狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

死語となった「軍官民の共生共死」と「タテの構造の強制死」

2009-07-06 00:05:57 | ★集団自決

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月刊誌『新潮45』6月号の「書物の森」に、『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編・PHP研究所)の書評が出ているので紹介する。(太字赤字強調は引用者ー特に赤字部分は最高裁判決に影響を及ぼす決定的証拠物

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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                     ◇

『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』(秦郁彦編・PHP研究所)

「軍命令」の有無を問う 評・山村杳樹

太平洋戦争末期の1945年3月26日、米軍第77師団が沖縄の慶良間列島に上陸、翌日には渡嘉敷島に上陸した。所在の守備隊は貧弱な装備で抵抗したが、この戦闘の過程で、住民の「集団自決」という悲惨な事件が起きた。
本書刊行のきっかけとなったのは、旧日本軍の隊長が住民に「集団自決」を命じたと書いた作家・大江健三郎の著書『沖縄ノート』(岩波新書 1970年)をめぐる名誉毀損訴訟。 大阪高裁は、昨年10月控訴審で、梅澤・赤松元隊長の訴えをしりぞけた。

判決文の中で、裁判長は自決命令の「有無を本件証拠上断定することはできず」としながらも、「日本軍がこれに深く関わっていることは否定できず」と、旧軍の「関与」を指摘した。 

編者はこれを、「法的概念としては漠然すぎるうえ、争点にもなっていない軍の「関与」を、裁判所がわざわざ持ち出した意図ががわからない」「関与と言っても『自決せよ』から『傍観』を経て『自決するな』まで、幅は広い」と批判する。 そして、「裁判という手法に頼らず、歴史的事実の解明を進め、最終判断は後世に委せる」(あとがき)として、本書を編んだという。

編者によれば、沖縄の集団自決をめぐる論議で抜け落ちているのは、沖縄が戦場になった場合、住民の処置について、大本営や現地軍、沖縄県庁などがどのような方針を定めていたかを示す公的文書の存在であるという。 

本書には、その文書南西諸島警備要領」が紹介されている。この文書は、沖縄防衛のために新設された第32軍の牛島満司令官が、指揮下の全部隊へ示達した極秘の公文書で、原文は見つかっていないが、米軍が入手し英訳していた資料である。 これによれば、「非戦闘員は玉砕させず安全地帯に待機させる大方針だったことは明らか」だ

にもかかわらず集団自決がおきたのはなぜか。 編者は、「逃げる地籍があった沖縄本島では、集団自決が少なく、慶良間三島に集中したのは、小さな孤島で逃げ場書がないと住民が観念したのかもしれない」と書く。 もう一つ、「新聞、雑誌、文化人、大政翼賛会などの運動体」などが「憤怒と恐怖をないまぜにした扇情的な大量宣伝を発信した」ことも住民の心理を追い詰めたと指摘する。 

本書で読み応えがあるのは、集団自決が起きた座間味島で、日本軍の伝令と雑役を担当していた宮平秀幸氏が自らの体験を綴った「陳述書」である。 

当時、氏は15歳。 偶然、助役や村長たちと守備隊長との話を立ち聞きする。 陳述書によれば「村の年寄りと子どもを集めてありますから、自決する為の爆弾を下さい」と嘆願する助役に、隊長は、「あなた方を自決させるような弾薬などない。 帰って、集まっている民間人を解散させろ」応えたという。 

『ある神話の背景』で集団自決を現地取材した曽野綾子氏の潔い言葉が心に残る。 

「軍命令はなかったという証拠もないが、あったという証拠もありません。 今にも洞窟の奥から決定的な文書が出てきたら私は即座に訂正いたします」。(『新潮45』2009年6月号)

■消えた「軍官民共生共死」のキーワード■

宮城晴美氏の「検証『集団自決』」と題する論文中に「軍官民共生共死」というキーワードがひと言もないことを指摘した。

「軍官民の共生共死」は、確かに沖縄タイムスや左翼学者の論文に頻出する言葉ではあるが、宮城氏の論文に出てこなくとも特に不思議ではないという向きもあるだろう。

だがこの言葉は宮城氏の師匠である安仁屋沖国大名誉教授から受け継いだ日本軍批判のキーワードであり、係争中の裁判に提出した宮城氏の陳述書にも繰り返し使用されている。

■宮城晴美氏の法廷陳述書■

・・・座間味島の「集団自決」は日本軍の命令によるものと言わざるをえないと考えられます。その理由は次のとおりです。

①「軍官民共生共死の一体化」方針

 沖縄の日本軍(第32軍司令官牛島満中将)は、1944年(昭和19年)11月18日に「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」(乙33)を策定し、「軍官民共生共死の一体化」の方針を打ち出し、軍官民一体の総動員作戦を展開していました。

 ②座間味島での「軍官民共生共死の一体化」(陣地構築、食糧増産など)

 本書に書きましたように、1944年(昭和19年)9月に座間味島に駐留を開始した日本軍も、この方針のもとに、住居の提供、陣地の構築、物資の運搬、食糧の供出・生産、炊事その他の雑役等に村民(男女青年団など)を駆り出し、村民の住居に兵士を同居させ、さらには村民の一部を軍の防衛隊に編入しました。生活になくてはならない漁船も船員ごと接収しました。

 村は日本軍の「軍官民共生共死の一体化」の総動員体制に組み込まれたのですが、軍は村役場の会議室と地元の青年団が建設した青年会館に作戦本部を置き、村の行政組織を軍の指揮下に組み込み、村長、助役(=兵事主任、防衛隊長)などを通じて、村民に対して動員命令を下していました。大阪地裁・宮城晴美「陳述書」

「軍命令の虚構性は明らか」とする原告側に対し、被告側は沖縄などに残る文献を根拠に「軍命令はあった」と主張。「住民は『軍官民共生共死の一体化』方針で軍に総動員され、捕虜になることを許されずに玉砕を強いられた」と軍の関与を指摘する。
大江健三郎氏が9日出廷 沖縄集団自決訴訟

つまり梅澤戦隊長、赤松戦隊長の自決命令はなくとも第32軍の方針は「軍官民の共生共死の一体化」であり、事実上住民は自決を命じられていたというのが左翼勢力の主張だ。

実際はどうだったのか。

沖縄防衛のために新設された第32軍の牛島満司令官は「軍官民共生共死の一体化」どころか、

非戦闘員は玉砕させず安全地帯に待機させる大方針だった」ことを明らかにしたのが、現代史家・秦郁彦氏が米公文書館から発掘した、英文訳の「南西諸島警備要領」である。

牛島司令官が指揮下の全部隊へ示達した極秘のこの公文書は、原文は見つかっていないが、米軍が入手し英訳していた資料である。(「沖縄戦「集団自決」の謎と真実」)

 ⇒軍・行政が住民疎開に尽力 利用された「軍命」

これまで第32軍の高級参謀八原博道大佐が昭和48年に著した『沖縄決戦』(読売新聞社)で、この書類の存在は知られていたが、現物が見つからず「軍が自己弁護のため作り出した虚構」だと左翼勢力に反駁されていた。

だが、米軍が押収した第32軍の書類の英訳文なら、第32軍が住民の安全に努力していたことを示す決定的証拠だといえる。

従って左翼勢力が金科玉条にしていた「軍官民の共生共死」はもはや主張の根拠が根底から崩れ去ってしまったことになる。

宮城氏が裁判の陳述書にも繰り返し強調してかいた「軍官民の共生共死」を、琉球新報の論文から削除するのもむべなつかなである。

■崩れ去った大江氏の「タテの構造」■

隊長命令や軍の命令が証明できないと知るや、被告側は一気に作戦を変える。

「隊長命令の有無は問題でない」と主張し、大江健三郎氏が法廷で展開したのが「タテの構造云々」の詭弁である。

「タテの構造」論の要諦は「軍官民の共生共死」と連動している。

法廷証言の後、大江氏は朝日新聞で弁解文を書いているが、その中にも「軍官民の共生共死」が日本軍批判のキーワードとして出てくる。

日本軍、第三二軍が県民に担わせていた「軍官民共生共死」の方針、列島の守備隊というタテの構造の強制力、そして米軍が島民に虐殺、強姦を加えるという、広く信じられた情報、俘虜となることへの禁忌の思想、それに加えて軍から島民に与えられた手榴弾とそれにともなう、さらに具体的な命令、そうしたものの積み重なりの上に、米軍の上陸、攻撃が直接のきっかけとなって、それまでの日々の準備が一挙に現実のものとなったのだ、という考えにいたって、それを書いたのです。> (3)タテの軍構造に責任 (12月12日朝刊総合4面)

 第32軍が作成した「南西諸島警備要領」の発掘により、大江氏の「タテの構造云々」も木っ端微塵に粉砕され、「軍官民の共生共死」同様に、以後この言葉を使用することは出来ないはずだ。

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10 コメント

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渡嘉敷、座間味住民の疎開は? (ni0615)
2009-07-06 10:01:33
狼魔人さん
おはようございます
今日の話題、もう半年もまえの出版物について一言申しあげます。

筆者である秦郁彦さんの解釈や、評者である山村杳樹さんの願望を満たす為には、渡嘉敷、座間味、慶留間の老人や女子供が、実際に疎開命令を受けて国頭に疎開避難したという事実が必要だと思うんですが、実証史家秦郁彦さんはそれを実証なさったのでしょうか?

住民や漂流者が本島に渡ることすら厳しく統制されていた秘密特攻基地です。これを秦郁彦さんは無視しているのでしょうか?

この件については、コチラに少し詳しく書きましたのでお越しくださり存分にご批判くだされば幸いです。
http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1060789/

返信する
勘弁してよ・・・! (狼魔人)
2009-07-06 10:57:47
ni0615さん

同じことのぶり返しには辟易しますが、もう一回だけお付き合いします。

①集団自決の争点「座間味・渡嘉敷両党の隊長命令の有無」だったが、これは証明できなかった。(慶良間に限定された議論)

②「軍命あり派」は次のように論点をずらしていった。

「軍命の有無は問題では無い」⇒「軍の構造的強制死」⇒「軍官民の共共死の一体化」⇒「大江健三郎のタテの構造による仕組まれた強制死」

③つまり「軍命あり派」は、慶良間の現地指揮官の梅澤、赤松両隊長の問題ではなく、沖縄第32軍の牛島中将の「軍官民の共死」(太田昌秀しは敢えて「共生」をはずして「共死」そのものの司令だった主張)による軍の強制死だと争点を変えた。(土俵を慶良間から沖縄戦の最高司令官の問題に置き換えた)

④その第32軍の発した「南西諸島要領」の英訳原文発掘により、「軍官民の共死」が根底から否定された。


自分等で土俵を「慶良間限定の隊長責任」から「32軍の最高司令官責任」にずらしておいて、それが否定されると、今度は「慶良間島の住民が避難していない」と土俵を再度慶良間島に引き戻すのですか。

だったら原点に戻って「座間味、渡嘉敷両島の集団自決を両戦隊長が出したという証拠をだしたらいかがですか。

堂々巡りのイチャ付けは勘弁して欲しいもです。

前回と同じレスをくり返すようでしたら嫌がらせとみなします。

ご紹介のリンクは先刻読まして頂いています、どうぞキー坊さん達お仲間の皆様と「極悪非道の日本軍」を糾弾し合ってください。
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実証。 (エム)
2009-07-06 17:43:59
>渡嘉敷、座間味、慶留間の老人や女子供が、実際に疎開命令を受けて国頭に疎開避難したという事実が必要だと思うんですが、実証史家秦郁彦さんはそれを実証なさったのでしょうか?

 
  ni0615さん。渡嘉敷、座間味、慶留間は戦場になることが想定されていたのでしょうか。疎開命令は戦場とならない地域の住民には適用しないですよね。まさか北部の住民に北部へ「疎開せよ」なんてことは無いでしょう。

 あなた方の言う「秘密基地」があった場所ですから米軍は上陸も攻撃もしてこないということが前提になっていますよね。日本軍の装備と兵員数をみれば米軍を迎え撃つことは想定外ですね。

 戦場にならない地域の住民に「疎開命令」がでますか。そのまえにあなたも「秘密基地」のある住民には、犠牲があろうが疎開命令は出さなかったということを実証しなくてはなりませんね。

 私のような無知な人間を納得させる証拠があればいいですね。
返信する
左翼の常套手段 (茨城県民)
2009-07-06 17:48:02
こんにちは、狼魔人さん。

狼魔人さんの反論に僕はまったくそのとうり
だと思います。

論点はあくまで「軍による自決命令」が
「あったか?」「否か?」それだけです

それが「軍命」がないとわかると今度は「軍官民共生共死」とか「縦の構造」「軍の関与」とか
「皇民化教育」とかに論理を変える。

左翼の常套手段です。

これはかつて従軍慰安婦問題の「強制連行」はなかったが「強制制」はあった!・・・と強弁したのとまったく同じ事です。

僕はいろんな本や資料を読みましたが、わかることは、やはり「大本営が軍命令を下した事実はないし、第32軍が「足手まといになった県民は自決させよ、という方針もありませんし
もしくは各地の守備隊長が下した事実もない」とわかりました。

僕がまだ左翼にいたとき大江氏の「沖縄ノート」を読んだことがありますが、かつて左翼にいた僕でも「おかしい」と思いました。

まあその後、曽野綾子さんの「ある神話の背景」をよんで沖縄ノートは「嘘っぱち」だと
わかりましたし、その後、見事に左翼から
「転向」した、という者です(笑)

最後ぐだぐたになってしまいましたが
とりあえず言いたいことは

「極悪非道の日本軍」は嘘だ!と言いたいだけです。

追伸 あばかれた神話の背景を読みました
   紹介ありがとうございました。

長スレすいませんでした。
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Unknown (涼太)
2009-07-06 21:05:24
狼魔人様

「軍の縦の構造」も「軍官民共生共死」も、別の角度から論破できると思います。
鴨野さんの「あばかれた神話の正体。」によると、渡嘉敷の集団自決者の人数は、戦後昭和27年までの死亡者も含まれているそうです。昭和27年は援護法がスタートした年です。「少しでも多くの村民に援護法を適用させたい。」との村長の善意が、集団自決者の人数を増大させたようです。
仮に、被告側が言う、「集団自決は、軍の縦の構造、軍官民共生共死が原因。」と言うなら、
終戦後7年も経った、昭和27年に亡くなられた方も、「軍の縦の構造、軍官民共生共死が原因。」で亡くなられたのでしょうか。
村長、赤松さんの善意も、反日左翼のおかげで吹っ飛んでしまいそうです。
返信する
Unknown (縁側)
2009-07-06 22:26:23
狼魔人さま こんばんは

niがきてますね。この人なにがいいたいのでしょう。慶良間の人たちが疎開してないから集団自決は軍の命令って言ってるんでしょうか。すんげ~論理飛躍もはなはだしいっすね。目取真もそーだが、「慶良間の住民が疎開してないじゃないかー」といわれたら「だから何?」でいいと思います。軍官民共生共死なんて、しょー~~~~~もない言葉に何の説得力もないですよねー。今だって俺の家の近所に自衛隊員いるし、同じ街に住み、同じスーパー使い・・。共生してますね。おっと、向かいの家は教員だから官ですね。う~ん、共生真っ只中です。間違って、北朝鮮のミサイルが飛んできていっしょに被害にあえば共死だな。「軍官民共生共死」か。まさに俺は今の生活がそれだ。どこのバカが言い出したんですかね~、こんな屁みたいな言葉を。
返信する
Unknown (狼魔人)
2009-07-07 08:59:04
エムさん

この人物は以前にも同じ内容のイチャモンをつけていたようですが、国語読解力が無いのか、無い振りしているのかは不明です。

要するに日本軍が住民の安全のためにやったことは全てウソだと切り捨てたいわけでしょう。

「極悪非道の日本軍」を「歴史の真実」にするために情熱を燃やすグループですから・・・疲れます。


茨城県民さん

>僕がまだ左翼にいたとき大江氏の「沖縄ノート」を読んだことがありますが、かつて左翼にいた僕でも「おかしい」と思いました。

最近の沖縄でもネットの普及で地元紙の余りに酷い捏造体質に若者の新聞離れが続いています。

私の22歳の息子などスポーツ面しか読みません。

>その後、見事に左翼から
「転向」した、という者です

おめでとう。(笑)

左翼からの「転向者」は増えています。 沖縄は元々保守的気風の土地柄ですが、沖縄二紙に扇動されているのが実態で集団自決を機に目覚める人が増えています。


涼太さん

>渡嘉敷の集団自決者の人数は、戦後昭和27年までの死亡者も含まれているそうです。昭和27年は援護法がスタートした年です。「少しでも多くの村民に援護法を適用させたい。」との村長の善意が、集団自決者の人数を増大させたようです。

左翼は自分に都合の悪い事実には一切耳を貸しません。 被告側の証言は採用し、原告側の証言は却下する裁判官も左翼カルトの仲間だといわれても仕方ありません。

結局教科書検定が示すように「軍の命令はなかった」のが歴史の真実です。

これを覆せないので左翼勢力は「スパイ虐殺」など、本来本論とは関係ない事項を土俵に上げて、争点をごまかして「極悪非道」の印象作りに必死なわけです。



縁側さん

>この人なにがいいたいのでしょう。

よく分かりませんが、自分はカトリックに立ち向かうガリレオのつもりなんでしょう。

「それでも、軍命はあった!」

「誰が何といおうが、日本軍は悪逆非道だ!」

何度もいいますが、勘弁して欲しいですね。

>どこのバカが言い出したんですかね~、こんな屁みたいな言葉を。

これもよく分かりませんが、安仁屋教授あたりが屁を三発こいて思いついたのでは?

一発目に「軍官民共生共死」

二発目に「合囲地境」

で、三発目は何が出たかって?

三発目をこいたら、実がでたりして。(失礼)
返信する
Unknown (涼太)
2009-07-07 16:11:17
狼魔人様

安倍元総理は、「戦後レジュームからの脱却」を謳い、戦後レジュームを死守する勢力により、退陣に追い込まれました。
裁判官もまた、戦後レジューム世代であり、それを突き崩すのは、なかなか困難です。
百人切り裁判の判決「ただちに真実とはいえないが、まったく無かったとも言えない。」は、集団自決裁判の判決、「軍の命令があったとは証明できないが、信じる理由があった。」とうりふたつです。
巷には、義務を放棄し、権利ばかり主張する人間が跋扈しています。
一生懸命働く人より、生活保護の方が収入が多い。
公営住宅や教育費も払わないで、パチンコ通い。
まったく変な世の中です。民主党などが政権をとったら、この傾向は益々助長されそうです。

返信する
Unknown (涼太)
2009-07-07 16:48:49
狼魔人様

追記です。
当時の日本人の考えを、今の時代の感覚で考えるのは、無理です。戦国時代には戦国時代の価値観、江戸時代は江戸時代の価値観があります。
太平洋戦争当時は日本中が国を挙げて、戦っています。従ってスパイに対する処遇も大変厳しいものがありました。当然だと思います。
沖縄戦でもスパイは実際に存在し、当時の県民もスパイを許さなかった。
火の無いところに煙は立たない。当時は日本本土でも、治安維持法のもと虐殺された人は多くいました。現代でも日の丸、君が代を拒絶する人種がいるように、いつの時代にも、日本を裏切る日本人は存在します。
沖縄の反日左翼も、あまりスパイ虐殺の件は強調しないほうがいいと思います。県民同士もスパイの話はタブーとの事。結局県民を窮地に追い込むだけです。
返信する
Unknown (狼魔人)
2009-07-08 07:48:59
涼太さん

「極悪非道の日本軍」の根拠が否定されると、左翼が次に持ち出すのが「スパイ虐殺」です。

>沖縄戦でもスパイは実際に存在し、

仰るとおりです。

沖縄戦におけるスパイは米軍側が日米開戦以前から日系二世を集めて訓練した本職のスパイも含めて概ね次の三つに分類されます。

①日系二世の本物のスパイ

②捕虜になった住民が日本軍の潜む壕を米軍に教えた例。(「うつろな目の少女」として有名な大城盛秀氏も米軍に日本兵の壕を教えていたと言っている)

③日本軍の誤認による処刑

問題になるのは③の場合であり、これは別の問題として論ずるべきだが、追い詰められた左翼勢力は必ずこれを持ち出して「残虐非道」の印象操作をし、「軍命はあった」の根拠にしてきた。 今後ますます「スパイ虐殺」を全面に持ち出すことが予想されます。

>結局県民を窮地に追い込むだけです。

伊江島の例などまさにこれですね。
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