものだ。
ケビン・ドーク 1960年生まれ。82年、米クインシーカレッジ卒業。89年、シカゴ大学で博士号取得。高校時代に初めて日本に留学し、その後、立教大学や東京大学などで学ぶ。現在、ジョージタウン大学教授・東アジア言語文化学部長。日本の近代思想史、文学、ナショナリズムなどを専門とし、著書に『日本浪曼派とナショナリズム』(柏書房)など。
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