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ヨーロッパ中世のカトリック教会は自分らにとって「不都合な真実」が一般に知れ渡ることを恐れて徹底的言論封殺をした。
真実を叫ぶガリレオはデマを流布する不逞の輩と断罪され獄に囚われた。
教会側が真実を封じ込めるため築いた強大なダムも、活版印刷の発明という蟻の一穴により崩壊し、怒涛のように流れ出した情報の波に「 ガリレオの真実」は世間に認知された。
当日記の読者のきんじょうさんが沖縄の二紙とインターネットの関係を、中世のカトリック教会と活版印刷に例えるコメントを書いて下さった。
まさに言い得て妙。
この数年、特に二年前の「集団自決訴訟」以来の一連の報道で、沖縄二紙は依然として「不都合な真実」を隠し続けて中世カトリック教会顔負けの独善ぶりを晒した。
地元二紙の偏向というより、異常ともいえる言論封殺は地元に住んで見なければ肌身では感じられない。
最近の「米兵女子中学生暴行事件」でも遺憾なくその本性を晒してくれた。
二ヶ月前にボツにした米兵の交通事故まで引っ張り出してきて大見出しで騒ぐ有様には社会の木鐸としての良識の欠片もうかがいしることは出来ない。
⇒1月北中城で当て逃げ事故 車両は米軍属所有 (3/3 16:03)
■琉球新報の言論封殺■
自社の紙面で連載中の特集記事でさえ、不都合な記事があれば読者に一言の断りもなく連載を途中で中断させるほど言論封殺は徹底している。
琉球新報に連載中の地元ドキュメンタリー作家の沖縄戦史の連載が、「慶良間諸島(座間味。渡嘉敷)で何が起きたか」が掲載される寸前に突然中断されたことは記憶に新しい。
同連載記事は半年以上の長い中断の後、突然(読者に一言の説明もなく)復活して現在も連載中だが予告していた「慶良間諸島(座間味。渡嘉敷)で何が起きたか」は完全に削除された状態で現在も連載中である。
琉球新報には新聞としての矜持は微塵もない。
詳しい経緯については下記のエントリーに詳しい。
以下は【再掲です】
【再掲】琉球新報の言論封殺に抗議します (2007年10月4日)
琉球新報の言論封殺が続いて今日で107日目です。
琉球新報の夕刊で火曜から土曜にかけての長期連載特集、
上原正稔著「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」が
掲載予定日の2007年6月19日より
読者に何の断りも無く一方的に中止になりました。
上原さんは掲載前に知人に次のように言っていました。
≪19日付からは第2話「慶良間で何が起きたのか」が始まります。
「集団自決」をテーマにしたもので、作者の上原正稔氏は圧力に屈することなく執筆する≫と。
同氏の話によると、
≪沖縄で現在展開されている運動に水をかけることになる内容になるためか≫
≪担当編集者の態度に変化があり、今回の事態に至ったらしい≫とも言っているそうです。
どんな大きな圧力が働いたのでしょうか。
琉球新報は読者に連載中止の理由を一言も言っておりません。
問い合わせても「調整中」の一言で済ましています。
読者は一方的に「知る権利」を奪われています。
沖縄では今メディアの意見と違う考えは封殺される異常な事態になっています。
これでは戦前の言論弾圧と変りません。
琉球新報が連載を再開するまでこの記事を掲載し続けます。
狼魔人
◆参考エントリー:
「パンドラの箱」 カギを握る上原正稔氏
沖縄のマスコミは大政翼賛会か
琉球新報によって削除された「沖縄戦記」
*
■沖縄タイムスの異常行動■
今回「宮平証言」を得た調査団に同行した藤岡信勝拓大教授は、2005年にも慶良間の「集団自決」の現地調査を行っていたが、地元新聞の警戒した過剰反応は異常だったらしい。
「らしい」というのは、地元紙は自分の論調に対立するグループの行動は一切封殺するので県民はこれらの経緯を知ることは出来ない。
産経新聞の那覇支局長小山氏のブログ今夜も、さ~ふ~ふ~は地元紙が報じない地元のニュースを知らせてくれるが、今日までのアクセスが「アクセス120万件 」というから沖縄県民の人口とほぼ同人数がアクセスしたことになる。
読者はよっぽど地元紙が掲載しない記事に飢えているのだろう。
同ブログは、地元紙が報じなかった藤岡教授一行の当時の様子を次のように伝えている。(太字強調は引用者)
沖縄の「集団自決」を巡る地元の過剰反応 2006/08/29 15:59
昨年5月のことです。県政記者クラブで、琉球大学教授らによる記者会見がありました。
内容は、近く藤岡信勝・拓大教授らのグループが沖縄戦の「集団自決」の現地調査にやってくる、というものでした。「とんでもない連中が歴史を捏造しようとしている」とのニュアンスです。
自分たちと立場の違う研究者が、フィールドワークで沖縄入りするらしい、というだけで記者会見をするというのも異常ですが、さらに驚いたのは、翌日の琉球新報、沖縄タイムスが大々的に「沖縄戦の実相をゆがめる意図がある」と警戒する記事を、藤岡教授への取材もなく、一方的に掲載していたことです。
「これだけでも記事になるのか」と同業者としてあぜんとしました。それこそ「オウム」のような扱いです。
このとき当方、記者としてではなく、先輩記者からの個人的な依頼として、一行の出迎えと見送りをしました。まずびっくりしたのは、那覇空港で、記者会見したグループの一人がカメラを持って、張り込みをしていたことです。
さらに戦争の資料館に行ったところ、やはり先回りして、一行の数メートルあとをつけてくるのです。
また、地元紙の記者が近寄ってきて、突撃インタビューを申し込むのですが、一行はタイトなスケジュールを組んでいるため、困惑して断るしかありません。
集団自決の現地調査には同行しませんでしたが、最終日、一行から、「まるで犯罪者のように逃げ回っていると思われるのも嫌なので、場所を用意してくれれば、記者会見を開いてもいい」という相談を受けました。
ただし、日曜なので県庁の記者クラブが使えず、かといってホテルなどの会議室を借りるにも、急なことの上、費用の問題もあり、結局会見はできませんでした。
フィールドワークの調査結果の発表会を聞いたうえで、それに「異議有り」と反論するというのであれば、結構なことだと思いますが、危険人物がやってくるとばかりに、訪問の数日前から「警報」を発する過剰な反応ぶりには、ショックを受けたものです。
*
今回も調査団のことも想定どおり地元紙には報じられなかったが沖縄タイムス記者に尾行されて一寸したトラブルがあったらしいということが、藤岡教授の報告文の次のくだりに伺われる。
<25日、ツアーの一行が高速艇で座間味港に着いた時、二人の島民が私に抗議文めいたものを突きつけた。それを同じ高速艇に乗り込んでいた沖縄タイムスの吉田啓記者が横から写真に撮った。島民の一人は宮里芳和という人で、夜、彼の経営するパブに行って真意を聞いた。私達の到着時刻は沖縄タイムスの編集委員・謝花直美からの連絡で知った。彼は昭和23年生まれで、隊長命令のことはわからないと弁解した。ところが、翌日の沖縄タイムスの記事には、座間味島民が藤岡に抗議文を突きつけ、隊長命令があったと彼が語ったことになっていた。地元紙による歴史偽造の現場に立ち会った私は、彼等が最も恐れていた人物にめぐりあったことになる。>『座間味島集団自決の証言者・宮平秀幸さんとの出会い』
この僅か数行の藤岡教授の文と二年前の産経小山氏のブログをつき合わすと沖縄タイムスの取った異常な行動の意味は自ずと想像が付く。
沖縄タイムスが通常の新聞なら例え自社の論調とは異なっても沖縄戦史の現地調査に研究者の一行が来県しても、
小山氏が言うようにフィールドワークの調査結果の発表会を聞いたうえで、それに『異議有り』と反論すこれば良い。
自説に自信があるのなら掲載記事が増えて結構な話のはずだ。
それに彼らには多くの「証言者」やそれを支援する多くの学者が付いており反論には事欠かないはず。
だが、藤岡教授らに現地取材に行かれては、彼らが封印してきた「不都合な真実」が暴露されるおそれがある。
それではとても「異議あり」なんて簡単なことでは済まされないことを彼ら自身が誰よりも承知しているのだ。
その焦りと恐怖が彼らの異常ともいえる過剰反応に伺える。
>二人の島民が私に抗議文めいたものを突きつけた。
現場に居合わせたわけではないので「抗議文めいた」ものの中身は窺い知れないが
二年前に沖縄タイムスが調査団一向に示した「とんでもない連中が歴史を捏造しようとしている」とのニュアンスであることは容易に想像できる。
>島民の1人は宮里芳和という人で、夜、彼の経営するパブに行って真意を聞いた。私達の到着時刻は沖縄タイムスの編集委員・謝花直美からの連絡で知った。彼は昭和23年生まれで、隊長命令のことはわからないと弁解した。
「抗議文らしきもの」を渡した島民の1人宮里氏は戦後生まれであり、隊長命令を直接証言できる立場にはない。
「隊長命令のことは直接分からない」と弁解したのは当然である。
>翌日の沖縄タイムスの記事には、座間味島民が藤岡に抗議文を突きつけ、隊長命令があったと彼が語ったことになっていた。
ちなみに沖縄タイムスのくだんの記事は、ネットを恐れたのかウェブサイトには掲載されていない
>地元紙による歴史偽造の現場に立ち会った私は、彼等が最も恐れていた人物にめぐりあったことになる。
藤岡教授もご指摘の通り、宮平秀幸さんは沖縄タイムスが最も封じ込めておきたい人物であった。
沖縄タイムスが有するのは新聞としての矜持どころか恥を知らない鉄面皮のみである。
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