団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

不登校で苦しんでいる子に、居場所を作っていただけるよう頑張っていらっしゃいます。

2021-11-08 00:53:54 | 日記
 家族のこと話そう

 起業家 小幡和輝さん

 小幡和輝さん(本人提供)







 僕は小学二年から中学卒業まで不登校でした。

 学校は時間割が決まっていて、好きなことができない。

 運動が苦手で、体育も外遊びも嫌い。

 食べ物の好き嫌いも多くて、給食も楽しくない。

 今振り返っても嫌な記憶しかありません。

 幼稚園から行き渋りがありました。

 小学二年の半ばごろには「行きたくない」という気持ちが明確に。

 最初は、親に許してもらえず、毎朝けんかしていました。

 父は中学・高校の先生、母は教育熱心で、二人とも勉強も運動もできたそう。

 だから、学校に行きたくない僕のことをどうしたらいいのか分からなかったんだと思います。

 「行きたくない」が明確なのに行かなければならず、それ以外の選択肢がない。

 休む前は、毎日死にたい思いがあった。

 この時期が一番つらかったです。

 親が認めてくれたきっかけは、いじめだったと思います。

 学校を休みがちになって、「なんで来ないのか。ずる休みだ」と同級生に殴られた。

 さすがに親も「いじめられてまで学校に行くのは」と思ったようです。

 休んでもいいと堂々と認めてくれたわけではなく、諦めた。

 小学二年の冬休みが明けてから、行かなくなりました。

 行かなくなって、僕はめちゃくちゃ明るくなった。

 一年後、フリースクールに通うようになり、中学卒業までそこで過ごしました。

 先輩から、小中学校と違って一人一人に合わせた対応をしてくれると聞き、定時制高校に進学。

 高校三年でイベント企画の会社を起業し、堀江貴文さんを招いた講演会などを開きました。

 両親は、好きにやったらいい、この子はそういう子だと、自由にさせてくれました。

 四年前、不登校をテーマに本を書く機会があって、当時を振り返りました。

 僕はゲームが大好きで、大会に出るためにいっぱい練習した。

 ゲームを通して友達もできた。

 だから、不登校だけどめちゃくちゃ幸せでした。

 でも不登校で苦しんでいる子もいる。

 なぜなのか。学校でやっていることは、他の場所でもできる。

 だから苦しんでいる子は自分の場所をつくってほしい。それが僕の出した答えです。

 今は不登校への社会の偏見を変えていきたいと思い、「#不登校は不幸じゃない」と会員制交流サイト(SNS)などでメッセージを発信しています。

 数年前、父に当時のことを聞きました。

 父は「教師の立場として、なかなか自分の子が不登校だと認めきれなかった」と言っていました。

 住んでいたのは人口一万人の小さな町。みんな顔見知りで、父も難しい立場だったと思う。

 両親には不登校を認めてくれてどうもありがとう、と思っています。

 (聞き手・長田真由美)

 おばた・かずき 1994年、和歌山県生まれ。

 高校3年でイベント企画の会社を起業。

 2018年から「#不登校は不幸じゃない」のスローガンを掲げ、全国でイベントを開く。

 19年からオンラインでゲームの家庭教師サービスを始め、翌年に株式会社「ゲムトレ」(東京)を立ち上げた。


 以上です。

 不登校は社会的な大問題です。

 小幡和輝さんは、フリースクールに通われるようになって同じような悩みを持つ生徒さんたちと勉強できたのが良い結果につながったようです。

 そこで先輩から、一人一人に対応してくれる定時制高校を知り進学された事が新しい道を開く結果に結びついたようです。
 
 今は不登校への社会の偏見を変えていきたいと思い、「#不登校は不幸じゃない」と会員制交流サイト(SNS)のイベント企画会社を立ち上げて、不登校で苦しんでいる子に、居場所を作っていただけるよう頑張っていらっしゃいます。

 不登校を認めてくださったご両親には、大変感謝されています。




つゆのあとさき さだまさし 1980年東大寺
コメント (4)
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